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奇跡の年

 祭壇へ続く階段の前で、僕は一度だけ足を止めた。

 広場には、まだ興奮が残っている。

 それも当然だった。

 今日の成人の儀は、例年とは意味が違う。

 王都中の人々が、この日を待ち望んでいた。

 理由は、僕。

 十二年前。

 僕が生まれた日。

 魔法測定の水晶は、何度試しても反応しなかった。

 火。

 水。

 土。

 風。

 雷。

 五つの属性。

 そのどれにも適性を示さなかった。

 そして、測定できる可能性として残されたものは二つ。

 光。

 そして闇。

 光属性を持つ者は、過去に世界樹を救った英雄として記録されている。

 一方で、闇属性を持った者は、人類史上ただ一人だけ存在した。

 しかし、その人物は力を得た後、犯罪を犯したあと、詳しいことはよくわかっていない。

 だからこそ。

 僕の存在は、王国にとって大きな意味を持っていた。

 王家が僕を迎え入れた理由。

 十二年間、僕を育て続けた理由。

 それは、世界を救う可能性を期待されていたからだ。

 でも。

 僕が祭壇へ向かう前に、誰も予想していなかったことが起きた。

「今年は……本当に異常な年だな」

 近くにいた貴族の声が聞こえる。

 僕は自然と広場を見る。

 そこには、二人の少年少女がいた。

 一人はアレン。

 もう一人はリリア。

 僕と共に王都で育った二人。

 そして。

 今年の成人の儀で、すでに歴史に残る結果を出した二人。

 最初に大きな歓声を受けたのは、アレンだった。

「雷七・風一」

 大神官がそう告げた瞬間。

 広場は揺れるほどの歓声に包まれた。

 雷属性七本。

 それは、数百年に一度現れるかどうかという才能。

 歴代の英雄たちにも、七本以上の魔脈を持つ者は多くない。

 そして次に。

「リリア・ヴァルハルト」

 王女の名前が呼ばれた。

 結果は。

「水七・風一」

 その瞬間。

 誰もが言葉を失った。

 王家から生まれた七本持ち。

 七本が1人誕生するだけでも奇跡的なことだ。

 それなのに今年は2人誕生している。

「雷七と水七が同じ年に……」

「こんなことがあるのか」

「まさか、今年は……」

 人々の視線が僕へ向く。

 世界は、英雄を欲している。

 まだ終わっていない。

 そう思われているのが分かった。

 もし。

 僕まで同属性七本以上の魔脈を持っていたら。

 この日、ヴァルハルト王国には三人の英雄候補が誕生する。

 そんな期待が、広場全体を包んでいた。

「すごいな」

 隣に立ったアレンが小さく笑う。

「まさか俺とリリアが先にこんな結果を出すとは思わなかった。」

「僕も驚いてるよ。」

 正直に言えば、僕は嬉しかった。

 アレンが強かったこと。

 リリアが素晴らしい才能を持っていたこと。

 二人なら、きっとこの国を支える存在になる。

 そう思った。

「次はお前だな。」

 アレンが僕を見る。

 いつもの勝負を挑む時の目だった。

「俺たちは先に行ったぞ。」

「……プレッシャーをかけないでよ。」

 僕が苦笑すると、アレンは笑った。

「違う。期待してるんだ。」

 その言葉に、胸が少し熱くなる。

 でも同時に。

 怖さもあった。

 期待されることには慣れている。

 十二年間、ずっとそうだった。

 でも。

 もし僕が何も持っていなかったら。

 この空気はどう変わるのだろう。

「ノア。」

 今度はリリアが声をかける。

「大丈夫。」

 短い言葉だった。

 でも。

 昔から彼女はそうだった。

 僕が迷った時。

 いつも背中を押してくれた。

「どんな結果でも、あなたはあなたよ。」

「……ありがとう。」

 僕は小さく笑う。

 そして。

 祭壇を見る。

 大神官が僕の名前を呼ぶ時を待っている。

 その瞬間。

 広場の奥から、低い声が聞こえた。

「……果たして、そうでしょうか。」

 振り返る。

 そこには、一人の男が立っていた。

 黒い礼服。

 胸元には侯爵家の紋章。

 アークライト侯爵。

 保守派貴族の中心人物。

 その視線は、僕へ向けられていた。

「今年は確かに、素晴らしい才能が二つも現れた。」

「しかし。」

 男は静かに続ける。

「だからこそ、次の結果は重要です。」

 周囲が静まる。

「王家が十二年間、特別に育てた存在。その価値が本当にあるのか。」

 胸に少しだけ刺さる。

 でも。

 反論はできなかった。

 僕自身が、一番知りたいことだったから。

「父上。」

 隣にいたゼノが小さく声をかける。

 アークライト侯爵は息子を見る。

「事実を確認しているだけだ。国を守る者には、感情ではなく結果が必要だ。」

 そう言い残し、侯爵は視線を祭壇へ戻した。

 そして。

 大神官がゆっくりと口を開く。

「次の測定者。ノア・ヴァイス。」

 広場の空気が変わった。

 さっきまでの歓声とは違う。

 期待。

 不安。

 興奮。

 すべてが混ざった空気。

 僕はゆっくりと歩き出す。

 十二年間待ち続けた答えへ向かって。

 光なのか。

 闇なのか。

 僕自身も知らない何かなのか。

 僕は祭壇へ上がり、中央に立つ。

 目の前には、巨大な水晶。

 今まで何人もの子どもたちの未来を映してきたもの。

 そして。

 今日だけは、王都中が僕の未来を見ようとしている。

「ノア・ヴァイス。」

 大神官が静かに告げる。

「封魔環を外します。」

 僕は左手首を見る。

 銀色の腕輪。

 十二年間、ずっと共にあったもの。

 この腕輪があるから、僕は魔力を扱えなかった。

 この腕輪があるから、僕は普通の子どもとして過ごせた。

 でも。

 今日で終わる。

 僕は小さく息を吐いた。

「お願いします。」

 大神官が封魔環へ手を伸ばす。

 カチッ。

 小さな音が響いた。

 その瞬間。

 身体の奥で、何かが目を覚ました。

「……っ」

 息が止まる。

 熱い。

 いや。

 熱いというより、全身に何かが流れている。

 これが魔力。

 十二年間、眠っていた力。

 僕にも魔力がある。

 その事実だけで、胸が震えた。

「水晶へ手を。」

 言われた通り、僕は右手を伸ばす。

 指先が触れる。

 次の瞬間――。

 バチッ。

 小さな音が鳴った。

 そして。

 眩い光が広場を包んだ。

「……!」

 誰かが息を呑む。

 水晶の中心から、白い輝きが溢れ出す。

 まるで太陽の光を閉じ込めたようだった。

「光……!」

 誰かが呟く。

 その瞬間。

 広場全体が揺れた。

「光属性だ!」

「やはり……!」

「ノア様は……!」

 歓声が上がる。

 僕の胸も大きく跳ねた。

 光。

 世界樹を救う可能性を持つ力。

 十二年間、期待され続けた力。

(僕が……)

(僕が世界を救えるのか)

 そう思った瞬間。

 異変が起きた。

 水晶の光が、急速に弱まっていく。

「……?」

 大神官の表情が変わった。

 広場の歓声も少しずつ小さくなる。

 白い光は消え。

 水晶は、何も映さなくなった。

 静寂。

「……もう一度、お願いします。」

 大神官の声には、わずかな戸惑いがあった。

 僕は頷く。

 もう一度。

 手を触れる。

 しかし。

 何も起きない。

 水晶は沈黙したままだった。

「測定器の故障はありません。」

 大神官は水晶を確認しながら言う。

「魔力反応も正常です。」

 周囲がざわつき始める。

「では、なぜ……」

「光が出たはずだろう」

「一瞬だけだったぞ」

 僕は自分の手を見る。

 確かに感じた。

 あの力。

 あれは間違いなく僕の中にあった。

 なのに。

 結果だけが存在しない。

「神官よ。」

 国王の声が響く。

 静かな声だった。

 でも。

 その奥には隠しきれない緊張があった。

「結果を。」

 大神官はしばらく黙っていた。

 そして。

 ゆっくりと首を横に振る。

「……判定できません。」

 その言葉が、広場に落ちた。

 一瞬。

 誰も意味を理解できなかった。

「判定……できない?」

「そんなことがあるのか?」

「光でも闇でもないということか?」

 ざわめきが広がる。

 僕はただ立ち尽くしていた。

 英雄でもない。

 災厄でもない。

 期待されていた答えのどちらにも届かなかった。

「ノア……」

 アレンの声が聞こえる。

 振り返る。

 彼は心配そうな顔をしていた。

 さっきまでの勝負を楽しむような表情ではない。

「大丈夫か?」

 僕は少し笑う。

「……うん。」

 そう答えた。

 でも。

 本当に大丈夫なのかは、自分でも分からなかった。

 広場の視線が変わっている。

 さっきまでの期待とは違う。

 驚き。

 困惑。

 そして。

 不安。

 僕はそれを感じ取っていた。

 その中で。

 アークライト侯爵だけが、静かに僕を見ていた。

 その表情からは、何の感情も読み取れなかった。

 祭壇を降りた後も、広場のざわめきは消えなかった。

 いや。

 正確には、誰もが何かを言いたいのに、言葉にできずにいた。

「……確認できない?」

 誰かの呟きが聞こえる。

 その言葉が、今の僕の結果を一番表していた。

五つの属性。

 どれにも反応しなかった。

 光にも。

 闇にも。

 大神官は何度も水晶を確認した。

 けれど、結果は変わらない。

「ノア・ヴァイスの魔脈反応……確認不能」

 その言葉が広場に響いた。

 今年の成人の儀は、誰もが特別なものになると思っていた。

 雷七・風一。

 アレン・ライゼル。

 水七・風一。

 リリア・ヴァルハルト。

 一つの属性に七本の魔脈が集中する者など、数百年に一人いるかどうか。

 それが二人。

 同じ日に現れた。

 そして最後。

 王家が十二年間育てた僕。

 光属性の可能性を持つ少年。

 もし僕まで七本以上の魔脈を持っていたなら。

 この日、ヴァルハルト王国には三人の英雄候補が誕生していた。

 だからこそ。

 期待も大きかった。

 その分。

 静まり返った広場の空気が、余計に重かった。

「ノア」

 アレンが近づいてくる。

 いつもの自信に満ちた表情ではなかった。

「大丈夫か?」

 僕は笑おうとした。

「うん」

 でも、自分でも分かる。

 きっと上手く笑えていない。

「少し驚いただけ」

 アレンは何も言わなかった。

 ただ、僕の肩を軽く叩く。

「結果なんて関係ないだろ」

「俺は剣でお前に勝ててない」

「だったら、まだ勝負は終わってない」

 その言葉に、少しだけ胸が軽くなる。

「ありがとう」

 その時。

「ノア」

 リリアが声をかけてきた。

「今日はもう休んで」

 優しい声だった。

「陛下も、きっと……」

 そこで彼女は言葉を止めた。

 国王。

 僕を十二年間育ててくれた人。

 きっと今、一番苦しい思いをしている。

 そう思った。

 その後。

 僕は王城の一室で待つように言われた。

 理由は教えられなかった。

 ただ。

「陛下がお決めになるまで待ってほしい」

 そう言われただけだった。

 窓の外を見る。

 夜の王都は、いつもと変わらず輝いていた。

 街灯。

 魔道具。

 人々の暮らし。

 すべてが魔核によって支えられている。

 僕は何度も学んだ。

 この世界は、世界樹の力によって成り立っている。

 だからこそ。

 僕には使命があると思っていた。

 でも。

 今の僕に何ができるのか。

 分からなかった。

「ノア。」

 突然、扉の向こうから声が聞こえた。

 父さんだった。

「入ってもいいか?」

「……はい。」

 父さんは部屋へ入ると、少しだけ寂しそうに笑った。

 昔から変わらない優しい笑顔。

 でも。

 今日は違って見えた。

「陛下がお呼びだ。」

 その言葉を聞いた瞬間。

 胸が少しだけ重くなった。

「分かりました。」

 僕は立ち上がる。

 父さんは何か言おうとして。

 でも。

 何も言わなかった。

 その沈黙が、余計に怖かった。

 国王の執務室。

 そこには陛下だけではなかった。

 王族。

 重臣。

 そして。

 アークライト侯爵。

 保守派貴族の代表。

 僕が入ると、部屋の空気が少し変わった。

「ノア。」

 国王が呼ぶ。

「こちらへ。」

 僕は前へ進む。

 そして片膝をついた。

「お呼びいただきありがとうございます。」

 国王はしばらく僕を見ていた。

 その表情には、いつもの穏やかさがなかった。

「顔を上げなさい。」

 言われた通り顔を上げる。

 すると。

「まず伝えたいことがある。」

 国王は静かに言った。

「私は、お前を責めるつもりはない。」

 その言葉に、胸が少し痛んだ。

「……ありがとうございます。」

「だが。」

 国王は続ける。

「国王として、判断をしなければならない。」

 その瞬間。

 嫌な予感がした。

 アークライト侯爵が一歩前へ出る。

「陛下。」

 低い声。

「今回の件について、国民へ説明する必要があります。王家は十二年間、一人の少年を特別に育てた。世界を救う可能性があるとして。」

 侯爵の視線が僕へ向く。

「しかし結果は、判定不能。光でもない。闇でもない。何者なのかすら分からない存在です。」

 拳を握る。

 言葉が刺さる。

 でも。

 反論できない。

 僕自身が、一番分かっていないから。

「私はノア様を危険だと言っているわけではありません。」

 侯爵は続けた。

「ですが、国民の不安を無視することもできない。そして何より。」

 少し間を置く。

「王家の判断が正しかったのか、責任を問われています。」

 部屋が静まり返る。

 僕は国王を見る。

 陛下は。

 苦しそうな顔をしていた。

「……私は反対した。」

 突然。

 父さんの声が響いた。

「エドガー。」

 国王が名前を呼ぶ。

「私は、この子を王城へ連れてくることに反対していました。」

 父さんは僕を見る。

「ノアは英雄になるために生まれた子ではない。私たちの息子です。」

 胸が締め付けられる。

「ですが。」

 父さんは目を伏せる。

「今の状況では、それだけでは守れない。」

 その言葉の意味が分からなかった。

「父さん……?」

 父さんは苦しそうに続けた。

「ノア。」

「お前には妹がいる。」

 コア。

 その名前を聞いた瞬間。

 胸が痛んだ。

「もし王家が、お前を庇い続ければ。保守派は次に何を疑うと思う?」

 僕は答えられなかった。

「お前ではない。コアだ。」

 息が止まる。

「コアはまだ幼い。だが、あの子も特別な才能を持っている。」

 コアが生まれた時。

 測定された魔法反応。

 炎属性のみ。

 つまり、強力な火属性を扱うことができるかもしれない。そして何より光属性を有している可能性がある。

「王家は、世界を救うために次の希望を失うわけにはいかない。」

 父さんの声が震える。

「だから……。」

 その先を聞きたくなかった。

「ノア。」

 国王が立ち上がる。

 いつもの優しい祖父のような顔ではない。

 一人の王の顔だった。

「お前には、王都を離れてもらう。」

 静寂。

 その言葉だけが、頭の中に残った。

「……離れる?」

 声が震える。

「どこへですか。」

 国王は目を伏せる。

「ヴァイス家の領地へ戻る。」

「そして。」

 一瞬の間。

「王家直属の保護対象から外れる。」

 意味を理解するまで時間がかかった。

 つまり。

 僕は。

「……王都から追放、ということですか。」

 誰も答えなかった。

 その沈黙が答えだった。

 十二年間。

 僕が目指してきた場所。

 世界を救うために努力してきた場所。

 すべてが。

 終わる。

「すまない。」

 国王の声が震えた。

「本当なら、最後まで守りたかった。」

 僕は拳を握る。

 涙は出なかった。

 不思議だった。

 悲しいはずなのに。

 悔しいはずなのに。

 一番最初に浮かんだのは。

(コアは……大丈夫なのか)

 だった。

「分かりました。」

 僕は答えた。

 国王も。

 父さんも。

 驚いた顔をする。

「ノア……。」

「僕がいなくなることで、コアが守られるなら。」

 それでいい。

 僕はそう思った。

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