表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
解錠師と呼ばれる転移者——魔法の構造が丸見えなので、型など必要ない  作者: 紬 律
第4部

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
69/86

Episode 69|一拍

【視点マークの読み方】

◆=ケイたちのいる世界

♠=施設を管理する側

♣=キャロル(アリスの母)の側



 足音は、止まらなかった。


 キャロルは把手から手を離した。振り返る前に、顔を作る。すがる顔。頼る顔。作り慣れたはずの顔が、今夜は一拍遅れた。

 廊下の奥。夜間灯の下に、背の高い影が立っていた。


「……キャロル?」


 マコトだった。


「こんな時間に、どうした」


「家に、いたくなくて」


 声は、思ったより自然に出た。


「あの子の部屋が、そのままだから。仕事をしているほうが、まだ楽なの。……帰る前に、あなたの部屋に灯りがあるかと思って寄ったの。いなかったから、帰ろうとしていたところ」


「そうか」


 マコトが歩み寄ってくる。その足が来た方向を、目の端で測った。エレベーターホールの側ではない。反対の、古い棟へ渡る廊下の側。夜のこの時間にあの側から戻ってくる用事を、キャロルは知らない。

 訊けなかった。訊けば、知りたがっていると知られる。


「あなたこそ、こんな時間まで?」


 それだけを、すがる声に混ぜた。


「例の件だよ。侵入があってから、夜のうちに確かめることが増えた」


 マコトは鍵を出しながら言った。声は、いつもの穏やかさだった。


「立ち話もなんだ。入って」


 扉が開く。十七年隣にあった名前のプレートが、夜間灯を鈍く返した。



 鍵を差す指が、いつもより重かった。


 マコトは、背中で彼女の気配を測っていた。

 よりによって、今夜だった。誰にも報せず地下へ降りた。娘の目が開いているのを見た。あの区画を、自分ひとりの手に囲い込んだ。その足で戻れば、扉の前に彼女が立っている。


 なぜ、今夜なのか。


 胸の内で、冷たい声がまた鳴った。前に彼女が来たのは、端末を絞ったその日だった。今度は、地下へ降りたその夜だ。二度とも、こちらが動いた日に彼女が来る。

 偶然が、二度続くのか。


 だが。


 彼女は何も知らない。知りようがない。地下で起きたことは、どの記録にも残らない。残る先は、すべて自分の端末に付け替えた。廊下で会ったのは、ただの偶然だ。

 そして彼女は、また来た。自分から。この数日で、二度。十七年で一度もなかったことが。


 胸の奥が、灯った。


 いずれ、と思った。いずれ彼女は、私を頼るしかなくなる。あの子は、いま私の手の中にいる。あの子を返せるのは、私だけだ。私だけが——

 その考えの形に自分で気づいて、マコトは短く息を吐いた。

 形は、消えなかった。


 疑え、と冷たい声がまだ鳴っている。

 今夜は、その声が沈みきるまでにいつもより長くかかった。


「座って」


 声は、穏やかに出た。出せることを、確かめるように。



 部屋は、前に来たときと同じに片づいていた。机の灯りだけが点いて、部屋の半分は暗い。


 キャロルは、勧められた椅子に座った。

 マコトは、机の向こうに立った。前に来たとき、この人は距離を作らない座り方をした。今夜は、机を挟んだ向こうから動かない。


「あの子の部屋を、まだ片づけられないの」


 前置きは、しなかった。


「扉を開けるたびに、あの子がいた形のまま、時間が止まっている。だから夜は、家にいたくない」


「……そうか」


 マコトが目を伏せた。よくできた沈黙。十七年、見てきた沈黙だ。


「ねえ、マコト。あの子の話を、してもいい?」


「ああ」


「小さいころのあの子を知っているのは、あなたくらいだから」


 これは、嘘ではなかった。嘘ではないから、声が勝手に湿った。その湿りごと、演技の側へ押し出した。


「憶えている? あの子が小さかったころ」


「憶えているよ」


 マコトの声が、少しやわらいだ。


「歩けるようになったばかりのころだ。君の膝の上で、差し出した指を握って離さなかった。小さな手だった」


「そう。あなたの指を」


「芯の強い子だった。顔は、君に似ている」


 部屋が、静かになった。


 一拍。


「……似ていた、な」


 マコトは言い直した。目は伏せたままだった。


 キャロルは、膝の上で手を重ねた。重ねた手の下で、指が冷えていく。


 似ている、と言った。

 言い間違いなら、誰にでもある。死んだ子の話をするとき、時制は揺れる。わたしだって、揺れる。

 けれど、言い直すまでの一拍が長すぎた。

 あれは言い間違えた人の一拍ではない。思い出していた人の一拍だ。

 遠い昔を、ではない。もっと近くを。——たとえば今夜、見てきたばかりの、誰かの顔を。


 ——この人は、今夜、何かを見てきた。


 根拠はない。古い棟の側から戻ってきた足。机を挟んで動かない距離。いまの一拍。それだけのものが束になって、ひとつの方向を指していた。


 娘に、何かがあった。


 叫び出したいのを、喉の奥で潰した。訊けば、終わる。この部屋で積み上げてきたものが、全部。


「……ごめんなさい。こんな時間に、こんな話」


 キャロルは立ち上がった。すがる顔のまま。


「聞いてくれて、ありがとう。少し、眠れる気がする」


「ああ。いつでも」


 扉を閉めるまで、顔は保った。

 廊下を歩き出して、三歩目で足が速くなった。

 誰も使わない隅の部屋まで、角を二つ。呼びかけても返らないことは、知っている。それでも、呼ばずにいられなかった。



 糸が、震えた。


 アリスからだった。——あの男が、出ていきました。足音が、消えました。


 ケイは、組みかけの鍵から手を離した。


 出ていった。

 地下を離れて、あの男はいま自由に動いている。どこへ向かったかは、読めない。経路は読めても、人の足は読めない。


 ——聞け。あの男は、上に報せていない。おまえの寝台ごと、監視から切り離した。おまえの区画で起きることは、もうあの男の端末にしか届かない。


 間を置いて、糸が震えた。——わたしは、どうすれば。


 ——動くな。道を開くな。開けば、真っ先にあの男に知れる。


 ——お母さんは。


 すぐには、返せなかった。


 母親は、あの男に近づく。そういう計画だった。だが状況が変わった。あの男は娘を握った。それを知らないまま犯人の懐へ入るのは、目隠しのまま罠の上を歩くのと同じだ。

 止めたい。だが、事実を運ぶ道がない。名も、企ても、言葉にして運べるのはアリスだけだ。そのアリスの道は、開いた瞬間にあの男へ知れる。


 ——だが。


 あの男が握ったのは、娘の寝台から出る通信だ。内側から道を使うぶんには、あの男には見えない。

 そして、式なら書ける。

 言葉ではない。ただの記号の列。誰が見ても機械の呟きにしか見えない。周が見ても、あの男が見ても。

 ひとりだけ、違う。同じ机で、この式の癖を声のように聞いていた人間がいる。


 あの回路は、多くを運べない。事実を書けば式が崩れる。通るのは一語。短い息のようなものだけだ。

 一語で、何が伝わる。娘のことも、檻のことも、載らない。

 載らなくていい。止まってくれれば、それでいい。彼女は、一語から全部を疑える人だ。


 ケイは、新しい式を組み始めた。

 一語だけの式。


 ——会うな。


 式を、道に流した。

 届いたかどうかは、わからない。読まれたかどうかも。


 糸の向こうで、娘が息を詰めている。


 ——お父さん。お母さんは。


 ——手は打った。


 それだけを、返した。

 打った手が一語きりだとは、言えなかった。



 誰も使わない、隅の部屋。

 暗い画面が、一度だけ明るくなった。短い記号の列がひとつ、浮かんでいる。誰が開いても、ただの機械の呟きにしか見えない。声として聞ける人間は、この会社にひとりしかいない。

 その人はいま、この部屋へ戻る廊下を歩いている。

 会うな、という声は間に合わなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ