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俺の好きな物

一歩、足を踏み入れた瞬間だった。

「……え?」

俺は思わず立ち止まった。

そこに広がっていたのは、地下施設の一角なんてものじゃなかった。

一本の長い道が、どこまでも真っ直ぐに伸びている。

その両脇には、古びた洋風の店が隙間なく建ち並んでいた。

何十年、いや……何百年もそこに建っているような、煤けたレンガ壁。

傾いた看板。

軋んだ木製の扉。

二階部分が道の上へせり出し、向かいの建物と今にもぶつかりそうになっている店まである。

建物はどれも形が違っていて、統一感なんてまるでない。

なのに、不思議と一つの街として成立していた。

頭上を見上げる。

そこには、青空があった。

白い雲がゆっくりと流れ、時折、雲の隙間から柔らかな光が差し込んでいる。

……ここ、地下だよな?

なのに、目の前にある景色だけを見れば、どこか遠い異世界の街に迷い込んだとしか思えない。

そして何より異様なのは――店だ。

店先には、見たこともない道具が所狭しと並べられている。

ガラス瓶の中で青白い液体が蠢いていたり、何に使うのかさっぱり分からない金属製の器具が吊るされていたりする。

軒先からぶら下がっている人形は、風もないのにゆっくりと揺れていた。

人形と目が合った気がして、俺は思わず視線を逸らす。

別の店では、紫色の光を放つ球体がいくつも宙に浮かび、その周囲を小さな文字のようなものがぐるぐると回っていた。

さらに奥には、何かの標本を並べた店。

怪しげな薬瓶ばかりを扱う店。

黒い布で覆われた占い屋。

何の店なのかすら分からない、薄暗い店。

どこからか、低い笑い声が聞こえる。

甘い香り。

薬品のような刺激臭。

古い木材の匂い。

そして、聞いたことのない楽器の音。

それらが全部混ざり合って、この場所独特の空気を作っていた。

まるで――

この世の中からこっそり切り離された、裏側の街。

俺は思わず声を上げた。

「おい、なんだよこれ!」

すると隣にいたアルが、嬉しそうに笑った。

「ふふふ……!」

嫌な予感がする。

「リクが『店やればいい』って言うから、作っちゃいました!」

「……は?」

アルは満面の笑みを浮かべている。

「商品の仕入れに時間かかっちゃったけどね! 一族みんなで、いろんな世界から集めてきたんだよ!」

「……店やればいいって言ったけど……」

俺は呆然と街を見渡した。

「こんな大規模な商店街を作れなんて言ってないぞ……」

「えへへ!」

褒めているわけじゃないのに、アルは嬉しそうだった。

やっぱりこいつは、いつもやることの規模がおかしい。

「驚いた?」

「ああ。そりゃ驚くわ」

「リクをびっくりさせたくて、みんなには口止めしてたんだ!」

「……だからか」

俺はようやく納得した。

最近、精霊たちに会うたびに、

『アル? 見てないよ』

『知らないなぁ』

『どこにいるんだろうね?』

なんて、妙にわざとらしい返事をされていた。

「だからみんな、アルのことは『見てない』って言ってたのか……」

「そうそう!」

アルは得意げに胸を張る。

「全員、ちゃんと秘密を守ってくれたよ!」

「なるほどな……」

改めて街を見渡す。

遠くまで続く一本道。

その両側に並ぶ無数の店。

頭上には、どこまでも続く青空。

その光景は奇妙だった。

地下にあるはずなのに、閉塞感がまったくない。

むしろ、道の先にはどこまでも世界が続いているような錯覚さえ覚える。

「なあ……ここ、地下だろ?」

「うん?」

「なんで空があるんだよ」

「空?」

アルは一瞬きょとんとしたあと、ああ、と頷いた。

「ホログラムだよ!」

「……ホログラム?」

「うん! 広々としてるでしょ!」

「まあ……確かに」

俺はもう一度、空を見上げた。

ゆっくりと雲が流れていく。

あまりにも自然で、本物としか思えない。

「……こんなこともできるんだな」

「でしょ?」

アルが笑う。

「せっかくだから、閉じた地下街にはしたくなかったんだ」

俺はしばらく、ゆっくり流れる雲を見つめていた

地下なのに、空がある。

不思議な街だった。

「リク! 早く店見に行こう!」

「お、おう」

アルに急かされ、俺たちは街の奥へと歩き始めた。

改めて店を見てみると、怪しいものばかりというわけでもない。

甘い香りを漂わせている店がある。

ショーケースには色とりどりの飴やクッキーが並ぶ

その隣には、世界中の古着を集めた洋服屋。

見たことのない民族衣装や、古びたコート、装飾の凝ったドレスなどが所狭しと吊るされている。

少し進めば古本屋。

さらにその隣にはアクセサリーショップ。

よく見ると、案外普通の店もある。

……いや。

普通に見えるだけで、売っているものは普通じゃない。

そんな店が、この街にはいくつもあった。

「へえ……」

俺は店先を眺めながら歩いていた。

すると、ふと妙な店が目に入った。

「なんだ?」

店の中から、やけに明るい光が漏れている。

さっきまで見てきた怪しげな店とは明らかに雰囲気が違う。

ガラス張りの店内。

明るい照明。

そして――

「……なんだこれ?」

そこには、ピカピカと光る商品がずらりと並んでいた。

テレビ。

掃除機。

電子レンジ。

冷蔵庫。

洗濯機。

見慣れた家電製品が、まるで宝物のように綺麗に陳列されている。

しかも、妙に高級感のある展示までされている。

「……電気屋、だよなあ」

怪しい魔法道具の店があったかと思えば、隣にはお菓子屋。

その隣には古着屋。

そしてその隣には――

電気屋。

俺は思わず苦笑した。

「……本当に何でもあるんだな」

「うん!」

アルが嬉しそうに答える。

「だって、いろんな世界のものを集めたんだもん!」

その言葉を聞いて、俺はもう一度、長い一本道の先を見た。

薄暗い路地。

古びた建物。

怪しく光る看板。

どこから来たのか分からない品物。

ここには、地上のどんな街にもないものがある。

表の世界では決して売られていないもの。

誰にも知られず、誰にも見つからず、それでも確かに存在しているもの。

まるで世界中の「裏側」だけを集めて作ったような街だった。

「リク! 行きたい店はない?」

「そうだなあ……楽器屋に行きたいな」

「ふふ、リクは本当に音楽が好きだね!」

アルに連れられ、しばらく通りを歩く。

やがて辿り着いたのは、他の店に挟まれるようにひっそりと建つ、古びた一軒の店だった。

煤けたレンガの壁に、黒ずんだ木製の扉。 軒先には弦の切れた古い楽器がいくつも吊るされ、風もないのにかすかに揺れている。

扉の上には、錆びた金属の看板。

『音の骨董屋』

「……ここか?」

「うん!」

アルが迷いなく扉を押す。

カラン、カラン――

古びたベルの音とともに中へ入ると、乾いた木と埃、それに古い革の匂いが鼻をくすぐった。

店内は薄暗い。

壁に取り付けられた小さなランプだけが橙色の光を落とし、その中に無数の楽器が浮かび上がっている。

古いギター。 塗装の剥げたバイオリン。 年代物らしい大きなチェロ。

その隙間を埋めるように、見たこともない楽器が所狭しと並んでいた。

弦が二十本近く張られた細長い弦楽器。 黒い木で作られた、三日月のような形の楽器。 胴の部分が金属でできた小さな太鼓。 透明な筒の中で淡い光が揺れている笛。

天井を見れば、そこにも楽器が吊るされている。

どこの国――いや、どこの世界から持ってきたのかすら分からない。

値札には見慣れない文字が残ったままのものまであった。

「すげえな……」

思わず呟く。

棚の片隅に、使い込まれたクラシックギターを見つけた。

俺はそっと手に取る。

木の表面には細かな傷があり、ところどころ色も褪せていた。

けれど、不思議と手によく馴染む。

軽く弦を押さえ、簡単なコードを鳴らしてみた。

ポロン――。

柔らかな音が薄暗い店内に響く。

「リク、弾けるの?」

アルが驚いたように俺を見る。

「ああ。簡単なやつならな」

もう一度、弦を鳴らす。

「まあ、俺は自分で演奏するより、聴くほうが好きだけど」

そのときだった。

「王、いらっしゃいませ」

突然、背後から声がして振り返る。

「うわっ」

いつの間にいたのか、一人の精霊が立っていた。

もちろん姿はピエロだ。

けれど、この店の雰囲気に合わせているのか、派手な衣装ではない。 古びた黒いベストに白いシャツ、丸眼鏡をかけている。

「びっくりした……」

精霊は楽しそうに笑った。

「リクは音楽が好きなの?」

「ああ、好きだよ」

「僕も!」

精霊は嬉しそうに両手を広げ、店中の楽器を示した。

「僕は楽器が得意なんだ。この店にあるものなら、だいたい何でも弾けるよ」

「これ全部?」

「うん!」

俺は改めて周囲を見渡す。

触り方すら分からない楽器まであるんだが……。

「よかったら、何か演奏しようか?」

「ああ。頼む」

精霊は壁に掛けられていた古い弦楽器を手に取った。

バイオリンに似ている。

けれど胴は細長く、弦が六本も張られていた。

精霊が椅子に腰掛け、静かに弓を構える。

そして――

最初の一音が鳴った。

「……」

思わず息を止める。

低く柔らかな音。

そこへ高い音が重なり、店内をゆっくりと満たしていく。

クラシックに似た、美しい旋律だった。

古い楽器に囲まれた薄暗い店の中を、音だけが自由に飛び回っている。

まるで音が踊っているようだった。

俺もアルも、何も言わずに聴いていた。

やがて最後の一音が長く響き――静かに消える。

しばらく誰も口を開かなかった。

「……素晴らしいな」

自然とそんな言葉が出た。

胸の奥に、暖かい満足感が残っている。

「他のも聴く?」

「ああ。ぜひ聴きたい」

それから俺たちは、いろいろな楽器を演奏してもらった。

遥か昔の世界で使われていた弦楽器。 金属板を指で叩いて奏でる、不思議な打楽器。 息を吹き込むと二つの音が同時に鳴る笛。

聞いたことのない音ばかりだった。

どこの世界で生まれ、誰が奏でていたのかも分からない。

そんな楽器たちが、この地下の片隅にある小さな骨董屋へ流れ着き、今も音を残している。

俺は古い椅子に腰掛け、アルと並んでその演奏に耳を傾けた。

薄暗い店の中。

古びた楽器に囲まれて聴く、名前も知らない世界の音楽。

――こういう店、好きだな。

気づけば、ずいぶん長いことそこに居座っていた。





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