表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
35/52

Episode 35|目


天井。

灰色。模様はない。

ずっと、それを見ていた。


光の出所がわからなかった。影もなかった。明るくも暗くもなかった。ただ、見えていた。


夢の続きだった。

そう思おうとした。

思えなかった。


音があった。

低い、一定の、機械音。ファンのような音。風はない。

途切れなかった。

神殿の朝に、こんな音はなかった。


匂い。

最初は、ない、と思った。

しばらくして、わずかに、金属に似た気配が、あることに気づいた。鼻の奥のほうで、それは、続いていた。


背中の下に、平らな何かがあった。

布ではない。冷たくもない。温かくもない。

体重を受けている。

受けすぎていた。


——夢の、続きでは、ない。


頭の中で、その一言だけが、出た。

口は動かなかった。




息をしていた。

それは、確かだった。

胸が、上下しているのが、自分の視界の端で、わかった。


吸う、と決めて、吸った。

吐く、と決めて、吐いた。

そのつもりだった。

それより先に、何かが、動いていた。

自分の呼吸の上に、別の呼吸が、重なっていた。


鼻の奥に、硬いものの感覚があった。

口の中にも、何かがあった。

舌だけが動いた。

舌が、それに触れた。柔らかい、管だった。

舌の根のほうへ続いていた。どこまで続いているのか、舌では追えなかった。


——口に、ある。


それ以上の言葉は、出てこなかった。

代わりに、人差し指の先が、ほんのわずかに、動いた。

動いた、と自分にだけ、わかった。


誰も、見ていなかった。




視線を下げた。

眼球だけが動いた。首は動かなかった。


胸の上に、白い薄いシートが、見えた。

シートの下に、丸い何かが、いくつか貼られているのが、輪郭で、わかった。

コードのようなものが、シートの縁から、外へ、伸びていた。

伸びていった先は、視界に入らなかった。


腕。

両腕は、体の横に置かれていた。

細かった。

自分の腕とは、思えない細さだった。

自分の腕を、ずっと、見たことがなかった気がした。


右の腕の、肘の内側に、透明な細い管が、刺さっていた。

管の中で、液体がゆっくり動いていた。


下のほうにも、何かがある気がした。

腰の奥に、温度のない異物の感覚。

それを認識するのは、後回しにした。


——これは、私の、体ですか。


二段目は、出さなかった。

出すことが、こわかった。


代わりに、思った。

動かないのは、これらのせいだけではない、と。

体そのものが、動かない。

力が、入らない。

入れ方を、忘れていた。


口の管が、舌の上で、また震えた。

喉の奥で、何かが押し入った。

自分が吸う前に、空気が入ってきた。

鼻の奥の硬いものが、震えた。

そこから、空気が、もっと奥へ、送り込まれた。


——奥のほうで、何かが、代わりに、吸って、吐いていた。


夢の中で、そう思ったことを、思い出した。

夢ではなかったことを、いま、知った。




首を動かそうとした。

動かなかった。

何度か試した。

ミリの単位で、動いた気がした。

気がした、だけかもしれなかった。


それを、何度も繰り返した。

時間の感覚が、なかった。

光は変わらない。音も変わらない。

変わるのは、自分の指の先と、首の角度だけだった。


首が、ほんの少し、横を向いた。

確かに動いた、とわかるまでに、長い時間がかかった。


横に、寝台があった。

自分のものと、同じ形をしていた。

誰かが横たわっていた。

胸が、上下していた。

目は、閉じていた。

動かなかった。


その人の口に、管が、入っていた。

鼻にも、管が、入っていた。

胸には、白い薄いシートが、貼られていた。

腕の肘の内側に、透明な細い管が、刺さっていた。

寝台の頭のほうから、太いコードのようなものが、外へ、伸びていた。


——同じだ。

——自分も、ああなって、いるのだ。


自分では見えなかった、自分の体の輪郭が、その人の体で、わかった。

首の後ろから、何か太いものが、伸びていることも、その人の頭の位置で、察した。


その横に、もう一つ。

さらにその横に、もう一つ。

端は、見えなかった。

どの人も、同じだった。

どの胸も、同じ間で、上下していた。

同じ息で、同じように、生かされていた。


——私だけでは、なかった。


それは、安堵ではなかった。

別の、もっと深い、何かだった。

それが何であるか、言葉にする力は、まだなかった。


ただ、ひとつだけ、言葉にしなくても、わかることがあった。


いつか、ここを出るとして。

この、並んだ息を、置いていく自分は、思い描けなかった。

ひとり残らず。

そう思っている自分が、いた。


寝台の足元のほうを、見ようとした。

首はそこまで動かなかった。

眼球の端で、わずかに、二つのことに気づいた。

古いほうの寝台の足元は、わずかに擦れていた。

新しいほうの寝台の足元は、薄く光っていた。


ずっと前から、ここにある寝台と、最近、置かれた寝台が、ある。

それを、誰が、置いているのか。

誰が、寝かせているのか。


考えてはいけない気がした。

考えると、戻れなくなりそうだった。




頭を、元に戻した。

戻すのにも、時間がかかった。

動かしたぶんだけ、首の後ろに、引っかかる感覚があった。

重さではなかった。

何かが、刺さっている感覚だった。


胸の電極。

腕の点滴。

口の管。

鼻の管。

腰の奥の異物。


そのどれよりも、それは、深かった。

体のずっと奥のほうに、それは、入っていた。


他の管は、自分の体に、外から、付けられていた。

これだけは、違った。

自分の中から、伸びている、ような感じがした。


——これが、いちばん、深い。


二段目は、出さなかった。

言葉にすると、何かが、決まってしまう気がした。


光は、変わらなかった。

音も、変わらなかった。

だが、長い時間が、流れていた。

それは、息の数でわかった。

自分の上に、重なっている、別の息の数で。


足音は、なかった。

扉の音も、なかった。

誰かの声も、なかった。


人差し指の先が、もう一度、動いた。

今度は、少しだけ、はっきりと。


それを、誰も、見なかった。


誰も、来なかった。


いつもお読みいただきありがとうございます。

区切りにあたり、Ep32、33話を一部加筆修正しました。「ケイたちがなぜ“外”を目指すのか」——その目的が伝わりにくい箇所があったため、明確にするための補強です。


ストーリーの大筋は変わりません。お時間があれば読み返していただけると、この先の展開がより掴みやすくなると思います。


引き続きよろしくお願いいたします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ