表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
解錠師と呼ばれる転移者——魔法の構造が丸見えなので、型など必要ない  作者: 紬 律
第4部

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
74/87

Episode 74|問い

【視点マークの読み方】

◆=ケイたちのいる世界

■=アリスの側

♣=キャロル(アリスの母)の側



 夜は、まだ終わっていなかった。

 キャロルは、端末の前に残っていた。新しい一手は渡った。その代償には、まだ誰も触れていない。

 席を立てなかった。眠れるはずもなかった。頭が、勝手に恐ろしい計算を始めていた。

 ——あの地下は、いくらかかる。

 端の見えない寝台の列。冷気。管。装置。電力。薬剤。一床で数えて列を掛け、年を掛ける。出てきた桁は、慈善で払える額ではなかった。

 会社は慈善をしない。払うなら、取る。あの寝台の列から、この会社は何かを取り出している。

 ——何を。

 そこで、思考が自分の足元に落ちた。

 毎日の仕事に。

 暗号を扱う部署で、毎日触れている式。世界中の通信が、この会社の暗号の上で動いている。その心臓部にある式を知っている。誰よりも知っている。

 書いた人を知っているからだ。

 十七年、遺作だと思っていた。死んだ人の式が世界を動かしている。そう思って、守るように扱ってきた。

 彼は、生きていた。

 そして、彼はまだ知らない。自分の式が外でどうなったのか、彼には知りようがないのだ。あの春から、ずっと。

 娘の眠る建物と、彼の式。同じ会社が二つとも抱えている。

 新型のシステム。そう聞かされて、疑ってこなかった。——地下を見るまでは。

 キャロルは端末に指を置いた。

 打つのは報告ではない。問いだ。

 『聞いて。伝えていないことが、ひとつある』



 工房の夜に、娘の声が母の言葉を運んできた。一字も欠かさずに。

 『あなたの式は、死んでいない。この会社の暗号の核はあなたの式。世界中の通信が、いまもその上で動いている』

 ケイの手が止まった。

 ——動いているはずがない。

 理論は世界に出ていた。学会で発表した。国外の研究施設から声もかかっていた。誰でも読める場所に、あの式はあった。

 そして読んだ者は、みんな同じことを言った。美しい、だが動かせない。あの式は全部の通信に毎回、新しい鍵を作り続ける。その計算の量は、世界中の計算機を集めても足りない。

 ——足りないと、書いた本人がいちばん知っている。

 紙の上の理論。そのはずだった。

 それがいま、世界中の通信を回している。

 机の端を指が掴んでいた。力を抜くのに一呼吸かかった。

 ——考えろ。

 像を結んだものが、もうひとつあった。

 この世界に来た日から、ずっとあった違和感。魔法陣が読めた。型の中身が見えた。誰の術式でも、開け方が分かった。

 向こうへ——娘の体が眠る側へ潜りはじめてからも、同じだった。防火壁が読めた。門が読めた。罠の置き場所まで読めた。誰かがこちらの読み方を先に知っている——そう思っていた。

 逆だ。

 読めたのではない。

 自分の字だった。

 鍵を破っていたのではない。自分で掛けた鍵を開けて回っていただけだ。

 声もなく短い息が漏れた。笑いにいちばん近い息だった。

 だが、と指が動き出す。数字が合わない。

 「式は本物だ。だが、あれを動かせる計算機はない。俺のいた頃には、なかった」

 娘の声が言葉を運び、母の文字が答えを返してくる。

 『いまも、ない。昔、見積もったことがある。会社は新型のシステムと呼ぶだけ。わたしのいる暗号の部署にも、中身を見た者はひとりもいない』

 二人の見積もりが、同じ場所で止まった。

 式は現に動いている。動かせる計算機は存在しない。

 「なら——何が計算している」

 声に出して問うた。母の文字は、すぐには返ってこなかった。

 目の前に、見たことのない部屋が浮かんだ。娘の言葉だけで知っている部屋。端の見えない寝台の列。管。後頭部へ刺さる一番太い束。

 『わたしも、同じものを思い浮かべてる。あの地下を見た夜から、ずっと』

 この世界の住人が、あの部屋で管に繋がれて眠っている。それはもう知っている。知らずにいたのは——なぜ繋ぐのか、だ。

 「人の脳は、使われている場所より使われていない場所の方が広い。大半は眠ったままだと、研究室では笑い話だった」

 『眠らせたまま、残りを全部使えたら。……でも、一人分では足りない』

 「なら、並べる。何百と繋いで、ひとつの計算機にする」

 言葉が、そこで途切れた。

 「……計算、させられているのか」

 誰も、すぐには答えなかった。

 あの管は、栄養でも薬でもない。後頭部の一番太い束は——脳へ、仕事を運ぶ線だ。

 寝台の列が、計算機の列に見えた。見えた瞬間、世界の底が一枚めくれた。

 ——人を並べて、脳の余りを束ね、計算機にする。俺の式を回すために。

 証はまだない。だが他に、答えの置き場がない。

 そして、もうひとつ。

 ——論文は、誰でも読めた。作るだけなら、俺は要らない。

 ——なら、あの夜。俺を運ぶ必要は、何だ。

 ——では、俺は。

 問いが、そこまで形になったときだった。糸が細くなった。

 「アリス」

 「……だいじょうぶ、です」

 大丈夫という声が、大丈夫ではなかった。

 問いを置いた。指先は冷えたままだったが、置いた。

 ——いま数えるべきは俺の問いじゃない。娘の残りの力だ。



 アリスは、緩んだ指を握り直した。

 握った感触が、昨日より薄い。

 覚めた最初の朝から、ずっと握り続けてきた指。意識をこの体に留めるための見えない指。長い言葉を運んだ夜は緩むのが早い。今夜は、いちばん長い夜だった。

 父の声が糸を渡ってきた。いつもの短さで。

 「今夜は、もう運ぶな」

 「もう少しだけ。……言わないまま眠れないことが、残っています」

 代償の話だ。

 「ドローンが見たものは、施設の記録に残ります。記録が増えれば、管理の人がこの区画を調べに来ます。来た人は、これまでの記録も遡ります」

 夜ごとのドローンが、この寝台の前でだけ何も映してこなかった。遡る人はいつか、そこに気づく。帳に。帳の下で目を覚ましていた者がいたことに。

 「あの一手は、隠れるのをやめる一手です。守ってきた隠れ場所を自分たちの手で差し出します。それを分かった上で、使いたいんです」

 糸の向こうで父が黙った。端末の向こうで母も黙っているのが分かる。

 最初に返ってきたのは、母の文字だった。

 『だめ』

 二字だけだった。

 少し遅れて、続きが届いた。

 『あなたを、賭け札にはしない』

 「お母さん」

 アリスは、天井の暗がりを見た。夜ごと巡ってくるドローンを思った。

 「あのドローンを、ずっとわたしが逸らしてきました。向けるのも、わたしがやります。誰かの札ではなく、わたしの手で」

 糸も端末も、しばらく黙っていた。

 父の声が先に戻ってきた。

 「勝算の話をする」

 いつもの声だった。それが、ありがたかった。

 「今夜の話の続きだ。寝台の人間が計算させられているなら、この世界での力は、そのままあの会社での仕事だ。俺の式が向こうで通信を回していたように、お前が毎日やってきた証明も、向こうで何かを回している。アリス。お前の証明の力は、通信の認証を担っている。会社はお前の力で、鍵を確かめている。お前を消せば、会社中の通信が確かめられなくなる。だから会社は、お前を消せない」

 証のない仮説だ、と父は言った。だが数字はそこしか指していない、とも言った。

 「見つかっても、消されはしない。そこに賭ける。……ただし」

 声が一段低くなった。

 「帳と、向けるドローン。二つ同時に張る力は、あと一度分しかない。そうだな」

 「……はい」

 隠しても、糸の細りで知られている。

 「なら、一度で決める。外せない場所と、外せない言葉を選ぶ。その舞台を作れるのは——」

 父の声が、母へ向いた。

 糸と端末が、同じ人を指していた。



 運ばれてきた言葉を、キャロルは読み終えた。

 舞台。

 一度きりなら、外させない。あの人がいちばん重い言葉を口にする場所と時間を、こちらが決める。言い逃れの利く言葉ではなく、逃げ場のない言葉を。記録の残る場所で。

 それを作れるのは、何も知らないふりをして、あの人に縋ってきた人間だけだ。

 ——わたしの番だ。

 端末に指を置く。震えていなかった。

 だめ、と打った指だ。娘を札にはしないと打った同じ指で、これから娘の一手が外れないための舞台を組む。

 母親のやることではないのかもしれない。

 でも、母親にしかできないことだった。

 打った。

 『わかった。舞台はわたしが作る』

 作り方は、ひとつしかない。

 あの人に頼むのだ。娘に会わせて、と。

 息を吸う。誰もいない部屋で、明日あの人の前で使う声を一度だけ試した。

 「——会わせて」

 声は震えなかった。

 芝居の台詞のはずだった。

 世界でいちばん、本心に近い台詞だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ