劇場
大きく広いフロントには、いつの間にか愉快なサーカスのような音楽が流れ出していた。
天井から吊るされた色とりどりの照明がゆっくりと回り、壁際ではピエロ姿の精霊たちが忙しそうに動き回っている。広い空間のあちこちから、楽しそうな笑い声や話し声も聞こえてくる。
俺はフロントを見渡しながら、隣にいるアルに声をかけた。
「アル、これ……人来てんのか?」
「うーん、初日だからなあ。まだこれからじゃない?」
アルがそう答えた、そのときだった。
入り口にあるワープゾーンから、一人の女の人がふっと姿を現した。
突然現れた女性は、目を丸くしてフロントを見渡す。巨大な空間、奇妙な設備、そしてそこら中を歩き回るピエロたち。
どう見ても普通の場所ではない。
女性は戸惑ったように周囲を見回していたが、やがて俺の姿に気づいた。
俺が人間だからだろうか。
少し安心したような表情を浮かべ、ゆっくりとこちらへ近づいてくる。
「あの……ここは……」
女性が口を開く。
しかし、その先の言葉が続かない。
「……」
俺も何か言おうとした。
けれど、精霊たち以外の者としゃべるのが久しぶりだった俺は、緊張で体がこわばってしまった。
喉がうまく動かない。
言葉が出てこない。
「……あ……」
結局、声にならない。
すると、すかさずアルがおどけた声を上げた。
「ここは、世界のエンタメが楽しめる魔法の劇場です!」
「え……?」
アルは両手を広げ、まるで舞台の上に立つ役者のように笑った。
「よかったら、ご覧になっていってください!」
そして、どこから取り出したのか公演表をパッと広げる。
「えーっと……次の公演は、ホログラム『ロミオとジュリエット』ですね!」
「ロミオと……ジュリエット……?」
「はい! きっと楽しめますよ!」
アルが公演表を女性へ差し出す。
女性はそれを受け取ったものの、少し困った顔をした。
「でも……私、あまりお金がないの……」
「大丈夫ですよ!」
アルは即答した。
「劇場の公演は、お金がかかりませんから!」
「えっ?」
「こちらです!」
アルは女性をぐいぐいと劇場のほうへ連れていく。
俺も慌ててその後を追った。
劇場の入り口とは反対側には、また別のワープゾーンが設置されていた。
さっきの入り口よりも大きく、青白い光が渦を巻いている。
アルが女性に説明する。
「お客様、館内にあるすべてのワープゾーンは、行きたい場所を願うだけで、その場所へ向かうことができます!」
「願うだけで……?」
「そうです!」
「もし……怖くなったら?」
「怖がって逃げたいって思うと、入ってきた扉に出ちゃいます!」
「えっ……」
「だから怖がらないでくださいね!」
アルは笑顔のままワープゾーンを指差した。
「今回は劇場ですので、『劇場』って思い浮かべてください」
女性は不安そうにワープゾーンを見る。
「……本当に大丈夫なんですか?」
「大丈夫です!」
アルが胸を張る。
「それじゃあ、いきますよ!」
俺たちはワープゾーンの中へ入った。
一瞬、身体がふわっと浮くような感覚がした。
そして――
空気が変わった。
気がつくと、俺たちは劇場前のフロントに立っていた。
「……!」
女性も無事にワープできたらしい。
自分の身体を確認しながら、驚いたように目を瞬かせている。
「本当に……移動した……」
「でしょう?」
アルが得意げに笑った。
俺たちはそのまま劇場の扉を開けた。
すると――
「おっ……」
どうやら、もう公演が始まっていたようだ。
劇場内は薄暗く、客席の上には無数の小さな光が浮かんでいた。まるで夜空そのものが天井に広がっているようだ。
舞台には巨大な街並みが映し出され、その中央で二人の人物が向かい合っている。
建物も、月明かりも、風に揺れる木々まで本物と見間違えるほど精巧だった。
女性は息を呑む。
「これは……なんで、こんなところで劇が……」
アルが小声で答えた。
「ふふ……魔法です」
女性はしばらく舞台を見つめていた。
やがて、その表情から緊張が消えていく。
そして、物語に引き込まれるように静かに客席へ座った。
それから俺たちは、度々やってくるお客様をマジックショーやバンドのライブ、ジャズのライブ、演劇など、いろいろな公演へ案内した。
どのお客さんも、最初は同じように驚いていた。
けれど、しばらくするとみんな舞台に釘付けになっていた。
笑う人。
息を呑む人。
音楽に合わせて身体を揺らす人。
初めて来たはずなのに、帰るころには「また来たい」と笑っている人もいた。
それを見ていると、俺も少しだけ嬉しくなった。
「アル……」
「ん?」
「ここ、本当に劇場になってるんだな」
「うん!」
アルは嬉しそうに笑った。
しばらくして――
「アル、ちょっと疲れたなあ……」
「そうだね」
「ぐぅぅ……」
静かなフロントに、俺の腹の音が響いた。
「……」
アルが俺を見る。
「お腹空いたね」
「……うん」
「ここ、レストランもやってるんだよ」
「レストラン?」
「そう。もう今日は切り上げて食べに行こ!」
そう言うと、アルはいつもの姿へ変身した。
「ワープ! レストランに!」
俺たちはワープゾーンへ飛び込んだ。
次の瞬間――
目の前に現れたのは、まるで巨大な海賊船の内部をそのままレストランにしたような空間だった。
「……すげー!」
思わず声が出る。
壁も床も天井も、ほとんどが温かみのある木材で作られている。
太い木の梁が天井を横切り、そこから古びたランタンがいくつも吊り下げられていた。
壁には大きな舵輪。
その隣には古びた剣や望遠鏡、コンパス。
さらに、航海図のような大きな地図が壁一面に貼られている。
テーブルは分厚い木でできていて、椅子も一つ一つ形が違う。
床には船の甲板を思わせる板が敷かれ、壁際には木樽がいくつも積まれている。
樽の横には小さな宝箱まで置いてあった。
「これ、本物の宝箱?」
「そうだよ」
「中身は?」
「秘密!」
アルが笑う。
天井を見ると、古い船の帆が大きく張られている。
その帆には、このレストランのマークなのか、笑ったピエロの顔が描かれていた。
さらに奥には大きな丸窓が並んでいる。
その窓の外には、青い海が広がっていた。
波がゆっくりと揺れ、魚の群れが泳いでいる。
遠くには島まで見える。
もちろん本物の海ではない。
けれど、あまりにもリアルだった。
「すげー! 海賊の酒場みたいな世界だよ!」
「どう? 気に入った?」
アルは満足そうに辺りを見渡した。
「こだわって作ったんだ」
「これ、絶対好きな人いるだろ」
「でしょ?」
アルは嬉しそうに笑う。
「さあ、メニューをどうぞ」
「ああ、ありがとう」
渡されたメニューは、普通のレストランのものとは違っていた。
分厚い革の表紙に、金色の文字で料理名が書かれている。
開いてみると――
「うわ……」
世界中のいろんな料理が載っていた。
日本料理、洋食、中華、インド料理、南国料理。
デザートもケーキ、アイス、プリン、パフェと、とにかく種類が多い。
「豊富すぎるだろ……」
どれにするか迷っていると、ふと目に入った。
「おっ、カレーライスがあるみたいだ」
「カレー?」
「うん。今日はカレーにしよう」
アルはメニューを覗き込む。
「じゃあ僕はケーキセット!」
「お前、夕飯がケーキなのかよ」
「いいじゃん!」
そんな話をしていると、こちらの合図に気づいたらしい。
ピエロに変身している精霊が、こちらへ駆け寄ってきた。
「オーナー就任、おめでとうございます!」
「お、おう」
「王! レストランもぼちぼちお客様が来ています!」
精霊が店内を指差す。
見ると、何組かのお客さんがテーブルについていた。
海賊船のような内装を楽しみながら、料理を食べたり、談笑したりしている。
「そうか」
俺は店内を見渡した。
まだ空いている席のほうが多い。
でも、これからだ。
「まだまだ増えるからね。頑張ろう」
「はい!」
精霊は元気よく返事をした。
「ご注文は、カレーライス、ケーキセットですね! お待ちください!」
そう言って厨房へ走っていく。
そして――
30秒も経たないうちに、注文した料理が運ばれてきた。
「おい……ちょっと早すぎないか?」
俺の前には湯気の立つカレー。
アルの前には色とりどりのケーキと紅茶。
「もうできたの?」
「うん」
「いや、早すぎだろ……」
俺が驚いていると、アルが笑った。
「ああ、あれは魔法のランチョンマットで準備してるから、すぐ出てくるんだ」
「ああ、前に劇場で食事したときにワープして現れる、あれか」
「そうそう」
「……あれ、ほんとに大丈夫なのか?」
するとアルは突然、真面目な顔になった。
「あれはね、取り込んだ食材をアステロの法則でメレスに変換して、異空間で100メレのエネルギーを加えて、時間変化100ピタの倍数で――」
「……」
俺は完全にポカンとしていた。
「……ごめん」
アルが申し訳なさそうに笑う。
「簡単に言うと、これはいろいろな廃棄される野菜や小麦なんかを取り込んで、食べ物の原子に変えて、いろんな料理に変えられるマットなんだ」
「……」
「だから怪しいものじゃないよ!」
「そうか。よく分かんないけど、大丈夫なんだな」
「うん!」
アルは笑顔になる。
「だから食べよ!」
俺はスプーンでカレーをすくい、一口食べた。
「……うまっ」
思わず声が漏れる。
スパイスの香りが広がり、肉も柔らかい。
「これ、絶品じゃん」
「でしょ?」
「旨ければ何でもいいな!」
俺たちは笑いながら食事を続けた。
海賊船のような店内には、食器の音や楽しそうな会話が響いている。
ランタンの明かりが木の壁を照らし、窓の向こうでは青い海がゆっくりと揺れている。
仕事の疲れも、少しずつ抜けていくようだった。
俺たちはしばらく、仕事終わりのゆっくりとした時間を過ごした。
やがて食事を終える。
「うまかったな。いくら?」
「大丈夫、もう支払ってるから」
「え?」
俺は財布を取り出そうとする。
「今からだろ?」
「ふふ」
アルは楽しそうに笑った。
「この劇場ではね、持っている財産を登録して、ピエロっていう独自通貨に変換してるんだ」
「独自通貨?」
「うん。それに、何かを買うときは自動でピエロで支払われるんだ!」
「へえ……」
「だから僕のピエロで払っておいたよ!」
「おいおい、また規格外だなあ」
俺は呆れながらも笑った。
「ありがとう。俺も働いたら、また奢るよ」
「ありがとう!」
アルは嬉しそうに笑う。
「でも、すぐ貯まると思うよ?」
「え?」
「劇場で稼いだお金は、すべてリクのだからね!」
「……え?」
「もちろん、仲間たちにもちゃんと給料はあげてるけど」
俺はしばらく黙っていた。
「……俺って、本当にオーナーなんだ」
「そうだよ」
アルが笑う。
「リクには、ちゃんとオーナーとして働いてもらうからね」
「……オーナーか」
俺はもう一度、レストランの中を見渡した。
木で作られた壁。
天井から吊るされたランタン。
壁に飾られた舵輪や剣。
楽しそうに食事をする客たち。
そして、忙しそうに働く精霊たち。
少し前まで、ここは何もなかった。
それが今では、ちゃんと人が集まって、笑って、食事をしている。
まだ始まったばかり。
これから、もっとたくさんの人が来るのだろう。
「……なんか、不思議だな」
俺が呟くと、アルが隣で笑った。
「うん」
「俺、本当にこんな場所のオーナーになったんだな」
「だから言ったでしょ?」
アルは楽しそうに立ち上がった。
「リクの劇場は、まだ始まったばかりだよ!」
その言葉が、静かなレストランの中に響いた。
俺は少しだけ笑った。
――そうだ。
まだ、始まったばかりなんだ。




