体験
「ふあー……」
涼しい風が吹き抜ける。
目を開けると、そこには風にそよぐ広大な草原が広がっていた。
「アル、これは?」
「ふふふ。これはホログラムだよ」
そう言って、アルは楽しそうに笑った。
「見て!」
アルが両手を叩く。
すると、草原のあちこちに複数の光が現れた。
淡い光がふわりと消えていく。
その光が消えた場所に現れたのは――。
「アル! なんだコレ! かわいい!」
猫だった。
一匹、また一匹と猫たちが現れ、草原の中を歩き回ったり、毛づくろいをしたりしている。
そのうちの一匹が、俺の足元へ近づいてきた。
「ほんとに、すり寄ってくれたらなあ……」
ホログラムなんだから、触れようとしてもすり抜ける。
そう思った瞬間――。
「……すりすり」
「え?」
足元に、温かい感触が走った。
「な、なんだ……!?」
俺は恐る恐る猫を抱き上げる。
重さ。
ふわふわとした毛の感触。
体温。
そして、猫特有のいい匂い。
どう見ても、本物だった。
「ふふ」
アルが笑う。
「すごいでしょ! ホログラムと精霊魔術の融合だよ」
「……」
「魂も、精霊のAIで再現できるんだ」
「アル、すげえな……こんなこともできるのか」
俺は猫の腹に顔をうずめた。
「……いい匂いだな」
その瞬間。
「ぺしん!」
「へっ?」
「ぺしん!」
「ちょっ……」
「ぺしん!」
「痛っ!」
猫パンチを三発も食らわされた。
俺が慌てて猫を地面に下ろすと、猫は何事もなかったかのようにそっぽを向き、そのまま歩いていってしまった。
「……気まぐれなところも、本物の猫だなあ」
アルはくすくす笑っている。
「これからは、こういう体験を提供しようと思うんだ!」
「体験?」
「うん」
アルは嬉しそうに頷いた。
「でも……もしかして、人間も作れるのか?」
俺が尋ねると、アルはあっさり答えた。
「作れるよ。本物と変わらずにね」
「……」
その言葉に、俺は息を呑んだ。
猫とは違う。
人間を作る。
それはまるで、人間の禁忌に触れているような感覚だった。
そんな俺の表情を見て、アルは少し真面目な顔になる。
「でも、しないよ」
「え?」
「人間そのものを作って、好き勝手にするわけじゃない。ある程度、役を演じてもらうだけ」
アルは続けた。
「お客様をもてなすなら、それに徹する。癇癪を起こして逃げたりしないし、嫌悪感を持って無駄な差別をしたりもしない」
「……」
「性格や反応も、ある程度決められるんだ」
「……なるほどな」
俺は少し考えてから、口を開いた。
「そこまで設定できるなら、お客さんを楽しませるための役としては完璧かもしれないな」
「うん……」
アルは静かに頷いた。
「倫理的なことはあるけど、AIはAIなんだ」
俺はしばらく草原を眺めていた。
そして、ふとアルが笑った。
「誰かに愛されることを疑似体験してもらうのも、素敵じゃない?」
「……愛されることを?」
「うん。森の木陰で寄り添って話をしたり、二人で星を見上げたり」
アルは目を輝かせる。
「そんなリアルを提供したいんだ」
「……それ、いいな!」
俺も思わず笑った。
「遊園地なんかを作って楽しんだりさ」
「アル、町も作れるか?」
「作れるよ!」
アルは即答した。
「動く車も、光る町も、道行く人も。寸分違わず再現できるよ」
「すげえ!」
想像がどんどん膨らんでいく。
「じゃあ、都会の高級ホテルに泊まったり、バーで酒を飲んだり、ビルの上から花火を見たり……」
俺はふと周囲を見渡した。
目の前には、どこまでも続く広大な草原。
「でも、ホログラムで広大な草原が見えてるけど……ほんとはここ、パーティー会場なんだよな?」
「ううん」
アルは首を横に振った。
「上も横も、無限の空間が広がってるよ」
「え?」
「僕たちは、そこにワープしてるんだ」
アルが空を見上げる。
「空高く広がる空も、草原も、全部本物なんだ」
「……」
俺は言葉を失った。
今まで見えていたものが、ただの映像ではなかった。
ここには、本当に空間そのものが存在している。
「そんなこともできるのか……」
俺は笑った。
「じゃあ……無限だな」
「そうだよ!」
アルも嬉しそうに笑う。
「これからは、たくさんのリアルを提供していこう!」
素敵な人間とデート。
遊園地を作ったり。
街を作ったり。
高級ホテルを作り、バーを作り、ビルの屋上から花火を見ることを考えた。
ベルサイユ宮殿での華やかなパーティー。
歴史の中へ入り込むような体験。
現実では決して行けない場所で過ごす一日。
俺たちは次から次へと世界を想像していった。
気がつけば、空は少しずつ夕暮れへと変わっていた。
俺たちはまだ、これから始まる「体験」の可能性を知らなかった。
ただ一つだけ分かっていた。
この場所で作れる世界には――限界がない。
そしてその日、俺たちはたくさんの世界を想像しながら、一日を終えた。




