第2話 墓なんていらない?骨壺抱えた老夫婦。
「形から入る。これはビジネスの基本だ」
鏡の中に映る自分は、どこからどう見ても『お坊さん』だった。近所の床屋でミリ単位に刈り上げられた頭は、青々としていてひどく涼しい。
仕立ての良いオーダーメイドスーツの代わりに身にまとったのは、父の遺品である墨色の法衣だ。
袖を通すと、線香と古い木造建築の匂いが鼻腔をくすぐる。正直、まだ猛烈に違和感がある。だが、一度やると決めたからには、僕は完璧にこの役を演じきってみせる。
「雅英……本当にやるのね」
本堂の入り口で、母・芳子が心配そうに僕を見つめていた。「やる、じゃないよ母さん。これは新政寺のターンアラウンド・プロジェクトだ。まずは現状分析から始める」
僕は本堂の畳の上にノートパソコンを開き、キーボードを叩いた。茨城県常総市。人口は減少傾向、高齢化率は上昇の一途。この新政寺の主な収入源は、檀家からの護持会費と、葬儀や法要のお布施だ。しかし、檀家の高齢化と「墓じまい」の増加により、キャッシュフローは完全にマイナス。このままでは2億円の借金の利息を払うだけで干上がってしまう。
「既存のビジネスモデルにしがみついていては、倒産を待つだけだ。新規顧客の開拓、そして高利益率のフロント商品が必要になる」
「ふろんとしょうひん……?」母がパチパチと瞬きをする。
「今のトレンドは『安価・管理の手間なし・跡継ぎ不要』だ。一般のお墓を建てるとなると、墓石代だけで何百万円もかかるし、少子化の現代では敬遠される。そこで、これだ」
僕は画面を母に向けた。そこには、僕が昨晩徹夜で作った、美しくデザインされたランディングページのプレビューが表示されていた。
『自然に還る、永遠の眠り。新政寺のプレミアム樹木葬——【木漏れ日の詩】』
本堂の裏手にある、今は荒れ果てた桜の庭園。あの敷地を美しく整地し、一本のシンボルツリーを囲むようにきれいに整理された区画に遺骨を埋葬する。これなら墓石代はかからない。初期投資を抑えつつ、現代のニーズに合致した商品が作れる。
「価格は一区画、80万円。永代供養料込みだ。周辺の相場より高めの強気なプライシングだけど、その分『由緒ある寺院の美しい景観』という付加価値をつける。これなら、年間で一定の契約数を確保できれば、借金返済の確実な足がかりになる」
「は、80万円……!そんな、お父さんはいつも『お気持ちで』って言ってたのに……」
「だから2億円も借金を作ったんだよ、あの親父は!」
僕はため息をつき、眼鏡のブリッジを押し上げた。
「信仰心で腹は膨らまない。これはビジネスだ。情に流されず、冷徹に数字を追う。さあ、まずはネット広告と、近隣地域へのポスティングから開始だ」
広告を出して二週間。新政寺の境内に、場違いなほど洗練された「樹木葬・見学受付」の看板が立てられた。だが、現実は甘くない。問い合わせの電話は数件あったものの、実際に足を運んでくれる客はゼロ。東京のIT企業とは違い、地方の、しかも「お寺」という心理的ハードルの高い場所に人を集めることの難しさを、僕は痛感し始めていた。やっぱり、付け焼き刃の企画では無理だったのか。本堂の縁側に腰掛け、タブレットで広告のインプレッション数をチェックしていた時、境内の砂利を踏む、心許ない足音が聞こえた。
顔を上げると、山門のところに老夫婦が立っていた。二人とも、長年着古したような地味な服を着ている。特に印象的だったのは、おじいさんの方が、両手で大事そうに大きな紫色の風呂敷包みを抱え込んでいることだった。その形と大きさで、僕にはすぐにピンときた。
——骨壺だ。
「いらっしゃいませ。新政寺へようこそ」僕はすかさず営業スマイルを張り付け、立ち上がった。最初の生客だ。絶対にクロージングしてみせる。
「あの……ここに、お墓の看板が出ていたもんで」おばあさんが、すまなそうに小さく頭を下げた。
「はい!当寺が新しくご提案する『プレミアム樹木葬』ですね。どうぞ、こちらへ」
客殿へ案内し、お茶を出す。老夫婦は、佐藤さんと名乗った。夫の正さんは、頑なに風呂敷包みを膝の上から離そうとしない。僕はすかさず、色鮮やかに印刷したパンフレットを広げた。
「当寺の樹木葬は、豊かな自然に囲まれた最高のリラクゼーション空間をご提供します。価格は80万円。管理費は一切不要で、後継者がいらっしゃらなくても、私どもが責任を持って永代にわたりご供養いたします。今なら日当たりの良い一等地をご案内できますが、いかがでしょう?」
我ながら完璧なプレゼンだ。相手の「跡継ぎがいない」「管理が大変」という潜在的ニーズを的確に突いている。だが、佐藤さん夫婦の反応は、僕の予想とは違っていた。
正さんはパンフレットの「800,000円」という数字をじっと見つめ、それから、深く、重い溜息をついた。
「……やっぱり、それくらいはするよなぁ」
「おじいさん、私たちの手持ちじゃあ、とても……」妻のフミさんが、夫の袖を悲しそうに引っ張る。
「あの、もしご予算に不安があるようでしたら、分割払いのご相談にも乗りますが」
営業マンの習性で、僕はすかさず代案を提示した。しかし、正さんは首を横に振った。
「いや、違うんだ、お坊さん。金がないわけじゃない。……いや、ないんだが、そういう問題じゃなくてな。私たちはな……本当は、お墓なんていらないんだ」
お墓はいらない。その言葉に、僕は一瞬、言葉を詰まらせた。じゃあ、なぜ骨壺を持ってここに来たんだ?
「お墓なんて建てたって、誰も参りに来てくれん。私たちには、跡継ぎがおらんから。……いや、いたんだがな」
正さんは、膝の上の風呂敷包みを、愛おしそうに撫でた。
「五年前にな、一人息子を病気で亡くしてな。三十路前だった。それからずっと、この子の骨は家の仏壇に置いてあったんだ。毎日、顔を見て、声をかけてな。寂しくはなかった。お墓なんて建てて、冷たい地面の下に一人ぼっちにさせるなんて、可哀想でできなかったんだ」
フミさんが、静かに涙を拭った。
「だけどな、私たちももう、がんを患って長くない。私たちが二人とも死んじまったら、この子の骨はどうなる?誰にも顧みられず、ゴミのように捨てられちまうのか?そう思ったら、夜も眠れなくてな……。お墓はいらない、ずっと一緒にいたい。だけど、私たちが死んだ後のこの子の行き先を、見つけてやらなきゃならん。それで……」
正さんの声が震えていた。彼らが探していたのは、自分たちの入るステータスのあるお墓ではない。自分たちがこの世を去った後、残される「愛する息子」の、永遠の居場所だったのだ。
「80万か……。私たちの全財産をはたけば、なんとか払える。だけど、それを払っちまったら、私たちの葬式代も、私たちが死んだ後の骨を収める場所も、何も残らん。……やっぱり、無理だったな。行こう、婆さん」
正さんは立ち上がろうとした。
僕の頭の中で、西新宿のロジックが警報を鳴らす。
(ターゲット層の購買力不足。案件としては失注だ。ボランティアをしている余裕はない。2億円の借金があるんだぞ。次、次の客を探せ)
だけど——。僕の足は、動かなかった。
営業マン時代、僕は「顧客の課題を解決すること」に命をかけてきた。目の前の顧客が、人生最大の課題に直面して、泣いている。それを「金にならないから」と切り捨てるのが、僕の誇った『一流の仕事』だったのか。それに、何より。膝の上の骨壺を死に物狂いで守ろうとする正さんの姿が、僕を「お寺の子」として拒絶し続け、それでも最後まで僕を待ち続けて死んだ、あの頑固な父親の背中と、どうしようもなく重なって見えてしまった。
「……待ってください、佐藤さん」
気がつけば、僕は声をかけていた。「雅英?」お茶を替えに来た母が、目を見開いて僕を見る。僕は母を一瞥し、それからまっすぐに老夫婦を見据えた。
「ビジネスマンとして、一つ提案をさせてください」
「提案……?」
僕はノートパソコンを引き寄せ、新しい画面を立ち上げた。
「当寺の樹木葬【木漏れ日の詩】は、一区画80万円です。これは『一人の埋葬』を前提とした価格設定です。ですが……もし、同じ区画に、ご家族が共に眠る形にするなら、オペレーションコストはそれほど変わりません」
僕はキーボードを叩き、その場で新しい規約を打ち込んだ。
「特例を設けます。息子さんの埋葬料として、まず今、お二人の手元にあるだけの金額、そうですね……20万円を内金としていただきます。これで、息子さんの永代供養の権利は確定です。当寺が責任を持って、未来永劫、この子を守ります。ゴミになんて、絶対にさせません」
老夫婦が息を呑む。
「精度を高めるために、残りの60万円は、お二人の『生命保険の受取人』を新政寺に指定していただく、あるいは遺言信託の形をとる。お二人が天寿を全うされた後、その保険金から残金を精算させていただきます。もちろん、お二人も、息子さんと同じ木の根元に、一緒に埋葬させていただきます。死ぬまで、いえ、死んだ後も、ずっと三人一緒です。これなら、今の手元資金を失うことなく、お二人の葬儀も、その後の供養もすべて解決します」
これは、金融ソリューションを応用した、お寺版の「リバースモーゲージ(自宅を担保にした老後資金調達)」だ。寺としては、キャッシュの回収は遅れるが、将来的な売上は確定するし、何より三体分の供養を一件の区画で処理できるため、実質的な利益率は悪くない。
「そんな……そんな都合の良いことが、できるのかね……?」
正さんが、信じられないというように目を見開いた。
「できます。僕が住職ですから。当寺のルールは僕が決める」
僕は法衣の袖をパッと翻し、不敵に微笑んだ。
「お墓は、ただの石の箱じゃありません。残された人の不安を無くし、逝く人の尊厳を守るための『システム』です。佐藤さん、僕に、息子さんの未来をコンペさせてください。絶対に、後悔はさせません」
フミさんが、声を上げて泣き崩れた。正さんも、風呂敷包みを抱きしめたまま、ポロポロと大粒の涙を畳にこぼした。
「ありがとう……ありがとう、お坊さん。この子を……この子を、よろしくお願いします……」
何度も何度も頭を下げる老夫婦を見送りしながら、僕は深く息を吐き出した。
「雅英」
後ろから、母の温かい声がした。振り返ると、母はどこか嬉しそうに目を細めていた。
「あなた、やっぱりお父さんの子ね。やってることは難しくてよく分からないけど……お父さんも、困った人が来ると、すぐにああやって、決まりなんて無視して助けちゃってたわ」
「一緒にするなよ」
僕はぶっきらぼうに言って、パソコンを閉じた。
「僕はビジネスとして、確実な将来債権を確保しただけだ。非合理な親父の真似をしたわけじゃない」
そう言いながらも、僕の胸の奥は、東京で一億円の契約を勝ち取った時よりも、ずっと熱く、激しく波打っていた。手に入れた内金は、20万円。2億円の借金に対して、あまりにも微々たる数字だ。だが、泥にまみれた法衣の重みが、ほんの少しだけ、心地よく感じられ始めていた。
「さあ、一件落着だ。……って、ん?」
スマートフォンの画面を見た僕は、硬直した。新政寺の樹木葬のホームページに、一件のメッセージが届いていた。
『伝統ある新政寺の境内で、ふざけた商売を始めるな。即刻中止せよ。さもなくば、檀家総出でそちらに乗り込む』
差出人は、長老檀家。どうやら、僕の目の前には、借金よりも先に、面倒な「お墓戦争」の壁が立ちはだかっているらしい。




