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第六章 箱根と紅葉 (前編)

あの日から、何かが変わった気がしていた。

何が、とは言えない。ただ、宗平の名前を聞く

たびに、胸の奥の反応が、少しだけ速くなっていた。


宗平との軽いランチの後。

コーヒーの湯気が、二人の間にゆるく立ちのぼっている。

宗平が、まるで思いついたかのように言う。

「紅葉を見に行きませんか」

みさとはカップを持ったまま、瞬きをする。

「実は箱根の方へ出張で。重要な案件も片付いたので、

二、三日休もうかと。どうですか」

唐突なのに、不思議と無理がない。

宗平の誘いは、いつもそうだった。

「涼子さんも一緒ですか?」

ほんの少しの確認。ほんの少しの牽制。

「いえ。今回は身内みたいな所なんで、僕一人で」

その言い方に、みさとの胸が小さく鳴る。

「三日後、箱根湯本駅で待ち合わせ。十時で」

「何時ですか?」と聞いた自分が、

もう行く前提でいることに気づき、みさとは内心で驚いていた。


当日の朝。

鏡の前で、みさとはひとり忙しい。

女性慣れしているくせに、女が支度に時間がかかることを

分からないのかしら。

ぶつぶつ言いながら、なぜか口元は緩んでいる。

新幹線に揺られ、いつになく早起きしたせいで、

うとうとする。

目を閉じるたび、宗平の顔が浮かぶ。

会える嬉しさと、まだ隣にいないもどかしさで、

時間の進み方がおかしい。

箱根湯本駅に着くと、宗平はベンチに座って

スマートフォンを操作していた。

上から覗き込むように、みさとが声をかける。

「何してるの?」

「おはよう。ちょっと会社にね」

そう言って立ち上がると、自然な流れで荷物を

コインロッカーに預ける。

箱根登山鉄道に乗り、強羅方面へ。

運転手と車掌が前後を入れ替わるスイッチバック。

急勾配をゆっくりジグザグに登っていく。


塔ノ沢を過ぎ、出山鉄橋で列車が一時停止する。

眼下には早川の渓谷。古い鉄橋。燃えるような紅葉。

山を抜ける風が頬をなでる。

気づけば、二人の手は自然に重なっている。

「来て良かったですね」

宗平の言葉に、みさとはただ頷く。


彫刻の森美術館駅で降り、歩いてすぐの広大な敷地へ。

野外のオブジェに触れ、挨拶し、並んで写真を撮る。

大きな花びらが歩いているような彫刻の横で、みさとは

思いきり足を上げて行進の真似をする。

宗平が、楽しそうにシャッターを切る。

目玉焼きのようなオブジェに寝転び、空を仰ぐ。

笑い声が、やけに澄んでいる。

中央にそびえる「幸せのシンフォニー」。

ステンドグラスの塔の中の螺旋階段を登ると、

七色どころではない光が、身体の中まで差し込んでくる。

頂上から見える箱根の山並みと園内の景色に、

しばらく言葉を失う。

歩き疲れて、二人で足湯に腰かける。

誰もいないのをいいことに、みさとが足で

お湯をぱしゃぱしゃさせる。

宗平の目が細くなる。

強羅からタクシーで箱根美術館へ。

本館は斜傾地に立っているので二階が入口で、入ってみると

大きな窓から外輪山と海まで見渡せる、明るい空間。

眼下には神仙郷庭園。

苔の緑に、真紅の紅葉が降り積もる幻想。

宗平の手が、みさとの肩をそっと抱く。

みさとは、拒まない。

一階の展示室。縄文の火焔土器。

炎の形をした土器が、なぜか胸の奥の熱と重なって見える。

庭園に降り、腕を組んでゆっくり歩く。

萩の道。苔の絨毯。頭上を覆う色とりどりの紅葉。

まるで、世界ごと二人を包んでいるみたいだ。

美術館を出て、田むら銀かつ亭へ。

豆腐かつ煮をほおばる宗平は、子供のように満足そう。

それでも足りず、箱根そば五代福庵へ。

鴨南蛮と稲荷を美味しそうに食べる宗平を見て、

みさとは横から一口もらう。

「ほんとだ、美味しい」

食べる姿に、なぜか胸が温かくなる。

ホテルに着く頃、空からぽつり、ぽつりと

雨が落ち始めていた。

予報にはなかった、小さな雨。


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