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解錠師と呼ばれる転移者——魔法の構造が丸見えなので、型など必要ない  作者: 紬 律
第4部

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Episode 71|芝居

【視点マークの読み方】

◆=ケイたちのいる世界

♠=施設を管理する側

♣=キャロル(アリスの母)の側



 朝は、いつもどおりに来た。

 キャロルは自分の席で端末を開いていた。開いてはいたが、中身は頭に入っていない。昨夜の一語が、まだ胸の底で鳴っている。

 会うな。

 会わない、と決めた。近づかなければいいだけだ。あの部屋に、行かなければ。


 足音が、机の横で止まった。

 マコトだった。


 「おはよう。——少し、時間をくれないか。アリスのことで、話がある」


 指がキーの上で止まった。

 断る言葉を、三つ数えるあいだに探した。会議がある。手が離せない。体調が悪い。どれも使える。どれも、使えない。娘の名を出されて席を立たない母親はいない。立たなければ、それこそが答えになる。

 「……ええ」

 キャロルは立ち上がった。

 会うな、という声を胸の底に沈めたまま。

 廊下を、二人で歩いた。マコトは何も言わなかった。その沈黙が、一歩ごとに重くなっていく。

 昨夜、会わないと決めた。

 その扉が今朝、向こうから開いた。



 マコトは、キャロルに椅子を勧めた。

 自分は机を回り、正面に座った。距離は、机ひとつぶん。近すぎず、遠すぎず。彼女の顔がいちばんよく見える位置だった。

 今日は、話すためではない。見るためだ。

 「朝から、すまない」

 キャロルが顔を上げた。

 「……アリスのことって、何」

 声はかすかに掠れていた。眠っていない声だ。

 マコトは、一度目を伏せた。深刻な話を切り出す男の顔を、丁寧に作る。作りながら、目の端は彼女の手を見ていた。膝の上で重ねられた、白い手を。

 「落ち着いて、聞いてほしい」

 「……何を」

 「アリスは、生きている」


 部屋の空気が、止まった。


 キャロルの目が見開かれていく。唇が開き、声にならない息が漏れる。重ねた手が崩れて、椅子の肘掛けを掴んだ。

 「……何を、言って」

 「事故のあと、あの子は救われていた。公にできない場所で、生かされている。容体は重い。だが、生きている」

 「そんな——」

 声が割れた。

 「そんなこと……だって、車だけが……一年、わたしは……」

 言葉が砕けていく。砕け方に、淀みがなかった。

 完璧だ、とマコトは思った。

 知らなければ、信じただろう。疑う余地なく。娘の生を初めて知らされた母の顔として、どこにも綻びがない。

 だが、知っている。

 この女は地下に降りた。管に繋がれた娘を、その目で見た。生きていることを、誰よりも先に知っていた。

 いま目の前で崩れているこの顔は、最初から最後まで作られたものだ。

 「……どこ」

 キャロルが濡れた顔を上げた。

 涙まで、本物だった。



 驚きは、演技ではなかった。

 中身が、違っただけだ。

 生きている——その言葉に驚いたのではない。それを、この男が自分の口で言った。そのことに、背筋が凍った。

 涙は、勝手に流れた。止める必要はなかった。理由だけ、すり替えればいい。

 目の前の男は、娘を運んだ手で机に肘をつき、守ってきた、という顔をしている。事故のあと、ではない。事故を仕組んで、だ。救われていた、ではない。奪われていた、だ。

 言葉のひとつひとつが、内側を焼いた。焼かれた分だけ涙が出た。それを、驚きの形に流し込む。

 「どこにいるの」

 「言えない。場所は、私にも動かせない決まりがある」

 公にできない場所。——この建物の、足の下。

 知っているとは、口が裂けても言えない。

 「会わせて」

 「今は、無理だ」

 マコトは静かに首を振った。

 「あの子は、特別な設備の中にいる。外から人が入れば、命に関わる。……だが、道は私が作れる。時間はかかる。それでも、私なら作れる。あの子のそばまで行ける人間は、私しかいない」

 そこだけ、声が違った。

 哀れみでも、慰めでもない。提示だった。

 わかっている、とキャロルは思った。これは、鎖だ。差し出された手が、鎖の形をしている。娘への道の上に、この男が立った。通りたければ、この男を通るしかない。

 ——なぜ、今なの。

 喉まで出た問いを一度呑んで、それから声にした。訊かない方が、不自然だ。

 「なぜ……なぜ、今になって」

 「ようやく、確かめられたからだ。確かでないことを、君に言えるわけがない」

 胸の底で、声がした。

 嘘だ。昨夜だ。昨夜、何かがあった。ケイの警告と、この告白は、同じ夜から生えている。

 よくできた筋書きだ、と頭の隅が冷たく記録した。一年の嘘には、一年の言い訳が添えてある。捜索は尽くしたと言ったその口が、今朝は、救われていたと言う。

 言わせた言葉は、消えない。いつか全部、並べ直せる。この男の口から出たものは、ぜんぶ、この男を暴く武器になる。

 泣きながら、集めている。この涙の下で、一語も逃さずに。

 「最後に、ひとつ」

 マコトの声が、一段だけ低くなった。

 「このことは、誰にも言うな。調べようともするな。君が動けば、私にも、あの子を守れなくなる」

 守れなくなる。

 その言い方を、キャロルは正確に聞いた。守っているのは自分だと、この男は言った。生かしているのも自分だと、言ったのと同じだった。

 「……わかった」

 受け取るしか、なかった。



 工房にも、朝が来ていた。

 ケイは、道の図を組み直していた。

 塞がれた真ん中——母へ事実を運ぶ中継を、どう開け直すか。マコトの端末にしか映らない区画。ならば、映らない道をもう一本。時間のかかる作業だ。

 会うな、のひと言は届いた。母親は止まり、もうあの男には近づかない。あの男が知ったのは娘の目覚めだけで、母のことは何も掴んでいない。こちらの手の内は、まだ一枚も見られていない。

 だから、急がなくていい。落ち着いて、太い道を組めばいい。

 時間は、こちらにある。

 そう、思っていた。

 その朝、母親がどこで誰と向き合っていたかを、ケイはまだ知らない。



 扉が閉まった。

 マコトは、キャロルの座っていた椅子を見た。

 見事な驚きだった。声の割れ方も、砕けた言葉も、涙も。

 知っていて、あれをやった。

 なぜ隠す。そう考えると、答えはすぐに並んだ。会社を疑っているのだ。娘をあんな場所に置いた、この会社を。だから、誰も信じない。私のことも、まだ会社の側の人間として見ている。

 私を、疑っているのではない。

 疑われているなら、今朝あの顔は作れない。憎む相手の前で、人はあんなふうに泣けない。——そう、決めた。決めれば、楽になった。

 冷たい声が、何か言いかけた。今朝は、鳴る前に沈んだ。

 芝居でも、と思う。

 芝居でも、キャロルは今朝、私の前で泣いた。私の言葉ひとつで崩れ、私の手の中にある道を受け取った。これからキャロルは、あの子のために、この部屋の扉を叩く。何度でも。

 芝居のままでいい。その中でだけ、キャロルは私を見る。

 マコトは、端末を開いた。地下の区画の、静かな波形。眠る娘。

 「……悪いようには、しない」

 誰にも届かない声で、そう言った。

 扉は、私だ。

 キャロルの道は今朝から、すべてこの部屋を通る。


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