■温泉旅行編(帰還〜現実の衝突)
駅に着いたその足で宗平の実家に行く。
玄関を開けると――
「えらく早かったね」
喜美子の声。
その一言に、みさとの胸がわずかに揺れる。
宗平が一歩前に出る。
「みさとさんの親友が事故に遭われて、心配されていたので」
さらりと説明する。
「そうかい」
喜美子は一度だけ頷き、すぐに視線をみさとへ向ける。
「部屋は、気に入ったかい?」
――あの夜。
雷、距離、触れかけた温度。
一瞬で蘇る。
みさとの頬が、ぱっと熱を帯びる。
視線が泳ぐ。
その様子を見て、喜美子はわずかに口元を緩める。
仲居の報告が、頭をよぎる。
そして、いつになく柔らかい声で言う。
「疲れただろう。今日はもう帰って、ゆっくり休みな」
その言葉に押されるように、みさとは頭を下げる。
外に出ると、空気が違う。
みさとはそのまま、足早に病院へ向う。
病室。
カーテンを開ける。
ベッドの上の加奈子が、顔を上げる。
「ごめんね!大丈夫だった?」
開口一番、そう言った。
(……それ、私が言うべき言葉だけど)
みさとは思いながら、ベッドの傍に立つ。
「で、怪我の具合はどうなの?」
「丈夫が取り柄だけどね」
加奈子は笑う。
「さすがに車には勝てなかった」
軽口に、少しだけ安心する。
「それより――」
言いかけたその言葉を、みさとは遮る。
「紳士的な人だったから」
少しだけ間を置いて。
「……大丈夫だった」
(本当は、危なかったけど)
その言葉は飲み込む。
「それに、お互い相手がいる身だし」
加奈子は、ほっとしたように息を吐く。
「そっか……よかった」
その時。
「おーい、頼まれたの買ってきたぞ」
低く、よく通る声。
振り返ると、真斗が立っていた。
大きな体。
その存在感だけで、空気が変わる。
みさとを見るなり、眉をひそめる。
「どこ行ってたんだ?」
声が、病室に響く。
みさとは思わず身を固くする。
「……ちょっと」
「こんな時に、何やってんだよ」
責めるような口調。
「どうしても外せない用事があって」
咄嗟に出た言葉。
(……こんな時に、どんな用事よ)
自分で自分に突っ込む。
だが真斗は、それ以上は追及しなかった。
「ほら」
大きな箱を差し出す。
中にはシュークリーム。
加奈子の目が輝く。
一つ取って渡すと、嬉しそうに頬張る。
その様子に、空気が少し和らぐ。
しばらくして、病室を出る。
廊下。
「ちょっと話がある」
真斗が、みさとの腕を軽く引く。
院外の喫茶店へと引っ張られるまま、みさとはついていった。
向かい合う二人。
やがて真斗が口を開く。
「見合いした相手と、旅行に行ったらしいな」
低い声。
責める響き。
みさとは一瞬だけ目を逸らす。
「父の工場のことで……」
事情を説明する。
相手の立場。
融資の話。
「だから、大丈夫」
言い切る。
そして、顔を上げる。
「それ、誰に聞いたの?」
「相手の会社に知り合いがいる」
短く答える。
「ずいぶん女たらしらしいな」
さらに詰める。
みさとは、わずかに眉を寄せる。
「そんなことないわ」
即座に否定する。
「……紳士的よ」
「それにしても……」
真斗が言葉を探す。
「危ないだろ」
その一言。
守りたいのか。
責めたいのか。
自分でも分かっていない声。
沈黙が落ちる。
みさとは立ち上がる。
「……疲れたから、帰るね」
「送る」
「いい」
即答。
「先方の人に見られたら困るから」
理由をつける。
本音は言わない。
家に帰ると、空気が違った。
「聞いたわよ!」
伯母の声。
妙に明るい。
「融資、始まるって!」
まるで自分のことのように嬉しそうにしている。
みさとは靴を脱ぐ手を止める。
「それで式はいつにするの?」
矢継ぎ早に言葉が飛ぶ。
「ちょっと待って」
思わず言う。
「交際は三ヶ月の約束よ」
その言葉に、伯母は顔を寄せる。
そして、小さく耳打ちする。
「お腹が大きくなってからじゃ、いろいろ大変でしょう?」
一瞬。
意味が、理解できない。
「……え?」
頭の中が、白くなる。
温泉の夜。
雷。
触れかけた距離。
(……どうなってるの)
みさとは、ただ立ち尽くしていた。




