もう一度
精神的な疲れもあってか、俺は長い眠りについていた。
「……もう昼過ぎかあ」
目を覚ますと、いつものようにスマホへ手を伸ばす。
アルとは、毎日のように「おはよう」「おやすみ」と連絡を取り合っていた。
けれど――今日は、アルからの連絡がない。
「……そりゃ、そうだよなあ」
俺は小さく呟いて、スマホを置いた。
せっかくの昼間だ。
少しでも光を浴びようと、玄関のドアを開ける。
「ん?」
そこに、何かが置かれていた。
湖で採れたのだろうか。
四つ目の魚が数匹、きれいに並べられている。
そういえば、アルからランチョンマットをもらって、俺が好きなものを自由に食べていることを、精霊たちは知っている。
そのせいか、最近では食べ物をプレゼントしてくれることも、すっかりなくなっていた。
だからこそ、不思議だった。
そして次の日。
玄関を開けると、今度は山で採れたらしいフルーツが置かれている。
「……誰だあ?」
俺は首を傾げた。
そして、その次の日。
今度こそ誰が持ってきているのか確かめようと、俺は玄関の近くで待ち構えることにした。
しばらくすると――
「がた……ガサゴソ……」
物音が聞こえた。
来た。
俺はそっと扉を開ける。
「……アル」
そこにいたのは、やっぱりアルだった。
アルは俺に背を向けたまま、立ち去ろうとしている。
「お前だったのか」
アルは振り返らない。
何も言わず、一歩踏み出して、そのまま去ろうとする。
「待て!」
俺はアルの手をつかんだ。
「アル……話をしよう。中に入れよ」
「ちょっ……リク」
俺はそのままアルの手を引き、半ば強引に部屋の中へ連れていった。
「アル、どうしてたんだ?」
俺はアルの顔を見る。
「連絡もくれないし……。この前は俺もムキになっちゃったけどさ」
少し笑って続ける。
「俺、全然怒ってないんだぜ?」
アルは俯いたまま、何も言わない。
しばらくして――
アルは、おもむろに俺へ近づいてきた。
そして、
ぎゅっ。
突然、俺に抱きついた。
「……どうせリクは、あっちに行ったらもう帰ってこないんだ」
「えっ……」
「それに……自分の何って聞いたでしょ……」
アルの声が震える。
「僕は……僕は、リクの弟なんじゃないの?」
抱きしめる腕に、さらに力がこもった。
「寂しいよ……どこにも行かないで」
「アル……」
俺はそっとアルの頭を撫でた。
「俺は……全部を捨てようとしたんだ」
アルが顔を上げる。
「もう、元の世界に帰る場所なんてないんだよ」
「でも!」
アルが声を上げる。
「一回戻ったら……また戻りたいって思うかもしれないじゃないか!」
「思わないよ」
俺は静かに答えた。
「案外、お前らとの生活も嫌いじゃないんだ」
アルの目を見つめる。
「できることなら、ここにいたい」
「……」
「だから、もう不安になる必要ないんだよ」
アルは俯いた。
そして、小さな声で呟く。
「……ごめん」
「ん?」
「リクを心配するフリをして……僕、リクを縛ってた」
アルの声は震えていた。
「僕は……自分の好きなものが、なくならないでほしい」
ぎゅっと俺の服を握る。
「ずっと一緒にいたい」
そして、消え入りそうな声で続けた。
「自分勝手で……エゴの塊なんだ」
俺は思わず、息を吐いた。
――アルは、思っていたよりも俺のことが好きらしい。
そんな好意を向けられて、俺がそれを捨てて逃げたりなんてするわけがない。
どうやら、不安でいっぱいだったアルには、俺がいつも「逃げない」と示していたつもりでも、それがちゃんと伝わっていなかったらしい。
「アル」
俺は笑った。
「逃げるなら、とっくに逃げてるよ」
アルが顔を上げる。
「それに……アルは俺の弟だ」
俺はアルの頭を撫でる。
「不安な気持ちも、俺は受け止めるよ」
「……ぐすっ」
アルの目から涙がこぼれた。
「ごめん……リク……ごめん」
アルは泣き出してしまった。
俺は何も言わず、ただアルを抱きしめた。
しばらくしてアルが泣き止んでも、ソファーに座れば隣にくっついてくる。
ベッドへ移動すれば、やっぱりついてくる。
「……かわいいな」
思わず、そんな言葉が漏れた。
俺たちの衝突は、お互いが隠していた本当の気持ちを暴いたのかもしれない。
そして――
少しだけ、俺たちは前より近くなった気がした。
そんなある日。
「ねえ、リク」
「ん?」
「僕、ワープの制限……解除するよ」
俺は驚いてアルを見る。
「……いいのか?」
アルは笑った。
「うん」
そして、まっすぐ俺を見る。
「リクを信じる」
「……」
「チラシ配りも、僕と行こう」
「いってくれるのか?」
「行こう!」
アルは勢いよくソファーから立ち上がった。
「行こう!」
俺たちは一緒にワープした。
アルに連れていかれたのは、大阪のたくさんの店が並ぶ街だった。
見上げると、そこには通天閣がそびえ立っている。
「この場所なら、受け取ってくれるかもな」
俺はチラシの束を見る。
「よし、やろう!」
するとアルが、いたずらっぽく笑った。
「リク、もっともっと楽しい配り方しよう!」
そう言って、アルが俺の手を握る。
その瞬間――
景色が一瞬にして変わった。
「ひゅううう……!」
風が吹き抜ける。
俺は周囲を見渡した。
「……え?」
そこは、通天閣の一番高い屋上だった。
「た、高え……」
「リク、いくよ!」
アルは楽しそうにチラシの束を手に取った。
そして――
「それっ!」
勢いよく、大阪の街へ向かってチラシをばらまいた。
無数の紙が風に乗り、ひらひらと舞い落ちていく。
まるで、空から降る紙吹雪のようだった。
「ほら! リクも!」
「お、おう!」
俺もチラシを手に取って、思い切り投げる。
風に乗ったチラシが、どこまでも遠くへ飛んでいく。
爽快だった。
俺たちは笑顔で、何度も何度もチラシをばらまいた。
「ふふふ……」
アルが突然、俺を見る。
「逃げよ!」
「え?」
次の瞬間。
俺たちは路地裏へワープした。
二人とも、しばらく何も言わなかった。
そして――
互いの顔を見つめる。
「……ふふ」
アルが笑う。
「……ふははは!」
俺も耐えきれず笑い出した。
「くく……ははははは!」
アルも声を上げて笑った。
さっきまで抱えていた不安も。
すれ違っていた気持ちも。
胸の奥に残っていた寂しさも。
いつの間にか、どこかへ消えていた。
俺たちは、ただ笑っていた。
もう、あの諍いは過ぎ去ったのだ。
アルが笑っている。
俺も笑っている。
それだけで、十分だった。
――また明日も、こいつと一緒にいられる。
そんな当たり前のことが、今は妙に嬉しかった。
俺はアルの肩を軽く叩く。
「……帰るか、アル」
「うん!」
二人並んで、歩き出す。
その背中を、夕暮れの大阪の街が静かに見送っていた。
そして俺たちは、いつもの場所へ帰っていった。
――この日を境に、俺たちはもう一度、笑って隣を歩けるようになった。




