どこへ
閑静な住宅街。
俺がこの街を飛び出して、ピエロランドで過ごすようになってから、もうすぐ一年が経とうとしていた。
そして今日、俺はこの街に戻ってきた。
見慣れた道を歩き、かつて暮らしていた我が家の前までやってくる。
ポストには手紙が溜まりっぱなしになっていて、庭には草が生い茂っていた。
「あちゃー……一年もいなかったら、そうなるか……」
苦笑しながら、玄関の前に立つ。
鍵を開け、ドアをゆっくりと開いた。
「……ただいま」
誰もいない家に、俺の声だけが響いた。
中へ入った瞬間、懐かしい匂いがした。
実家の匂いだ。
けれど――
もう、口うるさかった母はいない。
優しかった父もいない。
父は自分で会社を経営していて、昔の俺は何不自由なく暮らしていた。
けれど、二人が亡くなってから会社を畳むことになった。
残っていた支払いを済ませると、貯金もほとんどなくなった。
最後に残った大きな財産が、この家だった。
俺は家の中を見回す。
どこも埃っぽい。
「掃除しなきゃなぁ……」
久しぶりに戻ってきた家を、少しずつ掃除していく。
そして、あらかた綺麗になったところで、俺はソファーにどさっと腰を下ろした。
「疲れたぁ……」
そのままふんぞり返るように背もたれへ身体を預ける。
俺はテーブルの上に置いていた通帳を手に取った。
ページを開く。
「……貯金、六十二万かぁ」
思わずため息が出る。
「これで、しばらく生活しなきゃなあ……」
これからどうするのか。
仕事をするのか。
この家で暮らしていくのか。
まだ何も決めていなかった。
ピエロランドでは、そんなことを考える必要なんてなかった。
食事もある。
寝る場所もある。
毎日誰かがそばにいて、何かしらやることがあった。
だけど、ここではそうはいかない。
「……はぁ」
通帳を閉じて、ソファーに放り投げる。
そして、ふと天井を見上げた。
「……なんでアル、追いかけてくれないんだよ」
誰もいない部屋で、恨み言をこぼす。
「普通、ちょっとくらい心配するだろ」
自分でも無茶苦茶なことを言っていると思う。
俺が勝手に出てきただけだ。
それでも――
「……追いかけてきてくれてもよかったじゃん」
口では文句を言いながら、頭の中に浮かぶのはアルの顔だった。
一緒に飯を食べたこと。
くだらないことで喧嘩したこと。
アルが呆れた顔をしていたこと。
そして、何でもないように俺の隣にいてくれたこと。
「……アル」
名前を呟いた途端、胸の奥が少しだけ苦しくなった。
「……会いたいな」
さっきまで文句を言っていたくせに。
結局俺は、アルのことばかり考えていた。
そのときだった。
「ピコン」
スマホが鳴った。
画面を見ると、ピリカからメッセージが届いていた。
『リクどこにいるの?!』
『リクがいなくなったって、みんな大騒ぎなんだよ?』
「……ごめん、ピリカ」
俺は返信する。
『俺、いま実家に帰ってるんだ』
すぐに返事が来た。
『そうなんだ、帰ってくるんだよね?』
俺は少し考えてから答えた。
『まだ決めてない……』
しばらくして、またメッセージが届く。
『なんで……』
そして、
『明後日休みだから、会わない?』
『僕、そっちまでいくよ??』
「来てくれるのか?」
思わず声が出た。
ピリカがわざわざ、この街まで来てくれる。
『じゃあ、来てよ』
『この街、案内したい』
俺たちは待ち合わせ場所や時間を決め、詳細を送り合った。
そして、明後日会うことになった。
――二日後。
「リクー! お待たせ!」
待ち合わせ場所に現れたピリカが、元気よく手を振っている。
「ピリカ、久しぶり!」
「久しぶりって、まだ二日だよ?」
「そうだなあ。なんか、久々に会うみたいで」
「ふふっ。変なの」
ピリカは笑う。
「それより、旨いケーキ屋があるんだ。行こう!」
「えっ、ケーキ! 行く行く!」
俺たちは昔からあるケーキ屋へ向かった。
「うわあ、すごいお洒落な店ー!」
店内に入ったピリカが、目を輝かせる。
「父さんと母さんと、昔よく来てたんだ」
店内を見渡しながら、俺は少し懐かしい気持ちになった。
「それでさ、今の時間に来ると焼きたてのアップルパイが食えるんだぜ」
「えー、おいしそう! 僕もそれにする!」
俺たちは席につき、香り立つ紅茶と焼きたてのアップルパイを前にした。
アフタヌーンティー。
「いただきます」
俺はアップルパイを一口口に入れる。
「……うまい!」
サクッとした生地に、熱々のリンゴの甘さが広がる。
「やっぱりここの店のアップルパイは絶品だ」
「なにこれ、めちゃくちゃおいしい!」
ピリカも嬉しそうに頬張っている。
「うまい!」
俺ももう一口食べる。
「……うまいよな」
そう呟いたところで、ふとアルのことを考えてしまった。
目の前にこんなに旨いものがあるのに、自然と顔が曇る。
それを見たピリカが、ぽつりと言った。
「……なんで喧嘩しちゃったの?」
「え?」
ピリカが核心を突いてくる。
「う、うん……実は……」
俺はアルと喧嘩したことを話した。
「なにそれ」
ピリカは呆れたような顔をする。
「リクもうっかりだけど、ちゃんと謝ってるのにつめたくされるの?」
「……うん」
「大人気ないなあ」
「……だよな?」
「それに、仲直りできるように腕輪をあげたんでしょ?」
「ああ」
「それを魔術で気を引こうとしてるって?」
「そう言われた……」
ピリカはしばらく考えたあと、突然「あっ」と声を上げた。
「ははーん」
「なんだよ?」
「仕事もしないで、腕輪ばっかり眺めてるって噂になってたの、それかあ」
「……え?」
「嬉しかったなら、素直になればいいのにね」
「……そうなのか?」
胸の奥が、少しだけ温かくなった。
アルは本当は、腕輪を喜んでくれていたのかもしれない。
そう思うと、さっきまでの寂しさが少しだけ和らいだ。
するとピリカが、何気なく言った。
「王もリクの居場所知ってるなら、早く迎えに行けばいいのにね」
「えっ?」
俺は顔を上げた。
「どこにいるか、ばれてるのか?」
「うん。スマホにGPSついてるからね」
「……」
一瞬、言葉が出なかった。
(あ……知ってて、来てくれないのか……)
さっきまで温かかった胸が、また少し冷たくなる。
「リク、大丈夫だよ」
ピリカが優しく言う。
「王は昔から、素直じゃないところがあるからね」
「……そうかな」
そのとき、
「ぷるるるるる……」
ピリカのスマホが鳴った。
「あっ、リクごめん。電話だ。ちょっと外行ってくるね」
「おお」
ピリカが席を立ち、店の外へ出ていく。
俺は一人になったテーブルで、アップルパイをもう一口食べた。
「……うまい」
そのときだった。
「君がお兄ちゃんのお気に入り?」
「えっ?」
突然、背後から声がした。
振り返る。
そこには――
一人の少年が立っていた。
年齢は十五歳くらいだろうか。
その顔は、あまりにもアルに似ていた。
「……アル?」
思わず名前が口から漏れる。
少年は冷たい目で俺を見る。
「お兄ちゃんと間違えるなんて、目が節穴だね」
「……お兄ちゃん?」
俺が戸惑っていると、少年は薄く笑った。
「やっぱり君は、お兄ちゃんのじゃまものだ」
「……何言って――」
少年が一歩近づく。
「来てもらうよ」
「え?」
次の瞬間――
視界が歪んだ。
「な、なんだこれ……!」
景色が水面のように揺らいでいく。
「ワープ……!?」
身体が引っ張られるような感覚。
「待――」
ガタンッ。
床にスマホが落ちた。
そして――
俺の姿は、そこから消えた。
しばらくして、ピリカが店内へ戻ってくる。
「リク! お待たせ!」
返事がない。
「……リク?」
辺りを見回す。
「トイレかな?」
けれど、どこにもいない。
テーブルの上には、食べかけのアップルパイ。
椅子もそのまま。
そして床には、リクのスマホが落ちていた。
「……え?」
ピリカの顔から笑顔が消える。
待てども、リクは戻ってこない。
「すみません!」
ピリカは店員に駆け寄った。
「ここにいた黒髪の男の人、見てませんか?」
「え? いえ……見てないですね」
「そんな……」
おかしい。
荷物も置いたまま。
スマホまで落として。
自分からどこかへ行ったなら、こんなことになるはずがない。
ピリカの直感が、嫌な警告音を鳴らしていた。
その瞬間、頭の中に一つの言葉が浮かび上がる。
――陰謀論者は、光の王を探していますよ。
――派手にやると目をつけられますので、お気をつけて。
博多で出会った、風の精霊の言葉。
「……まさか」
ピリカの顔が青ざめる。
「リクを……人質に?」
考えた瞬間、居ても立ってもいられなくなった。
「知らせなきゃ!!」
ピリカは慌てて店を飛び出した。
向かう先は――ピエロランド。
そして、アルのもとだった。




