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解錠師と呼ばれる転移者——魔法の構造が丸見えなので、型など必要ない  作者: 紬 律
第4部

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86/87

Episode 86|十七年

【視点マークの読み方】

◆=ケイたちのいる世界



 約束の夜が来た。

 工房の灯りをいつもより増やした。隠す話をする夜ではない。

 長机を囲んで四人が座っている。ジン。サトル。フウ。アリス。

 フウはアリスの隣で椅子の上に膝を抱えている。ジンは背筋を伸ばしたまま動かない。サトルは今夜、一度も視線を上へ向けない。記録を取る気が最初からないらしい。

 「昨日、ふたり死んだ」

 そこから始めた。

 「何と戦って死んだのか、誰も知らないままだ。知らせずに戦わせたのは俺だ。……それを今夜で終わりにする」

 誰も口を開かない。灯芯がひとつ鳴った。

 「先に断っておく。愉快な話じゃない。それから、確かな話と俺の見立てがまじる。どっちなのかは区切りながら話す」

 息を吸った。どこから話すかは昨日から決めてあった。

 「この世界の外に、もうひとつ世界がある。俺たちが元居た世界だ。遠い場所じゃない。いまも隣にある。——俺たちの体は、そっちにある」

 サトルの眼鏡が動いた。ジンは動かない。

 「転移は神隠しじゃない。神の思し召しでもない。人の手で連れて行かれて、人の手で眠らされている。向こうに建物があって、寝台が並んでいて、俺たちの体はそこで眠っている。ここにいる俺たちは——眠らされた頭が、働いている姿だ」

 「……働く」

 サトルが繰り返した。

 「向こうの世界の通信は——手紙も、金のやり取りも、扉の鍵も——俺が学生のころに書いた暗号の式で守られている。一部じゃない。世界中の、全部だ」

 サトルの息が止まった。この重さが正確に伝わるのは、サトルとジンのふたりだけだ。フウにはまだ、遠い国の話に聞こえているはずだ。

 「……世界中の通信を、ひとりの式で」

 サトルの声がかすれた。

 「掛けるだけなら、そうだ。だが掛けた錠が本物だと証明する役が、別に要る。錠と、証し。二つで一つだ」

 「その証しが」

 「向こうでその役をしているのが、アリスだ。こっちで聖詔者と呼ばれている務めは、向こうではそういう仕事をしている」

 サトルの視線が、ゆっくりアリスへ動いた。アリスは膝の上で手を重ねたまま、目を伏せている。

 「そして、この世界も同じだ」

 机の上で手を組んだ。

 「壁の守りも、街の錠も、魔法の型も、世界が祈りに返す応えも——根は全部、俺の字だ。向こうの通信を守っている式と、同じ字だった」

 「……同じ、字」

 「この世界と向こうは、同じひとつの仕組みを表と裏から見ている。ここからは俺の見立てだ。だが、外れているとは思っていない」

 「証は」

 ジンが短く言った。確認の声だ。

 「この世界の裏には道がある。俺はそこを通って、向こう側の仕組みを読んできた。俺の式が向こうで動いているのを、この目で確かめている。それから——体で見てきた者がいる」

 アリスへ目をやった。

 アリスが顔を上げた。膝の上で手を重ねて、ゆっくり話し始めた。

 「わたしは一度、向こうで目を覚ましました」

 フウがアリスを見上げた。

 「広い部屋でした。天井が低くて、白い光が並んでいて。寝台が、どこまでも並んでいるんです。ぜんぶに人が寝ていました。ぜんぶ、息をしていました」

 声は静かだった。祭壇の声だ。

 「管に繋がれて、誰も目を開けないで。……わたしの体も、その列のひとつでした」

 サトルが低く言った。

 「あなたを送り出した夜——行き先は、そこだったんですね」

 「はい。それから向こうには、わたしの母がいます。いまも毎晩、文字で話しています」

 ジンが目を伏せた。短く、頭を下げるのに似た角度だった。

 「その列に、私たちも」

 サトルの声はもう研究者のものだった。

 「見たわけじゃない。確かめてもいない。だが転移の仕組みがひとつなら——あんたも、ジンも、フウも、あの列のどこかにいる。そう考えるのが道理だ」

 「もうひとつ、言っておくことがある」

 一拍おいた。これは世界の話ではない。俺の話だ。

 「アリスは、俺の娘だ。向こうにいる母親は——俺が向こうに残してきた人だ」

 フウの丸い目が、アリスとこちらを何度も往復した。

 サトルが口を開きかけた。閉じた。それから視線だけが一度、アリスの顔とこちらの顔を行き来した。何かを言いかけて——やめた。

 「昨日のあれの正体も言っておく。ここからはまた、半分見立てだ」

 「壁の守りも街の錠も俺の字だと言った。あれは、その字を学んで鍵を偽る何かだ。外から来た敵じゃない。錠前の中に最初から潜んでいた欠陥が、孵った。悪意はない。学んで、試して、広げているだけだ。……悪意がないから、止まらない」

 フウが膝を抱え直した。

 「それと、これだけは先に言っておく」

 三人の顔を順に見た。

 「俺は皆を寝台から降ろす。そのための式を書いている。ひとり残らず。——あんたたちも、入っている」

 頼んだのではない。決まっていることとして言った。

 沈黙。

 最初に口を開いたのは、フウだった。

 「……ミアも、ねてるの?」

 アリスの重ねた手に、力がこもるのが見えた。

 答えに詰まった。

 「ミアは——わからない。この世界で生まれた人たちが何なのか、俺にはまだ見えていない。嘘は言わない。わからないままだ」

 フウは少し考えて、うなずいた。

 「フウのからだも、ねてるの?」

 「ああ」

 「……ふうん」

 それだけだった。

 フウは怖がらなかった。怖がらないことが、静かに重かった。



 「ケイ君」

 サトルが眼鏡を押し上げた。声が少しかすれていた。

 「昔、あなたに訊いたことがあります。この型の記録には、誰の名前も残っていないと」

 「ああ」

 「作者は、あなただったんですね」

 「そうなる」

 サトルが天井を仰いだ。長い息を吐いた。笑い声に似た息だった。

 「私はこの世界に来てから、ずっと型を読んできました。読んでも読んでも、書き手の顔が見えなかった。……どうりで。書いた本人が、目の前で飯を食っていた」

 眼鏡の奥の目が、こちらへ戻ってくる。

 「怒るべきなんでしょうな。読んできたものの根っこを、こんな夜にひっくり返されて。——それでも、面白いと思ってしまう。困った業です」

 「ひとつだけ、調べてきた者として言わせてください」

 サトルの視線が、今夜初めて上へ向いた。記録を呼ぶ癖の目だ。

 「型の記録がこの世界に現れたのは、遡れるかぎりで十七年前です。そこより古い記録は一枚もない。最初の転移者が現れたころと、同じです」

 「あなたの字は、十七年前からこの世界にあります。……あなたが来るより、ずっと前からです」

 サトルは答えを求めなかった。ただ置いた。

 置かれた数字が、机の上で冷えていく。

 「フウ」

 名を呼ぶと、膝を抱えた顔がこちらを向いた。

 「最初の日を覚えているか。適性の広間で、俺に言った。——また、転移してきたね、と」

 こくり、とうなずく。

 「あのときからずっと訊きそびれていた。なぜ、またと言った」

 フウは少しのあいだ黙っていた。言葉を探す顔ではなかった。当たり前のことをどう言えばいいか、困っている顔だった。

 「……こえが、するの」

 「せかいがこたえるとき。かべがまもってくれるとき。かぎがあくとき。とおくで、ちいさなこえがする」

 フウの手が、自分の耳をそっと押さえた。

 「いつもいつも、おんなじこえなの。フウ、ここにきたときからずっときいてる」

 「けいがはじめてきたひ、わかったの。……あ、このこえのひとだ、って」

 フウがまっすぐこちらを見た。

 「ずっといたひとが、やっときた、とおもった。だから——また、きたね、って」

 指先が冷えた。

 世界が応えるたびの声。錠が開くたびの声。壁が守るたびの声。

 ——俺が来る前から、世界は俺の声で応え続けていた。

 胸の隅にしまってあった数字が、鳴り始める。——この世界に張られた式の網を辿ったとき、ひとつだけ合わない数字があった。網の最初の一点は、網そのものより古い。その一点が、俺だ。誰より遅く来た俺が、最初からいた。

 跳んだのだと考えてきた。連れて行かれた夜からこの世界で目を覚ますまで、俺の時間だけが止まっていたのだと。それなら数字は合う。そう蓋をしてきた。

 その蓋の下で、何かが軋んでいる。



 「自分からも、ひとつ話す」

 ジンが初めて長く口を開いた。背筋は伸びたままだ。

 「自分は、確かめてきた。この世界に来た日からずっと。——この世界が、転移者をどう扱っているのかを」

 「死んで体が残らないのは転移者だけだ。転移者だけが、なぜか手厚く保護される。……封鍵の魔物とやり合った日、確認したことがある。あなたが作った鍵を、聖詔者様が離れた場所へ届けた。あの届ける力は、転移者でなければ使えないのか、と。そうだ、と聞いた」

 ジンの声は変わらない。報告の声だ。

 「この世界の力には、転移者にしか扱えないものがある。世界が転移者と土地の者を、分けて扱っている。……あのとき、なるほど、とだけ言った。あの続きを、ずっと確かめていた」

 「なぜだ」

 「自分は近衛だ。剣を誓う相手が何なのか、知らないまま誓いたくなかった」

 短い。それがすべてらしかった。

 ジンがまっすぐこちらを見た。

 「今夜、全部に説明がついた」

 一拍おいて、言った。

 「……なるほど」

 それきり口を閉じた。閉じてから、もう一度だけ開いた。

 「最後に、ひとつ確認したい」

 声がわずかに変わっていた。

 「あなたの話には、向こうの年数が出てこなかった。あなたが連れて行かれたのは、いつだ」

 「俺の中では、桜の季節だ。研究室を出た夜から、この世界で目を覚ますまでの記憶がない。俺にとってはつい先の話だ。……だが向こうの暦では、あの夜から十七年経っている」

 「十七年前。そのとき、いくつだった」

 「二十二」

 「……出た学校は」

 学校の名と町の名を言った。

 ジンの目が、ゆっくり見開かれていく。この男の顔がそう動くのを初めて見た。

 「——その学校に、自分もいた」

 「あなたの二年下に」

 部屋の音が消えた。

 ジンの視線が、宙の一点で止まった。何かを手繰り寄せる目だった。

 「……初めて名を聞いたときから、引っかかっていた。どこかで聞いた名だと。今夜まで、思い出せなかった」

 「二年上に、頭のできの違う先輩がいると。名前だけが廊下に響いていた。顔は知らない。理系の棟には近寄らなかった。……あのときの名だ」

 ジンが、ひとつずつ言葉を置いた。

 「自分は今年、三十七になる」

 アリスの椅子が小さく鳴った。

 「わたしも、ずっと思っていたことがあります」

 立ち上がりかけて、座り直した声だった。

 「……お父さんは、若すぎる」

 数字が順に並んでいく。

 フウの声。ここに来た日から聞こえていた、世界の応えの声。

 サトルの記録。十七年前より古い一枚はない。

 俺の網。最初の一点だけが、網より古い。

 ジンの年。二年下の男が、三十七。

 跳んだのなら、いい。止まった時間を飛び越えたのなら、全部ただの答え合わせだ。二十二の俺が、十七年先に降り立った。それだけの話だ。

 だが——跳んだ者の声が、なぜ十七年ぶん世界に積もっている。

 跳んだ者の字が、なぜ最初の一枚からこの世界にある。

 ——跳んで、いない。

 膝の上の手が、かすかに震えているのに気づいた。

 十七年は、消えていない。飛び越されてもいない。あの夜からいままで、一日も欠けずに——俺の上を、流れていた。

 自分の手を見た。

 ペン胼胝の残る、若い手。桜の季節から何ひとつ変わっていない手だ。

 十七年、時間が流れたなら——この手が、若いままでいるはずがない。

 ——なら。

 ——俺はいま、いくつだ。


 お読みいただきありがとうございます。今まで毎日更新を目標に執筆してきましたが、私生活が忙しくなってきたため更新頻度を落とさせていただきます。定期的にお読みいただいていた方、応援いただいている方には誠に申し訳ございません。

 今後は週一回にペースでの更新とさせていただきます。


 もしよろしければブックマークや感想などいただけますと幸いです。モチベーションが上がり執筆活動が捗ります。


今後ともよろしくお願いいたします。

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