2日
2日目
ワープゾーンに足を踏み入れた瞬間、視界が一瞬だけ白く染まった。
次に目を開けると――。
「……うわぁ」
そこは、のどかな田舎町だった。
目の前には広々とした田んぼが広がり、その向こうには緑に覆われた山々が連なっている。小さな川には澄んだ水が流れ、川沿いには古い木造の家々が並んでいた。
少し先には、昔ながらの商店街も見える。
「すごい……」
昨日の遊園地とは、まるで別世界だ。
遠くからは鳥の声が聞こえ、風に揺れる稲がさらさらと音を立てている。
「リク、どう?」
隣を見ると、アルが嬉しそうに笑っていた。
「……なんか、落ち着くな」
「でしょ?」
アルは満足そうに頷いた。
「今日はここで、ゆっくり田舎を楽しもう!」
俺たちは並んで、のどかな町の中へ歩き出した。
「昨日、ちゃんと食べてなかったから……お腹空いたね」
アルが自分のお腹を押さえながら言った。
そういえば、昨日は遊園地で遊ぶことに夢中で、まともに食事をしていなかった。
「確かに腹減ったな」
俺がそう答えると、アルはにっこり笑った。
「じゃあ、家に行こうか?」
「……家?」
俺が聞き返すと、アルは俺の手を取った。
「うん! 行こ!」
「お、おい。どこ行くんだよ」
「いいから、ついてきて!」
アルは楽しそうに俺を引っ張っていく。
連れていかれたのは、田舎の風景によく馴染んだ、古い一軒の古民家だった。
「アル、ここは?」
俺が尋ねると、アルは何でもないことのように答えた。
「大丈夫、大丈夫」
そう言うと、アルは我が物顔で玄関の扉を開けた。
「ただいまー!」
「……ただいま?」
俺が戸惑っていると、家の奥から小さなおばあさんが出てきた。
「ああ、アル。リク、いらっしゃい。ほら、早く上がって」
「ただいま、おばあちゃん!」
アルは嬉しそうに返事をする。
俺はアルの袖を引っ張った。
「アル……この人、誰なんだ?」
すると、おばあちゃんは俺を見て、くすっと笑った。
「久しぶりに来たと思ったら、変な子だねぇ。ほら、早く上がりなさい」
それだけ言うと、おばあちゃんは奥へと戻っていってしまった。
「……なんなんだ、ここ」
俺が呆然としていると、アルが楽しそうに笑った。
「ふふ。リク、ここはね、おばあちゃんの家で暮らす体験ができる宿泊施設なんだよ」
「じゃあ、あのおばあちゃんも……」
「うん。ホログラム」
「……すごいな」
「行こう!」
アルはすっかり自分の家のような顔で、居間へと上がっていく。
「おい、勝手に……」
そう言いながらも、俺も諦めて後を追った。
畳の匂いがする居間には、古いちゃぶ台と座布団が置かれていた。
しばらくすると、おばあちゃんが麦茶を持って戻ってくる。
「はい、どうぞ。喉が渇いたでしょう」
「ありがとう、おばあちゃん」
アルは嬉しそうに麦茶を受け取る。
俺も一口飲む。
冷たい麦茶が、遊び疲れた身体に染み渡った。
「おばあちゃん……僕、お腹すいたから朝ごはんほしいなあ」
アルが甘えるように言う。
すると、おばあちゃんは待ってましたと言わんばかりに笑った。
「アル、そう言うと思って、ちゃんと用意してあるよ」
「ほんと!?」
アルの顔がぱっと明るくなる。
やがて、台所から味噌の香りが漂ってきた。
「……いい匂いだな」
思わず俺が呟く。
しばらくすると、おばあちゃんが料理を乗せたお盆を持って戻ってきた。
「お待たせ。朝ごはんだよ」
ちゃぶ台に並べられたのは、炊きたての白いご飯。
そして、じゃがいもと玉ねぎの入った味噌汁。
焼き魚に、だし巻き卵、漬物や小さなおひたしまで添えられている。
「うわぁ……!」
アルの顔が一気に明るくなる。
「いただきます!」
俺も手を合わせる。
焼き魚を一口食べる。
「……うまい」
昨日は遊ぶことに夢中で、ほとんど何も食べていなかった。
そのせいか、温かいご飯と味噌汁が妙に身体に染みる。
「リク、この煮物もおいしいよ!」
アルは嬉しそうに煮物を頬張っている。
「ほんとだな」
「ほら、二人とも。ご飯のおかわりもあるからね」
「じゃあ、俺もらおうかな」
「僕も!」
おばあちゃんの笑い声と、俺たちの声が、古い家の中に温かく響いた。
朝ごはんを食べ終わり、しばらくゆっくりしていると、アルが突然立ち上がった。
「リク、今から川に行かない?」
「うん、いいけど……川もあるのか?」
「そうだよ! 川もあるし、魚もいるよ!」
「へえ……」
本当に何でもあるんだな。
アルはおばあちゃんの方を向いた。
「おばあちゃん、川に行くから自転車借りてもいい?」
「いいわよ。裏にあるから持っていきなさい。気をつけてね」
「はーい!」
俺たちは家の裏へ回った。
そこには古い自転車が一台置いてあった。
「……一台しかないぞ?」
俺が言うと、アルは当たり前のように自転車にまたがった。
「リク、前でいいよね?」
「二人乗りするのか? 落ちるなよ?」
「大丈夫。この世界は怪我しないシステムになってるから!」
「そういう問題かよ……」
俺が前に座ると、アルが後ろに乗った。
「それじゃあ、まず商店街に水中メガネを買いに行こう!」
「わかった。行くぞ」
アルが俺のお腹に手を回す。
「チリンチリン……」
俺はペダルを踏み込んだ。
古い家々の間を抜け、田んぼの横を走っていく。
風が気持ちいい。
昨日の遊園地とはまったく違う、ゆっくりとした時間が流れていた。
やがて、昔ながらの商店街が見えてきた。
木造の店や小さな商店が軒を連ね、店先には野菜や果物が並んでいる。
俺たちは自転車を降り、商店街を歩き始めた。
しばらくすると、スポーツ用品や水遊び道具を扱っている小さな店を見つけた。
「ここじゃない?」
アルが店先を覗き込む。
中に入ると、水中メガネや浮き輪、網、バケツなどが並んでいた。
「おっ、あった!」
アルが水中メガネを手に取る。
「リク、これにしよう!」
「いいんじゃないか?」
「じゃあ、僕はこれ!」
アルが青い水中メガネを選ぶ。
そして、もう一つを俺に渡してきた。
「リクはこれね!」
「……俺も?」
「うん! お揃い!」
「またお揃いかよ……」
「だめ?」
アルがこちらを見上げる。
「……いや、いいけど」
「やった!」
アルは嬉しそうに笑った。
そのまま店の中を見ていると、アルが別の商品を見つけた。
「リク! これも持っていこうよ!」
「それ、網だろ」
「うん! 魚捕まえるの!」
「本気で捕まえる気なのか?」
「だって魚いるんでしょ?」
「まあ……いるらしいけど」
アルは網を抱えたまま、さらにバケツまで手に取った。
「これも!」
「おいおい、そんなに持っていくのかよ」
「川遊びなんだから、いっぱいあったほうが楽しいよ!」
結局、水中メガネに網、バケツ、それから川で食べるためのおにぎりとラムネまで買うことになった。
店を出ると、アルは満足そうに荷物を抱えている。
「準備できたね!」
「……ずいぶん増えたな」
「ふふ。じゃあ、川に行こう!」
俺たちは自転車のところまで戻った。
荷物を積み、俺が前に座る。
アルが後ろに乗ると、また俺のお腹に腕を回した。
「じゃあ、出発!」
「はいはい」
「チリンチリン……」
ベルの音を響かせながら、俺たちは商店街を抜け、川へ向かう田舎道を走り始めた。
しばらく自転車を走らせると、木々の向こうから水の流れる音が聞こえてきた。
「リク! 川、近いよ!」
アルが後ろから嬉しそうに声を上げる。
「ほんとだな」
道を曲がると、目の前に大きな川が現れた。
山から流れてきた水は驚くほど透き通っていて、川底の石まで見える。
「うわ……綺麗だな」
川岸には木陰があり、ところどころに大きな岩が転がっている。
「ここなら魚も見つけられそう!」
アルはさっそく水中メガネを取り出した。
俺たちは水着に着替え、川へ向かった。
「冷たっ!」
足を水につけた瞬間、思わず声が出る。
「ふふ、気持ちいいね!」
アルは楽しそうに川の中へ入っていく。
俺も続いて水に入る。
ひんやりとした水が身体を包み、昨日の遊園地で疲れた身体が少しずつほぐれていく。
「リク、泳いでみよう!」
アルが先に水へ身体を沈める。
「気持ちいいー!」
そのままアルは水の中をすいすい泳いでいく。
「おい、待てよ!」
俺も水に身体を浮かべ、アルを追いかける。
「リク、速い!」
「お前が先に行ったんだろ!」
二人で川を泳ぎながら、時々水をかけ合う。
「冷たっ!」
「ふふふ!」
「こら!」
笑い声が川に響いた。
しばらく泳いでいると、アルが川岸の大きな岩を指差した。
「あそこから飛び込めるよ!」
「……飛び込むのか?」
「うん!」
アルは岩に登って、下を覗き込む。
「大丈夫なのか?」
「大丈夫! この世界は怪我しないから!」
「それでも怖いだろ……」
「じゃあ、一緒に飛び込もう!」
アルが俺の手を掴む。
「せーの!」
「ちょ、待っ――」
二人の身体が岩から離れた。
「うわぁぁぁ!」
そのまま水面へ――。
バシャーン!
大きな水しぶきが上がった。
「……ぷはっ!」
水面から顔を出すと、アルが隣で大笑いしている。
「ふふふ! リク、びっくりした?」
「お前、急すぎるんだよ!」
「でも楽しかったでしょ?」
「……まあな」
俺も思わず笑ってしまう。
その後も俺たちは、何度も泳いだり、岩から飛び込んだりして遊んだ。
少し休んでは魚を探し、浅瀬では網を使って魚を追いかける。
「リク、あそこ!」
「どこだ?」
「石の下!」
覗き込むと、小さな魚が何匹も泳いでいた。
「ほんとだ。綺麗だな」
「捕まえてみよう!」
「またやるのかよ」
アルは網を持って魚を追いかけ始める。
俺も笑いながら、その後を追った。
気がつけば、二人ともすっかり夢中になっていた。
夕方になり、俺たちは川から上がった。
「今日はいっぱい遊んだな」
「うん!」
買ってきたラムネを飲みながら、俺たちは川のせせらぎを眺めた。
昨日は遊園地で思いっきり遊んだ。
そして今日は、山と川に囲まれた田舎で、思いっきり身体を動かしている。
「……こういうのも、いいな」
俺が呟くと、アルが笑った。
「うん。僕、こっちも好き」
「俺もだな」
俺たちは自転車に乗り、古民家へ戻った。
「ただいまー!」
玄関を開けると、奥からおばあちゃんの声が聞こえてきた。
「おかえり。川は楽しかったかい?」
「うん! すっごく楽しかった!」
アルが嬉しそうに答える。
俺も靴を脱ぎながら頷いた。
「ああ。泳いだり、飛び込んだり、魚を探したりしてきた」
「それはよかったねぇ」
おばあちゃんは優しく笑った。
「二人とも濡れてるし、疲れただろう? ご飯を作ってるから、その間にお風呂に入りなさい」
「お風呂?」
「もう沸いてるからね。二人で入っておいで」
「ありがとう、おばあちゃん!」
俺たちはお風呂場へ向かった。
古民家の奥にある引き戸を開けると、昔ながらのお風呂があった。
脱衣所には木の棚と籠が置かれ、壁や天井も年季の入った木造りになっている。
浴室には大きな木の浴槽があり、湯気がゆっくりと立ち上っていた。
「うわ……」
思わず声が出る。
「すごいな。旅館みたいだ」
「ふふ。古民家のお風呂体験だからね!」
窓の外には小さな庭があり、竹や木々が風に揺れている。
浴槽に張られたお湯からは、ほんのり木の香りがする。
「川で冷えたから、これは気持ちよさそうだな」
「うん!」
俺たちは身体を洗い、ゆっくりと湯船に浸かった。
「はぁ……」
思わず息が漏れる。
川で泳いだり飛び込んだりして疲れた身体が、温かいお湯に包まれていく。
アルも隣で気持ちよさそうに目を細めた。
「……なんか、おばあちゃんの家って感じするね」
「そうだな」
窓の外からは、夕方の虫の声が聞こえてくる。
昨日の遊園地とはまるで違う、静かで穏やかな時間だった。
お風呂から上がって居間へ戻ると、ちゃぶ台の上には夕飯がずらりと並んでいた。
炊きたての白いご飯に、焼き魚、野菜の煮物、漬物。
それに、具だくさんの味噌汁まで用意されている。
「わぁ……!」
アルが嬉しそうな声を上げる。
「今日はたくさん遊んだんだろう? いっぱい食べなさい」
おばあちゃんが笑いながら、二人の前にご飯をよそう。
「ありがとう、おばあちゃん!」
「いただきます」
俺とアルは手を合わせ、箸を取った。
焼き魚を一口食べる。
「……うまい」
朝ごはんも美味しかったが、一日中泳いだり走ったりした後だからか、今はさらに美味しく感じる。
「リク、この煮物もおいしいよ!」
アルは嬉しそうに煮物を頬張っている。
「ほんとだな」
味噌汁を飲むと、身体の奥まで温まっていく。
窓の外はすっかり暗くなり、虫の声が静かな夜の古民家に響いていた。
「こういう夕飯もいいな」
俺が呟くと、アルが笑った。
「うん。なんだか本当に田舎のおばあちゃんの家に来たみたい」
「……まあ、確かに」
「ほら、二人とも。ご飯のおかわりもあるからね」
「じゃあ、俺もらおうかな」
「僕も!」
おばあちゃんの笑い声と、俺たちの声が、古い家の中に温かく響いていた。
夕飯を食べ終えると、おばあちゃんが優しく声をかけてきた。
「今日は疲れたでしょ。布団を敷いたから、もう寝なさい」
「おばあちゃん、ありがとう。おやすみなさい」
「おやすみ」
用意されていた布団は、さらさらとしていて、とても気持ちよかった。
電気を消して布団に入る。
「チリン……チリン……」
開け放った縁側から風鈴の音が聞こえてくる。
涼しい夜風が部屋の中へ吹き込み、畳の匂いと一緒に身体を包んでいく。
しばらくすると、すっかり静かになった。
――と思った、そのとき。
「リク……もう寝ちゃった?」
俺は返事をせず、寝たふりをする。
「……」
ガサゴソ……。
すると、布団の中に温かいものが入り込んできた。
……アルだ。
アルは俺の布団に潜り込み、丸くなって俺に寄り添ってくる。
「ねえ、リク……起きてるんでしょ?」
「はぁ……もう、なんだよ」
俺は目を開ける。
「赤ちゃんじゃないんだから、一人で寝ろよ」
「僕はお兄ちゃんと一緒に寝たいの」
「はぁ……手のかかる弟だな」
俺が呆れたように言うと、アルは嬉しそうに俺の隣で丸くなった。
「ふふ」
アルの温かさを感じていると、不思議と眠気が強くなってくる。
「……まあ、いいか」
俺たちは本当の兄弟のように寄り添いながら、静かに目を閉じた。
チリン……チリン……。
風鈴の音と、涼しい夜風。
古民家の静かな夜が、ゆっくりと俺たちの間を流れていった。
――翌朝。
「もう帰っちゃうのかい?」
玄関先で、おばあちゃんが少し寂しそうに笑っている。
「おばあちゃん、ありがとう。また来るね!」
「お世話になりました」
「アル、リク。またいつでもいらっしゃい」
「うん!」
俺たちは手を振りながら、温かな古民家を後にした。
しばらく歩いたところで、俺はアルに尋ねた。
「なあ、アル。おばあちゃんも……この世界が終わったら消えちゃうのかな?」
アルは少しだけ笑って、首を横に振った。
「ううん。AIだからって、消えたりしないよ。ちゃんとずっと残ってる」
「そうなのか?」
「うん。次に来たときも、また会えるよ」
アルはそう言って、優しく笑った。
「触れあった温もりだって、本物なんだ」
「……そっか」
俺はもう一度、古民家の方を振り返った。
「よかった」
そう呟いて、俺たちは次の場所へ向かって歩き出した。




