■涼子の一手②
パーティー会場。若い経営者たちが中心の集まりだ。
隣にいるのは涼子。
入って間もなく、宗平は悪友の忠司にばったり出くわす。
涼子の姿を見るなり、忠司はにやりと笑った。
「この間の娘はどうした?」
「俺はあの娘の方が……」
言い終わる前に、忠司の腕を妻の小百合がきつくつねる。
「痛っ」
小百合はにこやかな笑顔のまま言う。
「私は涼子さんの方がお似合いだと思うわ」
そのまま悪友の腕を取って、別の輪へと引っ張っていく。
宗平は小さくため息をついた。
やがて、あちこちでワイン談義が始まる。
産地や年、香りの話。月並みな話題なのに、
涼子がいるだけで場が華やぐ。
横にいる同伴の女性たちの不機嫌そうな表情が、
かえって涼子の機嫌をさらに良くする。
宗平が小声で言う。
「少し、杯が進み過ぎじゃないか?」
「だって、楽しいんだもの」
悪びれもせず、グラスを傾ける涼子。
パーティー会場を後にしたとき、涼子はわずかに足元を乱した。
「大丈夫か?」
「酔ったフリをするつもりが、少し酔ってしまったみたい」
くすりと笑う。
「部屋をとってくれます?」
宗平は一瞬だけ彼女を見る。
「……分かった」
それ以上は何も言わず、フロントへ向かった。
涼子はその背中を見つめながら思う。
計算通りのはずなのに、少しだけ、本当に酔っている自分が
いることに気づいていた。
ホテルの部屋に入ると、宗平はいつもの手際で涼子を椅子に座らせ、
冷たい水を差し出した。
「少し休め」
それだけ言って、窓際に立つ。
涼子は水を一口飲み、グラスをテーブルに置いた。
わざとゆっくり。視線を外さない。
「専務って、こういう時、本当に慣れてますよね」
宗平は振り向かない。
「秘書が酔うのは仕事に差し支える」
「私、秘書ですか? 今も?」
柔らかい声。責めない。問いかけるだけ。
返事はない。
涼子は立ち上がる。ふらつくふりをして、宗平の背後に回る。
香水ではない。自分の体温を近づける距離。
「私、今日ずっと楽しかったんです」
背中越しに話す。顔を見せないのは計算。
「専務の隣にいると、皆が羨ましそうに見るから」
宗平は小さく息を吐く。
涼子は続ける。
「みさとさんが居ないと、やっぱり、少し違いますね」
わざと名前を出す。
沈黙。
それを確かめるように、そっと宗平の腕に触れる。
強くない。逃げられる強さ。
「私じゃ、駄目ですか?」
宗平の肩が、わずかに動く。
涼子は一歩前に回り込む。
視線を合わせる。逃げ場を作らない角度。
「仕事も、生活も、全部知ってるのは私です」
少し笑う。
「癖も、好みも、弱いお酒も」
宗平の表情が初めて曇る。
涼子は確信する。
声を落とす。
「私なら、楽ですよ」
その言葉と同時に、思わず宗平に抱きついてしまう。
計算のはずだった。
距離も、間も、順序も。
でもその瞬間だけ、計算ではなくなった。
宗平の胸に顔を埋めた自分に、涼子自身が一番驚いていた。
宗平の手が、ゆっくりと涼子の手をほどく。
乱暴ではない。拒絶でもない。
ただ、静かに。
「……会計は済ませておきますから」
それだけ言って、背を向ける。
涼子の腕が、宙に残る。
その背中を見た瞬間、宗平の脳裏に浮かんだのが、
みさとの顔だと、なぜか分かってしまった。
胸の奥が、熱くなる。
悔しいのでもない。恥ずかしいのでもない。
もっと原始的な感情。
誰にも渡したくない。
その感情に気づいた瞬間、涼子は愕然とする。
「……えっ」
小さな声が漏れる。
「私、おんなだったんだ」




