Episode 6|鍵と鍵穴
◆
城下は静かだった。
静かすぎた。
石畳の上を黒いものが這っている。蔓だった。地面から壁へ、壁から建物の軒先へ、軒先から空へ向かって伸びている。
人が、立ったまま動かない。商人が。子供が。老人が。体に光る鎖が巻きついていた。通りだけで、十数人いた。
「これがクロージャです」
アリスが言った。走っている。息は乱れていない。
ケイは答えなかった。蔓の走り方を目で追っていた。地面の一点から広がっている。根がある。
「アキラはどこですか」
「広場のはずです」
走った。
◆
広場の中央に、アキラがいた。
黒髪が乱れ、細身の体に光る鎖が巻きついている。両腕が体側に固定されている。顔だけが動く。
「遅えぞ」
「動けますか」
「首だけな」アキラが目をよこした。「フウが先に来てた。騒ぎを聞いて近づいた。引っかかった」
視線の先。広場の端の石柱に、小さな影が寄りかかっている。フウだった。鎖が体を覆っている。目が閉じている。
「意識は」
「さっきまであった」
ジンが並んで立っていた。刀を抜いたまま蔓を見ている。
「物理攻撃が効かない」低い声だ。「切れる。だが即座に再生する。騎士が七人試した」
広場の外、騎士の一人が炎の型を放った。蔓が焼けた。一瞬だった。元に戻る。封印はそのままだ。
サトルがいた。眼鏡の奥の顔が青い。羊皮紙を手に持っている。
「来ていたんですか」
「資料室から連絡を受けて」サトルが羊皮紙を差し出した。「以前の討伐で使われた鍵の型です。試みましたが、封印が解けない」
受け取った。
線と記号と数式。繋がりのパターンが目に入ってくる。どこで分岐して、どこで収束するか——。
手が、止まった。
——どこかで、見た。
一瞬だった。
「……ケイ君?」
「見ていただけです」羊皮紙を返した。「新型です。この型では合わない」
サトルが羊皮紙を見た。「新型……」声が小さくなった。「では——」
「別の方法があります」
型ではなく、構造から。
◆
蔓の根元に近づこうとした。
動いた。
気づいていた、という感じではない。反応した——そういう感じだった。蔓の一本が床を這って伸びてくる。ジンが踏み込んだ。刀が蔓を断つ。落ちた。次の瞬間には繋がっている。
また伸びてきた。一本が二本になった。
「下がってください」
アリスが前に出た。両手を広げる。光が走る。半透明の壁が広場の床に線を引いた。蔓が触れた——弾かれた。
「続けてください」アリスが言った。「壁を維持します」
壁の外で蔓が増えていく。二本が四本になった。四本が八本になった。壁の各所に当たっては弾かれる。
その内側で、ケイは構造を読んだ。
蔓の根元。黒く光っている。線。繋がり。どこで分岐して、どこで収束するか——。
——見える。
封印の鎖に、形があった。錠前ではない。鍵穴だった。光の線が一点に向かって収束している。差し込むべき形が、そこにある。
「鍵穴が見えますか」
アリスが、壁を維持したまま言った。
「見えます」
「……私も」静かな声だ。「見えます」
ケイは少し止まった。「どこですか」
アリスが、鎖の一点を指した。正確だった。
壁の外で蔓が鳴った。ぶつかる音が続く。数が増えている。
「対になる形を作れば解除できます」ケイは言った。「ただ——」
視線を上げた。アキラがいる。封印の鎖が巻きついたまま動けない。蔓の壁の向こうだ。近づけば、俺も封印される。
「封印の傍まで、俺が行くのは無理です」
「わかってます」アリスが言った。「私が届けます」
「受け取れますか。形が複雑になります」
「問題ありません」
◆
鍵穴の形を読んだ。
対になる形を組み立てる。型からではない。構造から直接作る。
空中に指を走らせた。光の線が走る。分岐して、収束して、形が出来上がっていく。
壁が揺れた。
蔓の数がまだ増えている。アリスが結界を押し返している。
急ぐ。だが急ぐと形が崩れる。崩れれば合わない。合わなければ解けない。
手を止めない。形を読みながら組み上げていく。
壁が、また揺れた。
アキラの鎖の鍵穴に、正確に合う形。
出来た。
「受け取ってください」
アリスが両手を広げた。ケイの描いた光が、アリスの手の中に落ちた。
光の色が変わった。ケイが組んだ形に、アリスの魔力が重なる。ゆっくりと、安定していく。形が、鍵になった。
「行きます」
光が直線を引いた。蔓の壁を抜けた。アキラの体へ。鎖の一点に触れた——噛み合う感触があった。音ではない。世界がわずかに揺れた感じだ。
ひびが入った。
広がった。
鎖が、砕けた。
光の粒が四散した。
アキラがゆっくりと前のめりになった。膝をつく。「……っ」最初に動いた手で頭を押さえた。「重かった」
「フウも」
「ああ」
同じことをした。鍵穴の形を読む。形を組む。アリスが受け取る。届ける。今度は、速かった。
フウの鎖にひびが走った。広がった。砕けた。光の粒が散った。
その場に崩れる。ジンが走り寄った。体が小さい。腕の中に収まった。
「……ケイ?」小さな声がした。フウが目を開けていた。「来てくれた」
「来た」
「よかった」
それだけ言って、また目を閉じた。
◆
蔓の根元に戻った。
黒く光る種がある。小さい。これが始まりだった。
形を読んだ。
鍵穴ではない——存在そのものの構造だ。この種が蔓を動かし、封印を広げ続けている。構造に直接手を入れれば、蔓ごと止まる。
今度は鍵ではない。アリスは必要ない。
空中に指を走らせた。種の構造そのものへ、直接。
蔓が反応した。一斉に動く。アリスの壁に向かって。
手を止めない。
種が、光った。
一瞬だけ、眩しかった。
割れた。
蔓が動きを止めた。静止する。薄くなっていく。消えた。
封印も、解けた。
広場のあちこちで人が崩れ落ちた。騎士たちが駆け寄る。
静かになった。
本当に、静かだった。
◆
「鍵穴の形は」アキラが言った。回復しかけの顔で蔓の跡を見ている。「俺には見えなかった。何が違うんだ」
「構造として読んでいます」
「構造として」アキラが繰り返した。「……そういうのは、お前だけだろ」
ケイは答えなかった。
アリスがこちらに目を向けた。何かを言いかけた。言わなかった。
ジンがフウを抱えたまま立っていた。「鍵を配送する魔法は、聖詔者様の術式ですか」
「そうです」
「転移者でなければ使えない術式でしたか」
「そうです」
ジンが少し間を置いた。「……なるほど」
蔓の跡をしばらく見ていた。それ以上は言わなかった。
サトルが、手元の羊皮紙を見ていた。鍵の型が書かれたものだ。
「……新型というのは、この型の鍵穴と形が違う、ということですか」
「そうです」
「ではこの型の元になった鍵は——誰が作ったものなんでしょう」
ケイは答えなかった。
答えられなかった、と言った方が正確だ。
わからない。
ただ、あの式の組み方に。どこかで見た感触があった。
◆
帰り道、アリスが並んで歩いていた。
「鍵穴の形が、見えました」静かな声だ。「型として覚えたわけではないのに」
「そうですね」
「……なぜ見えたんでしょう」
ケイは少し考えた。
「構造を読もうとしたからだと思います」
「型より先に原理を、ということですか」
「そうだと思います」
アリスが少し間を置いた。
「続きを聞いてもいいですか。工房で」
「どうぞ」
先に歩いていた。




