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17/30

■交錯編(出張の夜/残された側)

――遠い街、夜。

ホテルの一室。

大きな窓の外に、見知らぬ夜景。

宗平はネクタイを緩める。

「はあ……」

短く息を吐く。

珍しく、疲れが見える。

「先方、随分強気でしたね」

涼子が資料を閉じる。

ヒールを脱ぎ、足を組む。

仕事の顔のまま。

「条件は悪くない」

宗平はソファに沈む。

「向こうも必死なんでしょう」

一拍。

静かな空間。

「……飲みます?」

涼子がミニバーに手を伸ばす。

「軽くなら」

グラスに注がれるのは、ウイスキー。

氷が鳴る。グラスを渡す。

指が、一瞬だけ離れない。

宗平は気づかない。

いや――気づいていて、流す。

グラスを受け取った後、涼子は少し間を置いた。

距離は、近すぎず、遠すぎず。

少しだけ、声を落とす。

「なんで、あの人なんですか?」

宗平の手が、止まる。

「あの人?」

「みさとさん」

名前を出す。

沈黙。数秒。でも重い。

「別に……理由なんて」

宗平は視線を外す。

(逃げた)

涼子はそう思う、でも追わない。

「そう」軽く流す。

その代わり、少しだけ距離を詰める。


「じゃあ」低い声。

「私でもいいじゃないですか」

空気が変わる。

宗平は、ゆっくりと顔を上げる。

目が合う。

涼子も、逸らさない。

宗平が、口を開く。

「仕事に支障が出ます」

静かな拒絶。

でも、完全じゃない。

涼子は、ふっと笑う。

「それだけ?」

一歩、さらに近づく。

「プライベートは?」

距離が、危なくなる。宗平は動かない。

「……線は引いてます」

「誰に?」

一瞬、答えない。それが答え。

涼子の目が、細くなる。

(やっぱり、あの人か)

でも、引かない。

「じゃあ」涼子が耳元に近づく。

「越えたら、どうなるんですか?」

その距離その声。

宗平の指が、わずかに動く。

でも――

「……ここまでにしておきましょう」

静かに、距離を取る。

涼子は、一瞬だけ悔しそうに目を伏せる。

(……あと一歩)

でもすぐに、笑う。

グラスの氷が、また鳴る。


――同じ夜、別の場所。

小さな喫茶店。

閉店間際。

みさとは、カップを両手で包んでいる。

向かいには、真斗。

「……で?」

低い声。

「いつまで続けるんだ」

逃げ場のない問い。

「三ヶ月って言ったでしょ」

「その後は?」

詰まる。

考えてなかった。

いや――考えないようにしてた。

「終わるよ」

やっと出た言葉。

真斗が、じっと見る。

「本当に?」

その視線。

疑ってる。

(……なんで)

胸がざわつく。

「何それ」

少しだけ強くなる。

「信じてないの?」

真斗は、ため息をつく。

「信じたいよ」

一拍。

「でもさ」

視線が、まっすぐになる。

「お前、顔変わった」

心臓が止まる。

「……何それ」

「前はさ」

ゆっくりと言う。

「そんな顔で、あいつの話しなかった」

完全に見抜かれている。

(……違う)

否定したいのに、言葉が出ない。

沈黙。

「なあ」

真斗が言う。

「本当に、何もないのか?」

同じ問い。

でも、意味が違う。

(……ない)

はず。

でも。

吊り橋、雷。

あの視線、あの距離。

全部が、よぎる。

「……ないよ」

遅れる、ほんの少し。

その“間”を、真斗は見逃さない。

静かに、笑う。

「そっか」

でもその目は、全然笑ってない。

■クロス終点

遠いホテルの一室。

涼子が、窓の外を見る。

(まだ、足りない)


カップを持つみさと。

(……本当に?)

そして。

その中心にいる宗平は――

何も言わず、

ただ、目を閉じている。



■出張編・夜の続き(踏み込み)

ホテルの部屋。

氷が、グラスの中でゆっくり溶けていく。

さっきまでの会話は、もう終わっているはずなのに――

どこか、終わっていない。

涼子は窓際から離れない。

夜景を背にして、振り向く。

「さっきの続き、いいですか」

軽い声。

でも逃げ道はない。

宗平はソファに座ったまま、

グラスを指で回している。

「……どうぞ」

涼子は、歩く。

ゆっくり。

「線、引いてるって言いましたよね」

距離が、また一歩近づく。

「はい」

「その線」

涼子の指が、空中をなぞる。

見えない境界を描くように。

「どこにあるんですか?」

宗平は答えない。

代わりに、グラスを置く。

「……越えない場所に」

涼子が、ふっと笑う。

「曖昧ですね」

そして。

そのまま――

ソファの肘掛けに、軽く腰を預ける。

近い。

近すぎる。

「教えてあげましょうか」

宗平が、わずかに顔を上げる。

「何をです?」

涼子は、少しだけ首を傾けてから答えた。

「越え方」

一瞬。

空気が止まる。

涼子の手が、宗平のネクタイに触れる。

ほどくわけでもない。

引くわけでもない。

ただ――

そこに触れているだけ。

「こういうの」

指先が、ほんの少しだけ動く。

宗平の呼吸が、わずかに変わる。

(……まずい)頭では分かる、でも体が、一瞬遅れる。

涼子は、それを見逃さない。

「今、動揺しましたよね」

囁く。

宗平は、すぐに目を逸らす。

「してません」

「嘘」

即答。

そして。

さらに一歩。

今度は、真正面。

「ねえ」

声が、低くなる。

「なぜ、あの人なんですか」

さっきと同じ問い。

でも。

今は距離が違う。

温度が違う。

宗平は、答えない。

答えられない。

代わりに、別の言葉が出る。

「……あなたは」

涼子が、わずかに首を傾ける。

「危ない人だ」

一瞬。

静寂。

そして――

涼子が笑う。

「今さら?」

指先が、ネクタイから離れる。

でも。

その代わりに――

宗平の胸元を、軽く押す。

ほんの少し。

ほんの少しだけ、体が後ろに沈む。

「でも」

涼子の目が、まっすぐに刺さる。

「嫌いじゃないでしょ?」

宗平の喉が、わずかに動く。

否定が、出ない。

その“間”。

涼子の目が、細くなる。

(捕まえたーー)

でも、次の瞬間。

宗平が、手を取る。

強くはない。

でも、確実に。

「……それ以上は」

静かに、離す。

「やめておきましょう」

声は落ち着いている。

でも。

さっきより、低い。

涼子は、その手を見ている。

(止めた)

(でも――遅い)

ゆっくりと、立ち上がる。

「いいですよ」

軽く言う。

「今日は、ここまでにしておきます」

振り向く。

「でも」

少しだけ横目で見る。

「線、揺れましたよ」

ドアへ向かう。

「次は、越えます」

静かに扉が閉まる。

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