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解錠師と呼ばれる転移者——魔法の構造が丸見えなので、型など必要ない  作者: 紬 律
第4部

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84/87

Episode 84|通過

【視点マークの読み方】

◆=ケイたちのいる世界

♠=施設を管理する側



 祈りの間の灯は、今夜もひとつきりで燃えていた。

 アリスは祭壇の前に膝を折り、いつもの作法で祈りを置いた。

 応えを待つ。息をひとつ吸って、吐く。それだけの待つ間で、世界は応えてくれる。

 灯がふくらんで、返った。

 そして——もうひとつ。

 ふたつめ。今夜もいた。ふたつ返った夜は、これで四度め。

 けれど数よりも先に別のことに気づいて、背すじが強張った。

 近い。

 ふたつめの応えはいつも半拍おくれて重なってきた。だから聞き分けられた。あとから来るほうが偽物。

 今夜の遅れは、半拍もなかった。

 ほとんど同時。聞き分けられたのは、応えの尾にわずかに残る濁りだけ。

 ——追いついてきている。

 遅れは未熟さだと父は言った。育てば遅れは消える。消えたら、もう聞き分けられない。

 祈りを閉じて、立ち上がった。

 父へ送った。声ではない。——今夜もふたつ返りました。前よりずっと近いです。遅れはもう、半拍もありません。重なるのは時間の問題だと思います。

 返りはすぐに来た。

 ——わかった。遅れが消えるのは、育ちが進んだ印だ。無理に聞き分けようとするな。今夜は休め。

 聞き分けようと、するな。

 その言葉の意味を考えて、指先が冷えた。

 耳で追える段階が、終わりかけているのだ。



 工房の机で、娘の報せを読み返していた。

 重なるのは、時間の問題。

 祈りに返る偽の応え。——世界の底で生まれたものの、声だ。娘はあれの育ちを、耳で数えてくれている。

 速い。間が三晩から一晩に詰まり、今夜は遅れそのものが消えかけた。学ぶ速さが上がっている。

 机の上には書きかけの新しい式。まだ半分にも届いていない。

 ——間に合うのか。

 初めて、その問いが形になった。

 夜気を、幼い声が裂いた。

 「——いる! なかに、へんなのがいる!」

 フウの声だった。

 工房を出た。

 中庭の端。生け垣の際に、それはいた。

 灰色の外骨格。独立して動く六つの眼。触角の先が夜の中で鈍く光っている。

 エラント。街の壁の外の魔物だ。

 壁の内に魔物が出たことなら、前にもある。黒い蔓のあれは、種のかたちに縮んで壁をすり抜け、街の中で開いた。

 忍び込む。それが魔物のやり口だ。

 だが——

 夜陰から足音もなく影がひとつ割って入った。

 ジン。当直明けか、まだ帯刀している。

 「下がれ」

 短い。抜き打ちの一閃。

 それで終わった。灰色の体が二つに分かれて地に落ちる。

 強い魔物ではない。壁の外なら騎士の一振りで済む相手だ。

 問題は、強さではない。

 ジンが刀を納めて振り向いた。

 「エラントだ。ここは壁の内。門は夜のあいだ閉まっている」

 「わかっている」

 骸のそばに膝をついた。

 読む。

 ……あった。

 体の表に、通ってきた道の痕が薄く残っている。壁に触れた痕。そして、咎められずに通った痕。

 種のかたちで忍び込んだ痕ではない。

 ジンが言った。

 「壁は、破られたのか」

 「いや」

 立ち上がって、生け垣の際へ歩いた。庭のいちばん外に張られた守り。その式を読む。

 ——開いている。

 錠に鍵が差され、開けられ、開いたままになっていた。

 「破られていない。忍び込まれてもいない。——正面から、通されたのだ」

 沈黙。

 「守りは仕事をした。誰だと訊いて、鍵を確かめて、正しい鍵だったから開けた。手順のどこにも破れはない」

 サトルの声がした。いつの間にかローブを羽織って立っている。

 「正しい鍵……。エラントが、鍵を持っていたと?」

 「いや。——道が、開けてあった」

 「開けて……誰が、です」

 「鍵を差したのは魔物ではない。別の何かが守りに鍵を差して、開けて、開けたままにした。エラントは開いた道をただ歩いた。それだけだ」

 「その鍵は、いまも」

 「残っている」

 差されたままの鍵の痕を読む。指が、途中で止まった。

 「ケイ君?」

 「……この鍵は、俺の書き方の癖で書かれている」

 サトルが息を呑んだ。

 「あなたが書いた、ということですか」

 「俺は書いていない」

 俺の字。俺の曲がり方。俺の締め方。それを教科書にした何かが、これを書いた。

 ジンが低く言った。

 「偽物か」

 「本物と同じに開く、偽物だ」

 式を締め直して、錠を掛けた。掛けながら、指先が冷えた。

 この錠は、もう錠ではない。合鍵が、向こうにある。

 「……あれだよ」

 フウがジンの後ろから半分だけ顔を出して、骸を見ていた。怯えてはいない。ただ、静かだった。

 「うまれたやつが、とおした。——われるおとのやつと、おなじけはいだもん」

 夜のフウの声だった。

 サトルが眼鏡の奥からこちらを見た。

 「ケイ君。壁が魔を通した。それも、正しい手順で」

 一拍おいて、続けた。

 「——これも、待ってくれない側のものですか」

 「そうだ」

 それ以上は言わなかった。言うには、この世界の底までの全部が要る。壁が何であるか。魔物が何であるか。……俺たちが、何であるか。

 サトルは頷いて、それ以上は訊かなかった。ただ、目の奥の問いがまたひとつ増えた。あの人の中に、答えを待つ問いがいくつ積み上がっているか。——遠くない日に、その全部に答えることになる。

 「今夜は戻れ。壁は俺が見る」

 三人が去った中庭で、骸を見下ろした。

 街の壁だけではない。王宮の囲いも、この庭の守りも——この世界の壁は、ほとんど俺の字だ。同じ手が書いた壁は、同じ鍵で開く。

 ひとつ通れば、全部に通る。

 なぜ、いちばん弱い魔物が、と考えて、すぐに答えへ行き当たった。

 試したのだ。

 書いた鍵が通るかどうか。街の壁と、王宮の囲いと、この庭の守り。順に差して、順に開けた。開いた道へ、たまたまいちばん弱いものが迷い込んだ。

 それだけで、世界の真ん中のこの庭まで届いた。

 試し書きは、成功した。

 なら——次は、試しではない。



 周は自分の端末で、名のない頁を開いていた。

 印は増え続けている。重複応答。発生区画の一覧。間隔の推移。観測を始めてから、間隔は詰まる一方だ。

 今夜のログに、見たことのない形があった。

 定時の死活確認。要求はひとつ。応答はふたつ。そこまではこれまでと同じだ。

 違うのは、着順だった。

 重複応答はこれまで、正規の応答より千分の一秒足らずの遅れで着いていた。だが認証系にとっては十分な遅れだ。認証系は先に着いた応答を受理し、遅れて着いた二つ目を破棄する。だから実害はなかった。

 今夜のふたつは、ほぼ同時に着いていた。

 受理されたのは、どちらだ。

 照合して、指が止まった。

 受理された応答の署名は正しい。形式も正しい。だが、発信元の経路が正規の系統を通っていない。

 破棄されたほうが——正規の応答だった。

 認証系が偽物を本物として受理し、本物を捨てた。

 一件。たった一件だ。死活確認への応答ひとつでは、何も起こらない。

 だが、意味は明白だった。

 遅れは消えた。成り済ましは、通る段階に入った。

 印を打つ手を止めて、頁の全体を眺めた。

 名のない頁。理由を用意しないまま集めてきた観測の列。その隣には、埋まらない欄がある。——あの朝の記録で、誰が道を組んだのかだけが埋まらなかった欄だ。

 このネットワークには、原因の分からない穴がふたつ空いている。

 そして、この基盤の上で世界中の通信が回っている。

 周は新しい行を起こした。

 書いたのは、一語だけだ。

 『通過』

 誤差は、二度目から誤差でなくなる。

 通過は——一度目から、障害だ。


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