第一章 見合いの瞬間 二人だけの場面①
襖が閉まる。
遠くで、誰かが食器を片付ける音がした。それだけが聞こえた。
みさとは、膝の上で指を組んだまま動かない。
宗平は湯呑を手に取り、口はつけなかった。
沈黙が、部屋の形をなぞるように広がっていく。
「……改めて」
先に口を開いたのは宗平だった。
「今日はありがとうございます」
「こちらこそ」
みさとは軽く首を振る。丁寧だが、媚びていない。
その区別を、宗平は一瞬で読んだ。
また、間が落ちる。
宗平は湯呑をゆっくりと置いた。
音を立てないように、ではなく、ただ自然に。
その所作を、みさとは視界の端で追っていた。
「聞いてもいいですか」
「何をです」
「緊張していますか」
みさとは少しだけ間を置いた。置いてから、答えた。
「していません」
「そうですか」
宗平は何も言わない。否定もしない。ただ、少しだけ口元が動いた。
笑ったのか、そうでないのか、みさとには判断できなかった。
(……読めない)
初対面の男に抱く感想としては奇妙だったが、
それ以外の言葉が出てこなかった。
若い。見た目は確かに若い。
けれど、この男の静かさは、年齢から来るものではない。
どこかで、何かを、相当量、処理してきた人間の静けさだった。
「単刀直入に言いますね」
宗平が言った。
「この縁談、あなたにとっては時間稼ぎですよね」
みさとのまつ毛が、わずかに揺れた。
揺れたが、視線は逸らさなかった。
「……否定はしません」
「でしょうね」
「こちらも似たようなものです」
そう言って、少しだけ身を乗り出す。距離が詰まる。みさとは動かない。
「母は僕を矯正したい。あなたは家を守りたい」
一拍。
「お互い、目的は恋愛じゃない」
みさとは宗平を見ていた。
(そうだ)と思った。その通りだった。
なのに、この男の口から言われると、少しだけ違う
質感を持って耳に届いた。何かを確定させられたような、落ち着かなさ。
「だからこそ」
宗平が続ける。
「やりやすい」
「……そういうものですか」
「ええ。余計なものが入らない分、ずっと」
余計なもの。
みさとはその言葉を、胸の中で一度転がした。
宗平の視線が、みさとの指先に落ちた。
膝の上で、指がわずかに固まっているのを、見ていた。
(……完全に冷静というわけでもない)
そのことに、宗平は何も言わなかった。
「条件の話を、してもいいですか」
みさとが言った。
「どうぞ」
「形式上の婚約。期間は三ヶ月」
「短いですね」
「長引かせると、お互い不都合が増えます」
宗平は少し考えた。本当に考えているのか、考えているふりをしているのか、
やはりみさとには測れなかった。
「いいでしょう」
あっさりと言った。
「ただし、一つ追加を」
「何ですか」
宗平は、ほんの少しだけ声を落とした。
「その間、恋人らしく振る舞うこと」
空気が、ぴたりと止まる。
みさとは宗平を見た。宗平も、みさとを見ていた。
どちらも、視線を外さなかった。
「……必要ですか」
「周囲を納得させるには」
「それだけですか」
一瞬の間があった。
宗平は答えなかった。代わりに、軽く肩をすくめた。その軽さの中に、
答えが隠れている気がした。隠されているのか、最初からないのか、
みさとにはまだ、わからなかった。




