■涼子がみさとを詰める
宗平の会社のロビー階。
ガラス張りのラウンジ。人の出入りはあるのに、
声は届かない半個室の空間。
受付で待っているみさとの前に、涼子が現れる。
仕事の顔。微笑み。けれど目が笑っていない。
「少し、お時間よろしいですか?」
向かいに座る。
脚を組む。視線を外さない。
前置きなし。
「あなたたち、どうなってるの?」
意味が分からず、みさとの瞬きが増える。
「もう、繋がってるの?」
一瞬、呼吸が止まる。
「……え?」
「そのままの意味です」
声は静か。刺すように静か。
みさとの頬が、みるみる赤くなる。
それを見て、涼子の目が細くなる。
「まだ、なんですね」
確信。
「気をつけた方がいいですよ」
少しだけ身を乗り出す。
「あの人、本気になったら、あなた、逃げられません」
みさとの喉が鳴る。
「もう、かなり奥まで入ってますよ」
言い切って立ち上がる涼子。
ヒールの音だけが残る。
みさとが動揺する
頬が熱い。コンパクトを取り出して、自分の顔を見る。
赤い。 心臓がうるさい。
(まだ……って何?)
(どうして私、あんな顔したの?)
否定しようとするたびに、
吊橋、雷、浴衣、背中の視線…断片がよみがえる。
思い出したくない記憶が、勝手に浮かぶ。
「違う……」
誰に言い訳しているのか分からない。
けれど一つだけ、はっきりしてしまった。
もし宗平が本気になったら、私は拒み切れる?
その問いに、答えが出ない。
それが何より怖い。
涼子が去った後。
みさとはしばらく動けず、ラウンジのソファに腰を落としたまま、
呼吸を整えていた。
その時。
「あれ、宗平のところのお嬢さんかな?」
柔らかな声。
顔を上げると、品のある初老の男性が微笑んでいる。
「伯父の宗治です」
そう言って、向かいに腰を下ろした。
「その後どうだい?」
「よくして頂いてます」
当たり障りのない返事。
会話が途切れかけて、みさとは口を開いた。
「珍しいお名前ですね」
宗治は少し目を細めた。
「宗平の宗に、治めるの治。宗治です」
「あ、宗平さんの"宗"は、伯父さまのお名前から?」
「いや……そういうよりね」
ゆっくりと言葉を選ぶ。
「うちは宇多源氏の流れでね。支流の先祖、宗清から、
代々“宗”の字を継いできたんです」
みさとは静かに聞いている。
「ところが長男が生まれた時、姓名判断師に言われましてね。
“宗は重すぎる。一生苦労する字だ”と」
小さく笑う。
「我が身と先祖を振り返ると、妙に当たっていてね。
だから子供達には付けなかったんです」
少し間。
「それを妹の喜美子が、“もったいない”と言って次男に
付けてしまった」
目を伏せる。
「酷な人です」
みさとは何かが胸に落ちるのを感じる。
「宗平さんが、ご自身を“わたし”と仰るのは……?」
言ってから、しまったと思う。
宗治は少し遠くを見る。
「小さい頃の宗平は、驚くほど可愛かったんです」
微笑みが滲む。
「姉たちが、お人形のように可愛がりましてね。お下がりを着せて
、姉妹ごっこをして」 静かな声。
「宗平が“僕”と言うと、違うの、“わ・た・し”って」
みさとの背筋に、ぞくりとしたものが走る。
「特に三つ上の麻美とは、仲が良すぎた」
言葉を濁す。
「妙な噂が立ちましてね。」と宗治はふと目を伏せた。
「それで宗平は乳母を連れて別居したんです」
そして。
「その姉も、乳母も、二年前に亡くなった」
沈黙。
「それからですよ。宗平の奔放な振る舞いが始まったのは」
顔を上げる。
「男が“私”って、少し変でしょう?」
みさとの頭に、言葉が次々浮かぶ。
("僕は写真に写りませんよ"。"僕は大食らいですから")
あれは、何だったのだろう。
宗治はハッとした顔になる。
「いかん。余計なことを」
立ち上がる。
「早く、麻美の亡霊から解き放たれて欲しいんですよ。僕は」
去っていく背中。
みさとは動けない。
涼子の言葉が蘇る。
もう、かなり奥まで入ってますよ
これは。
私が知らない宗平だ。
そして同時に。
誰よりも、私だけが近づいている宗平なのかもしれない。
⬛真斗が刺す
夜。喫茶店。
向かいに座る真斗が、珍しく真顔。
「なあ」
みさとはまだ涼子の言葉を引きずっている。
「お前さ」
コーヒーを置く音。
「もう、あいつに女の顔してるぞ」
心臓を掴まれたような感覚。
「なに言って……」
「分かるんだよ。長いから」
視線が鋭い。
「好きになってる自分に、気付いてないだけだ」
言葉が出ない。
「だから危ないって言ってんだ」
静かな声。
責めていない。
ただ事実を告げる声。
「お前、もう戻れないところまで行ってる」
その一言が、みさとの中に落ちる。
涼子の言葉と、真斗の言葉が、同じ場所を刺す。
逃げ場がなくなる。




