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始まり

「アル……ごめんな。みっともないとこ見せて」


アルは、ゆっくり首を横に振った。


「ううん。ごめんね、急にいろんな話をして……」


「……多分、最初の俺だったら信じられなかったと思う」


俺は少し笑った。


「ここまで待ってくれて、ありがとう。でも……まだ心を手放せないんだ。もう少しだけ、待ってくれ」


「うん。焦らなくていいよ」


「おう」


少し空気が軽くなったところで、俺は舞台を見た。


「でもさ、アル。舞台だけ用意しても、演奏してくれる人がいなきゃ意味ないぜ?」


「ふふ。精霊魔術はすごいんだよ」


アルは楽しそうに立ち上がった。


「テラスに二階席とテーブルがあるから、行こう?」


俺はアルについていき、二階席のテーブルに腰を下ろした。


するとアルが、懐から何かを取り出した。


「……おまっ、スマホもあるのかよ!」


「うん?」


アルは何でもないことのようにスマホを操作する。


そして、舞台の上に淡い光が集まり始めた。


光は次第に人の形へと変わり、何人もの演奏者と椅子が浮かび上がる。


輪郭が少しずつ鮮明になっていく。


髪の一本一本まで見えるようになり、衣服の皺まで再現されていく。


やがてそこに立っていたのは――どう見ても、本物の人間だった。


「……アル。ピンス・オーケストラ!?」


「うん」


「なんで!?」


「ホログラムだよ。録画なんだ」


アルはスマホを操作しながら説明する。


「販売されているDVDの映像をホログラム処理して、立体化してるんだ」


「いや、それだけでこんな……」


「楽器から出ている音も、元の演奏から再現してる。時間の情報から細かい部分まで引き出して、本物と同じくらいの情報量にしてるんだよ」


「……よく分かんないけど」


俺は舞台を見つめた。


「本物と同じってことか?」


「そういうこと」


そして、演奏が始まった。


俺は思わず息を呑んだ。


――本物だ。


そう思ってしまうほど、音が生々しかった。


弦の震えも、管楽器の息遣いも、ホールに広がる残響も。


俺は目を閉じ、すべての音を聴き逃さないように耳を澄ませた。


「リク……?」


返事をしない。


「ねえ、リクってば」


「……ん?」


「どうしたの?」


「ごめん。聞き惚れてた」


アルは小さく笑った。


「聞くのもいいけど……ご飯を食べながら聞かない?」


「飯なんて……精霊に取ってきてもらわないと――」


「大丈夫だよ」


アルはテーブルを指差した。


「おすすめのパスタでいい?」


「どこにパスタなんて――」


その瞬間、アルがテーブルに敷かれていたランチョンマットへ手をかざした。


淡い光が走る。


次の瞬間。


そこには、湯気の立つカルボナーラと焼きたてのパン、それに温かなスープが並んでいた。


「……なんだこれ」


俺は目を丸くする。


「本物か?」


アルは笑いながらパンを一口かじった。


「食べられるよ」


「……じゃあ」


俺も手を合わせる。


「いただきます」


パスタをフォークで巻き取り、口へ運ぶ。


「……うまっ!」


思わず声が出た。


「アル、これうまいなあ!」


「ふふっ」


「精霊が取ってきてくれる四つ目の魚もうまいけどな!」


「はいはい。ゆっくり食べて」


アルが笑う。


その横顔を見ながら、俺は気づいた。


こいつは、俺に演奏を聴かせるだけじゃなくて、食事まで用意してくれていたんだ。


「アル……ありがとう」


「いいよ。僕がしたくてしたんだ」


アルは少し照れたように目を逸らす。


「お礼なんて……恥ずかしいよ」


その顔は、少しだけ誇らしそうだった。


――かわいい。


そう思ったけれど、口には出さなかった。


俺たちはしばらく、食事をしながら演奏を楽しんだ。


やがて最後の音が静かに消えていく。


「……はあ」


俺は深く息を吐いた。


「素晴らしいクラシックだった」


そして、舞台を見ながら呟く。


「俺だけが聞くなんてもったいないな」


「……」


「ほかの人にも、聞かせてやりたい」


その瞬間、アルの表情が険しくなった。


「それは……」


「?」


「それは、君を傷つけた世界の人たちにも?」


俺はしばらく答えられなかった。


けれど、やがてゆっくり口を開いた。


「……きっと、あいつらにも同じような苦しみがあるんだと思う」


「……」


「誰にも助けてもらえなくて、世界を恨んで……そして、一番許せないのは自分自身だったりする」


俺は舞台を見つめた。


「でも、音楽とかエンタメって……そういうものを越えていく力があると思うんだ」


「……」


「芸術そのものに罪はない」


少しだけ笑う。


「憎んでる相手にも、素晴らしいものを共有したいって思うことはあるんだよ」


アルは驚いたような顔で俺を見る。


けれど、何も言わなかった。


ただ、静かに微笑んだ。


その沈黙が、不思議と心地よかった。


否定もしない。


無理に答えを出そうともしない。


ただ隣で、俺の言葉を聞いてくれている。


俺はそんなアルの隣で、もう一度舞台へ目を向けた。

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