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Episode 45|同じ場所


 門を抜けるまで、ケイに読めていたのは入口だけだった。


 いま、二人で一枚目を抜け、ケイの意識は本体に入っている。次の壁を読もうと、奥へ辿りはじめた。


 すぐに、気づいた。


 この道は、一本ではない。


 無数の接続が、束になっている。奥へ、奥へ。終わりが見えない。ひとつひとつが、絶えず微弱な信号を出していた。機械の規則正しさとは違う。もっと、揺らいでいる。


 ——なんだ、これは。


 構造は読める。だが、これがなんなのかは読めなかった。膨大な数の何か。繋がれたまま、信号を出しつづけている。


 組まれ方なら、いくらでも読める。だが、中身までは届かない。そこは、アリスの領分だった。


 この道の先に、たくさんの人がいる気がします——さっき、アリスはそう言った。


 ケイは、糸の向こうへ意識を向けた。


「アリス」


「はい」


「経路に、数えきれないほどの接続がある。おれには構造しか読めない。これが、なんなのかわからない。お前には、何が見えている」


 しばらく、返事がなかった。




 アリスは、気配に近づいていた。


 道の先に、たくさんの何かが連なっている。ケイの言葉で、それが人だとわかった。けれど、わかったあとのほうがこわかった。


 近づくと、ひとつひとつに輪郭のようなものがあった。


 触れたわけではない。ただ、そばを通ると伝わってくるものがあった。息づかいに似た、かすかなもの。それが、自分の首の奥の管と同じ温度をしていた。


 ——みんな、わたしと同じだ。


 管に繋がれて、横たわっている。声を出せないまま。ここではない、どこかに自分を伸ばして。


 アリスは、そのまま進んだ。気配の列のあいだを。


 そして、足が止まった。


 知っている気配が、あった。


 ひとつではなかった。


 祈りの座をともにした人。隣で同じ言葉を誦んだ、年上の聖詔者。評議の間の長い卓の向こうにいた人。剣を佩いて、街の外へ出ていった人たち。声を覚えている。役目を覚えている。あの世界で、たしかに会った人たち。


 その気配が、いまこの列の中にあった。


 管に繋がれて。横たわって。自分と同じ姿で。


 もっと奥に、知った気配がまた二つ。


 サトル様とジン様。ケイの仲間。あの工房で、何度か顔を合わせた——その気配が、ここに並んでいた。


 アリスは、息を止めた。声の出ない喉が、それでも何かを言おうとして空気だけが抜けた。


 ——どうして。


 あの人たちは、あの世界にいた。あの世界で、暮らしていた。朝があって、祈りがあった。それなのに。


 あの世界のみんなが、ここにいた。


 この灰色の部屋に。管に繋がれて。並んで。


 アリスの指先が、寝台の上でこわばった。動く、たった一本の指が。


 ——では。


 その先を考えようとして、考えられなかった。あの世界が、なんだったのか。自分が暮らした、あの場所が。問いの入り口に立っただけで、足がすくんだ。




「ケイさん」


 アリスの声が、揺れていた。


「人です。あの接続は、人です。わたしの知っている人が、たくさん。祈りをともにした人も。サトル様とジン様も。みんな、管に繋がれて」


 ケイの手が、止まった。


 ——人か。


 アリスが、前に言っていた。自分の周りに、寝台が並んでいると。同じ管に繋がれた人が、列の端まで。あれが、これか。だが、数が違う。あの部屋の寝台どころでは、ない。


 膨大な数の、正体の知れなかった接続。そのひとつひとつが、誰かの意識だった。データに置き換わって、経路に繋がれたまま。


 ——これが、流れか。


 前に、たどり着いた言葉だった。大勢の意識が寄り集まり、ひとつの大きな流れになる。言葉では、わかっていた。だが、その数を初めて知った。


 あの工房も、あの街も、あの王宮も。この者たちが繋がって見ていた、ひとつの場所。


 そして、サトルとジン。仲間が、ここに繋がれている。だとすれば、いま工房にいるはずのあの二人は。そして——


 ——いまは、考えるな。


 ケイは、奥へ押しやった。三度目だった。押しやるたびに、押しやりきれないものが少しずつ残った。


「ああ」


 ケイは、それだけ言った。否定する材料が、ひとつもなかった。


「おれたちのいた場所は、この者たちが繋がって見ていた場所だ。たぶん、そういうことだ」


 言葉にすると、いっそう重かった。だが、いまは進むしかない。


 ケイは、別の作業に移った。


 アリスから聞いた母の会社の名。ルッキンググラス。その場所が、どこにあるのか。経路を辿ってみる。一本ずつ。どの方向へどれだけ遠くへ向かうのか。


 遠くへは、向かわなかった。


 経路は、外へ出ていかない。すぐ近く。同じネットワークの内側を指していた。


 ——近い。


 ケイは、もう一度辿り直した。間違いであってほしかった。だが、何度辿っても針は同じところを指す。


 経路が、外へ一度も出ない。これだけ近いなら、遠くの別の場所ではない。同じ屋根の下だ。


 アリスのいる場所と母の会社が、同じネットワークの中にあった。


「アリス」


 ケイの声が、いつもより低かった。


「お前がいる場所は——母の会社の中だ」


「……え」


「お前は、外の遠くに囚われているんじゃない。母の会社の建物の中に、最初から寝かされている」


 糸の向こうで、アリスは何も言わなかった。


 ケイは、いちばん奥に視線を送った。点の群れのさらに向こう。


 壁があった。


 これまでとは、桁が違う。防火壁の層が幾重にも折り重なり、その奥にもう一段別の守りがある。外から触れるものをすべて拒むために組まれた、いちばん硬い関所。


「母の部屋も、この建物のどこかにある。だが、その手前にいちばん硬い壁がある。これを越えないと、奥は読めない」


「……はい」


 アリスの声は、まだ戻っていなかった。




 母が、近くにいた。


 ずっと、近くにいた。あの世界にいたときも、いまここで横たわっているあいだも。同じ建物のどこかに。


 うれしいはずだった。


 なのに、胸の奥が冷えていった。


 あの世界のみんなが、この建物に繋がれていた。祈りをともにした人も。剣を持って出ていった人も。ケイの仲間も。みんな、ここに横たわっていた。そして、その建物の名は母の会社のものだった。


 冷えたものが、ひとつの問いに変わった。


 ——お母さんは、これを知っているのだろうか。


 アリスは、たった一本の指を握ろうとした。握れなかった。


 このたくさんの眠る人たちのことを。あの世界のことを。そして、その中に自分の娘がいることを。


 問いは、答えのないまま灰色の天井に昇っていった。


 その天井のずっと向こう。いちばん硬い壁の、さらに奥に母がいる。


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