表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
解錠師と呼ばれる転移者——魔法の構造が丸見えなので、型など必要ない  作者: 紬 律
第4部

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
72/86

Episode 72|穴

【視点マークの読み方】

◆=ケイたちのいる世界

■=アリスの側

♠=施設を管理する側

♣=キャロル(アリスの母)の側



 夜に入っても、ケイは工房にいた。

 朝から組みはじめた道は、まだ通っていなかった。

 監視の報せがあの男の端末にしか行かない区画。そこを通らずに母の端末へ届く、もう一本の経路。いま使われている道は、どれを通ってもあの男のログに残る。

 だから、古い保守回線を探した。会社がまだ小さかったころに引かれ、廃止の手続きだけを忘れられた回線。いまの監視は、そこを見ていない。誰も使わない。誰も外さない。忘れられたまま生きている。

 ——母親と、同じだ。

 ふと思う。あの人は警備に映らないまま、地下の娘まで辿り着いた。恐らく、同じような忘れられた道を通って。

 親が二人とも、忘れられた道を歩いている。この会社の新しさは、いつも足元が留守だ。

 継ぎ目を確かめ、鍵を組んで通す。最後の認証が噛み合って、道の先に別室の端末が立った。細い。だが、あの男のログには残らない。

 糸に声を置く。

 「アリス。道が通った。書いていい」

 急がなくていい、と続けそうになって、やめた。

 急ぐ理由は、ないはずだった。



 夜の別室は、昼より狭い。

 キャロルは扉を背にして、暗い画面の前に座っていた。画面を開くのは、今日で何度目か分からない。娘の声は、朝から一度も返っていない。

 廊下に耳を澄ます。足音はない。それだけ確かめて、画面に向き直る。

 画面が、光った。

 崩れた文字が、一字ずつ浮かぶ。

 『おかあさん。きこえます』

 息が止まった。

 両手で口を覆った。覆ったまま、二度うなずいた。誰も見ていない部屋で。

 『無事なの』

 『はい。もう、だいじょうぶ』

 だいじょうぶ。その六文字を、しばらく見ていた。何がどう大丈夫なのかは、ひとつも書かれていない。それでも、この文字はいま、娘の指から来ている。

 伝えることがある。

 今朝から胸の底で重くなり続けていたものを、キャロルは打ちはじめた。

 『きいて。今朝、あの人に呼ばれた。断れなかった』

 指は止めない。

 『あの人は言った。アリスは生きている。公にできない場所で生かされている。会わせることはできない。道は自分が作る。誰にも言うな——』

 文字にすると、ただの報告になる。あの部屋の空気も、机ひとつぶんの距離も、涙も載らない。それでいい。載せるべきは事実だけだ。

 『わたしは知らないふりをした。涙は嘘じゃない。理由だけ、すり替えた』

 一度だけ、手が止まった。

 『これからも、あの人の部屋に通う。あの人の口から全部を言わせるまで。言わせた言葉は、ぜんぶ武器になる』

 送ってから、最後に付け足した。

 『昨夜、何があったの』



 母の言葉が、道を流れてくる。

 アリスは寝台の中で、一字ずつ受け取っていた。

 今朝、呼ばれた。断れなかった。

 ——会って、いた。

 父の警告は届いていたのに、扉は向こうから開いた。

 あの男は母の前で言ったのだ。生きている、と。自分の手で運んだ娘のことを。守ってきた、という顔で。

 動かない指の先が、シーツをかすかに掻いた。それだけにした。声は出ない。涙は、こぼさない。こぼせば痕になる。こぼれた一筋を、あの男に見られかけた夜があった。

 怒りは載せない。一字も欠かさず、そのまま運ぶ。それが自分の務めだ。

 糸に、母の言葉を移していく。

 移し終えると、糸の向こうで父が黙った。

 長い沈黙だった。

 糸がこんなに静かなのは、初めてだった。



 読み違えていた。

 数えれば、三つ。

 母親は止まった——止まる前に、呼ばれていた。

 時間はこちらにある——なかった。盤面は昨夜のうちに動いて、こちらだけが朝の図を見ていた。

 手の内は見られていない——それはまだ、分からない。あの男が今朝動いた理由を、こちらは何も読めていなかった。

 息をひとつ吐く。

 式は違えたことがない。人を、違えた。

 だが、と目を戻す。

 母親は、呑まれていなかった。知らないふりで受けていた。通う口実を自分の手で掴み、言わせるまで通うと書いてきた。誰にも支えられず、罠の入口に独りで立っていた。

 ——独りでも、やる人だ。

 十七年前から知っていた。

 ならば、渡すものを渡す。

 内から、あの男の越権の足跡。外から、あの男自身の言葉。中で、娘が両方を運ぶ。

 三つが初めて同じ図の上に載った。

 糸に声を置く。

 「お母さんに伝えろ。あの男は昨夜、お前の目覚めを知った。だから今朝、動いた。あの男の『生きている』は、半分だけの告白だ」

 一拍、置いた。

 「それから——独りにして、悪かった、と」



 送ったまま暗くなっていた画面が、また光った。

 『あのひとは、あなたのめざめを、しっています。きのうの、よるから』

 読み終えるより先に、背筋が冷えた。

 昨夜、娘の目覚めが知られた。だから今朝、あの告白があった。

 生きている、とあの人は言った。目覚めている、とは言わなかった。容体は重い——聞かされて胸が千切れそうになった、あの言葉ごと嘘だった。守っている顔の下で、もう知っていたのだ。娘が目を開けていることを。

 半分の告白。半分の、鎖。

 『それから』

 文字は、ひと呼吸置いて続いた。

 『ひとりにして、わるかった。——と』

 息が詰まった。

 娘の言葉ではない。すぐに分かった。

 十七年前、ひと言もなく消えた人が、娘の指を借りて、初めて詫びた。

 泣かなかった。泣くのは、あの部屋での仕事だ。

 『わかった』とだけ打った。指が、勝手に続けた。

 『今度は、三人で』



 運用室に、夜が満ちていた。

 周はひとり残って、三巡目の洗い直しに入っていた。

 内に、いる。そこまでは詰めた。だが内側の誰かは痕を残さない。ならば痕ではなく、痕の消え方を数える。

 巡回の記録。報告の宛先。定時の波形。異常はない。

 ——正確には、異常のなさすぎる区画が、ひとつ。

 指が止まった。

 地下の一区画。昨夜から、定時巡回の一覧に載っていない。監視は動いている。報せる先だけが共有の台帳から消えて、どこかへ付け替えられている。宛先は封じられていて読めない。封じられていること自体が、答えの半分だった。

 網に、穴が開いている。

 外から破られた穴ではない。破られた痕がないからだ。内から開けた穴でもない。隠れている者は、網に触れられない。開けるには、網そのものに触れる権限がいる。

 ——上から、開けられた穴だ。

 この網に触れる者は少ない。網の上に立つ者は、もっと少ない。

 周は画面の光の中で目を細めた。

 外を洗った。空だった。内を洗った。痕がなかった。

 「……次は、上だ」

 低い声は誰もいない運用室に落ちて、消えた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ