表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
3/6

第3話 先祖の遺骨がなくなった!墓の引越しの落とし穴。

「伝統を壊す気か!なんだあの芝生と木切れだけのチャラチャラした墓は!」


翌朝、新政寺の客殿には、怒声と共に叩きつけられた湯呑みの茶が飛び散っていた。怒り心頭で乗り込んできたのは、当寺の筆頭総代を務める長老檀家、大貫おおぬきさんだ。80歳を超える地元の名士であり、先代である父・義正とは長年の付き合いがあった人物である。


「大貫さん、落ち着いてください。『木漏れ日の詩』はチャラチャラした墓ではなく、現代のニーズに合わせた樹木葬という立派な永代供養のパッケージです」


僕は冷静に、飛び散った茶を布巾で拭き取った。西新宿の会議室で、怒り狂うクライアントを宥めるのには慣れている。


「理屈をこねるな!先祖代々の墓石を建ててこそ供養だろうが。あんなもの、義正さんが生きていたら絶対に許さんぞ!」


「ええ、父なら『金のない奴からは取るな』と言って、また借金を増やしたでしょうね」


僕はノートパソコンを開き、画面を大貫さんに向けた。


「ご覧ください。これが現在の新政寺のキャッシュフロー予測です。檀家数は過去10年で30パーセント減少。護持会費の未納率も上昇傾向。このまま『伝統』にしがみついていれば、3年後にはこの寺は維持できず、大貫さんご先祖の墓もろとも、誰にも管理されず野ざらしになります」


大貫さんが言葉に詰まる。


「『樹木葬』は、この寺を、そして皆様の先祖代々のお墓を守るためのキャッシュカウ、重要な収益基盤なんです。伝統を守るためにこそ、革新が必要。違いますか?」


データと論理による完全なカウンター。大貫さんは渋い顔で唸り声を上げ、「……やりすぎるなよ」とだけ捨て台詞を吐いて帰っていった。


「やれやれ。まぁ、想定の範囲内だ」


ノートパソコンを閉じようとした時、背後から遠慮がちな声がした。


「あのう……お取り込み中、すみません」


振り返ると、スーツ姿の中年男性が立っていた。疲労の色が濃い顔に、申し訳なさそうな笑みを浮かべている。


「ホームページを見て来ました。私、都内に住んでいる高橋と申します」


新規顧客リードの獲得だ。僕は即座に営業スマイルを起動した。


「いらっしゃいませ。樹木葬のご見学ですか?」


「ええ。実は、実家の墓を『墓じまい』して、こちらの樹木葬に引っ越したいんです」


高橋さんの話は、現代の典型的なお墓の悩みだった。実家は常総市からほど近い、のどかな農村。両親は既に他界し、高橋さん自身は都内でマンション暮らし。1人娘は嫁いでおり、お墓を継ぐ者がいない。そこで、実家の墓を更地にして返還し、遺骨を取り出して新政寺の樹木葬に移す『改葬かいそう』を希望しているとのことだった。


「なるほど、お墓のお引越しですね。当寺の樹木葬なら、その後の管理負担は一切ありません。最適なソリューションです」


「よかった。実は、田舎の寺の住職が頑固で、離檀料りだんりょうとして300万円も要求してきて揉めましてね。なんとか弁護士を入れて30万円で手打ちにしたんですが、もうヘトヘトで……」


お墓の引っ越しは、単に骨を移動させるだけではない。既存の寺との交渉、役所での改葬許可申請、石材店による墓石の解体など、素人にはハードルの高いタスクが山積している。高橋さんはその荒波を乗り越え、ついに明日、石材店が実家の墓を開けて遺骨を取り出す手はずになっているという。


「明日の夕方には、遺骨を持ってこちらに伺います。どうか、よろしくお願いします」


高橋さんは安堵の表情で頭を下げ、帰っていった。見込み客からの確実な受注。「これでまた1つ、借金返済に近づいたぞ」、僕はガッツポーズをした。


翌日の夕方。

約束の時間を過ぎても、高橋さんは現れなかった。代わりに、1本の電話が鳴った。


「あ、阿出川住職ですか……!た、高橋です」


電話口の声は、パニックを起こしているように上ずっていた。


「高橋さん、どうしました?お引越しの作業で何かトラブルでも?」


「遺骨が……!墓石を退かして中をみたら、爺さんや曾爺さんたちの遺骨が、どこにもないんです!」


「は?」


僕は素頓狂な声を上げた。遺骨が消える?そんな馬鹿な。


「石材店の人も首を傾げていて……。田舎の寺の住職は『わしは知らん』の1点張りだし。どうしたらいいか……」


トラブル発生。

プロジェクトの進行に致命的なバグだ。西新宿の営業マン時代なら、「それはお客様側の過失ですので」と冷たく切り捨てていただろう。だが、今の僕は新政寺の住職だ。


「高橋さん、落ち着いてください。そのお墓の住所を送ってください。今すぐ僕が向かいます」


僕は法衣の裾を翻し、軽トラのキーを掴んで飛び出した。

30分後、のどかな農村の寺に到着すると、重機の前で途方に暮れる高橋さんと石材店の作業員がいた。


「住職!すみません、わざわざ……」


「状況を確認させてください」


僕は解体途中の墓を覗き込んだ。確かに、納骨室に繋がる土の穴には、何もない。骨壺の欠片すら落ちていない。僕は周囲の墓石を観察し、ある仮説を立てた。


「高橋さん。失礼ですが、この地域、あるいはこの墓地には『高橋』という苗字の家が多いんじゃないですか?」


「え?ええ、この集落は3割くらいが『高橋』姓ですよ。少し離れた本家も、あっちの分家もみんな高橋です。それが何か?」


「石材店さん」僕は作業員に向き直った。


「最近この墓地で、他に墓じまいや改葬を行った『高橋』家はありませんでしたか?」


作業員はハッとしたように自分の頭を叩いた。


「あ!そういえば2週間前に、別の石材店がこの先の区画で『高橋』ってところの墓じまいをやってました。確か、東京のハイテク納骨堂に移すって言ってたような……」


バグの正体が見えた。

これはシステムのエラー——いや、最悪のオペレーションミスだ。高橋という苗字は世間にたくさんいる。そしてこの墓地にも溢れている。つまり、別の高橋さんが東京都内の寺院に改葬を行う際に、依頼された石材店が区画を勘違いし、誤ってこの高橋さんのお墓から遺骨を取り出して、東京の納骨堂に納骨してしまったのだ。


「高橋さん、すぐに車を出してください。東京へ向かいます!」


僕はその場で別の石材店に電話をかけさせ、遺骨が持ち込まれたという東京都内の近代的なビル型寺院の連絡先を割り出した。常総市から高速道路を飛ばすこと1時間。僕たちは西新宿のすぐ近くにある、自動搬送式の最新鋭納骨堂に滑り込んだ。


「そんな馬鹿な。我が寺の納骨堂には、2週間前に間違いなく高橋家の遺骨が格納されましたよ」


怪訝な顔をする都内寺院の住職に対し、僕は新政寺の住職としての身分証と、高橋さんが持つ正規の改葬許可証、そして現地の墓地の区画図をデスクに叩きつけた。


「同姓の別人が、手違いでこちらの高橋さんのご先祖様を『誤回収』し、貴寺のシステムに登録してしまった。これが論理的な帰結です。今すぐ、その納骨箱の中身を確認させてください。骨壺の裏に、高橋さんのご先祖様のお名前や没年月日が書かれているはずです」


元トップ営業マンの圧倒的なロジックと気迫に押され、都内の住職は冷や汗をかきながら、自動受付機を操作して骨壺を呼び出した。重厚な黒御影石のブースに、ウィーンと音を立てて運ばれてきた骨壺。その蓋を開け、底を確認した高橋さんが悲鳴のような声を上げた。


「ああっ!爺ちゃんだ!間違いない、こっちはうちの爺ちゃんの骨壺だ!」


ビンゴだ。

幸い、もう一方の高橋さんの本物の遺骨は、まだ現地の墓の奥深くに手付かずのまま残されていることが判明した。僕らは東京都内の寺院と急ぎ連携し、向こうの家族にも連絡を入れ、無事に遺骨の『正しい交換手続き』を完了させた。事務手続きのバグを、力技で修正した瞬間だった。


数日後。

新政寺の樹木葬エリア『木漏れ日の詩』の、一本のシンボルツリーを囲むようにきれいに整理された区画に、高橋さんのご先祖様の骨壺が、今度こそ無事に納骨された。


「阿出川住職。一時はどうなることかと思いましたが……まさか本当に遺骨を取り戻して、こんなに素晴らしい場所に納骨できるなんて。すべて住職のおかげです。本当にありがとうございました」


安らかな顔で手を合わせる高橋さんを見送りながら、僕は法衣の袖で額の汗を拭った。コンサルティング費用と樹木葬の契約で、売上はしっかり確保した。だが、それ以上に、1人の人間の背負っていた重い荷物を下ろす手伝いができたことに、不思議なほどの達成感があった。


「ま、悪くない仕事だ」


心地よい疲労感と共に本堂に戻ると、母が慌てた様子で駆け寄ってきた。


「雅英!大変よ!」


「どうしたの、母さん。また借金の督促?」


「違うわよ!さっき、派手な身なりの女の人が来て……『義正の子を身ごもってる』って!」


「……はあ!?」


どうやら、お墓戦争どころか、親父が残した負の遺産は借金だけではなかったらしい。僕のターンアラウンド・プロジェクトは、前途多難を極めていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ