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解錠師と呼ばれる転移者——魔法の構造が丸見えなので、型など必要ない  作者: 紬 律
第4部

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83/87

Episode 83|期限

【視点マークの読み方】

◆=ケイたちのいる世界

■=アリスの側

♣=キャロル(アリスの母)の側



 寝台の底で目を開けた。

 今夜は、運ぶものがある。

 父から預かった言葉。一字も欠かさず、母へ。

 機械の低い唸り。天井を走る管。夜の色をした見慣れた闇。務めのあと、短くこちらの体へ帰る。行って、帰ってくる。その繰り返しに体はもう慣れはじめていた。

 目を閉じて、母の机の画面へ細い道をたどる。

 『おかあさん。おとうさんから、つたえることがあります』

 間を置いて、返りが来た。

 『きいてる』

 その二文字の向こうに、母の姿が見える気がした。夜更けの会社の、古い棟。忘れられた端末の前に、灯りをひとつだけ点けて座る母。

 その部屋を、見たことはない。それでも毎晩そこで待っていてくれることだけは、正しく思い描ける気がした。

 ひと呼吸ぶん待ってから、預かったとおりに書いた。

 『——世界の認証に、成りすますものが出ている。俺の鍵の作り方の癖を、学んでいる。育てば、本物と見分けがつかなくなる。いまの式では防げない。新しい式を書く。皆を降ろす式が、盾を兼ねる』

 意味は、半分も分からない。認証。成りすます。癖。ひとつずつの言葉は知っているのに、並ぶと遠くなる。

 それでも、重さだけは分かる。これは、悪い報せだ。

 今度の間は、長かった。画面の向こうで、母が読み返している。二度。三度。そんな気配の長さだった。

 悪い報せを運ぶのは二度目だった。あのときは数字で、運び終えた指が冷えた。

 今夜は——冷えなかった。

 この家族には、もう隠しごとがない。悪い報せが悪い報せのまま、まっすぐ届く。それがどれだけ得がたいことか、隠していたころの指が覚えている。

 母の返りは短かった。

 『わかった。つたえてくれて、ありがとう』

 少し間があって、もう一行。

 『こわい?』

 『すこし』

 『わたしも。でもね、手をうごかしていると、こわさはしずかになるの。あなたははこんで。おとうさんはかいて。わたしはさがす』

 『はい』

 『いってらっしゃい。きをつけて』

 『いってきます』

 毎晩の、締めの言葉。書くたびに、指の先がすこしあたたかくなる言葉だ。

 画面の向こうで、母が袖をまくる気配を感じた気がした。



 娘の文字が消えたあとの画面を、キャロルはしばらく見ていた。

 夜更けの古い棟。忘れられた監視端末の前。娘の声が届く、ただひとつの場所だ。

 成りすますもの。あの人の癖を、学ぶもの。

 息が一度だけ浅くなった。

 あの人の式が破られる。その一行の重さを正しく読める人間は、世界にも数えるほどしかいない。世界中の通信が、あの式ひとつで回っている。破られれば、全部が落ちる。

 恐れは消えない。ただ、恐れの置き場所ならある。

 端末の灯りを落として、誰もいない廊下を戻った。

 家に帰り着くなり、抽斗から書きかけの一覧を出す。この部屋で作った、外の機械のリスト。速さの欄で全部に線を引いた、全滅のリストだ。

 北の研究所の大型機。海の向こうの競売に出た、退役した計算機の群れ。名前の横にどれも同じ線が引いてある。届かない、の線だ。

 ——前提が、変わった。

 あの人は式を軽くする。なら、要るのは世界でいちばん速い機械ではない。新しい式が確かに載る、確かな器だ。

 式が軽くなれば、速さで届かなかった機械にも載る。

 基準が変われば、死んだリストは生き返る。

 増えたのは、敵じゃない。——期限だ。

 新しい紙を重ねて、一行目に要件を書く。

 『軽い式が、止まらずに回ること』

 速さの王様たちを消して、働き者の欄を作る。どこの倉庫にも積んである、安くて丈夫な量販の箱。式がどこまで軽くなるかで、要る数は千にも万にもなる。数を決めるのは、あの人の式だ。

 どちらにしても、個人の買い物で済む規模ではない。世界を載せ替える器は、国か、大きな会社の買い物だ。買い手が誰になるのかは、まだ見えない。

 それでも、積算は今夜から作れる。買い手が現れた日に「何を、何台、いくらで」を即座に差し出せるかどうかで、その日の速さが変わる。

 要件と積算の調達計画なら、二十年やってきた。わたしの畑だ。

 会社では、集めるだけ。並べるのはこの部屋。それは変えない。資料課のあの一拍長い目には、明日も気づかないふりをする。

 あの人が書き上げる日に、器が間に合わない——それだけは、だめ。

 期限のある夜は久しぶりに長かった。

 悪くない長さだった。



 工房の机に、紙が増えていた。

 新しい式の設計。進んではいる。だが今夜やっているのは、書くことではなかった。

 読むことだ。——自分の字を。

 十七年書き続けてきた式。防火壁。関門。日々の鍵。並べて、読み返す。どこに癖が出るか。どの角で、同じ曲がり方をするか。

 いちばん古い字は、紙ではなく世界のほうに残っている。街を囲う古い防火壁。作者の名が残っていない式。読めば、いまの自分と同じ角で同じ曲がり方をしている。

 十七年ぶんの字が、この世界には積もっている。癖は、最初からひとつも変わっていない。変わらないから、癖と呼ぶ。

 他人の式なら、癖は一目で見える。自分の癖は見えない。本人にとって癖は、癖ではないからだ。息を吸うように書いてきたものを、息を止めて読み直す。

 奇妙な作業だった。

 自分を消すために、自分を知り尽くす。癖のない式は、癖を全部知っている者にしか書けない。

 つまり——俺の代わりは、俺にしか書けない。

 ふと、手が止まった。

 いま、同じものを読んでいる者がもうひとりいる。

 世界の底で育つ何かも、俺の字を読んでいる。俺の癖を、教科書にして。

 同じ教科書を二人で読んでいる。書いた本人と、盗み読む何かと。先に読み終えたほうが勝つ。

 アリスから届いた。——いのりに、ふたつめの応えがまた返りました。ふたつ返った夜は、これで三度めです。前は三晩あいて、こんどは一晩でした。

 図の端に印を足す。三度。間が、三晩から一晩に詰まった。

 次にふたつ返るのは、今夜かもしれない。

 もうひとつ、娘が運んでくる報せがある。フウの耳のことだ。かたいものが割れていく音は、夜ごと続いているという。なにかが、うまれてくる——あの子はそう言った。方角は、ヴォイドメア。

 生まれようとしているものに、見当はついている。

 俺の式の、穴だ。攻められて開いたのではない。癖という形で最初からあった。俺を含めて、誰も十七年気づかなかった。

 向こうの世界では、そういう欠陥に名前があった。——ゼロデイ。誰も知らない穴は、守りようがない。

 世界の底で殻を割ろうとしているのは、その穴が形になったものだ。最初から潜んでいた欠陥が、十七年かけて——孵る。

 育っている。こちらの紙が進むのと、どちらが速いか。

 ペンを取り直す。

 俺が書く。向こうは、覚える。

 なら——覚えられない字で、書くまでだ。



 ふた晩のち。

 その夜は、妙に静かだった。風の音まで遠い。

 祈りの間へ向かう途中の露台で、アリスは足を止めた。

 夜気の中、手すりの前にフウが立っていた。

 昼間のフウは、今日も庭を駆け回っていた。花の蜜が甘いだの雲がうさぎのかたちだっただの、そんな報せで一日じゅう賑やかだった。

 同じ子が、いまは羽音ひとつ立てない。静かに、闇の先を見ている。あの方角。

 「フウ」

 声をかけると、ゆっくり振り向いた。首を少しかしげている。

 「アリス。あのね」

 「……また、音が聞こえるのですか」

 フウは首を横に振った。

 「しない」

 「……え」

 「われるおと、しなくなった。きのうのよるから、ずっと」

 夜が、急に静かになった気がした。

 割れる音が、止まった。

 止まったのは、割れ終わったからだ。かたいものの中にいた何かが——外に、出た。

 胸の底が冷えていく。

 フウがもう一度、闇の先を見た。それから、こちらを見上げて言った。

 「——うまれたよ」


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