Episode 35|目
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天井。
灰色。模様はない。
ずっと、それを見ていた。
光の出所がわからなかった。影もなかった。明るくも暗くもなかった。ただ、見えていた。
夢の続きだった。
そう思おうとした。
思えなかった。
音があった。
低い、一定の、機械音。ファンのような音。風はない。
途切れなかった。
神殿の朝に、こんな音はなかった。
匂い。
最初は、ない、と思った。
しばらくして、わずかに、金属に似た気配が、あることに気づいた。鼻の奥のほうで、それは、続いていた。
背中の下に、平らな何かがあった。
布ではない。冷たくもない。温かくもない。
体重を受けている。
受けすぎていた。
——夢の、続きでは、ない。
頭の中で、その一言だけが、出た。
口は動かなかった。
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息をしていた。
それは、確かだった。
胸が、上下しているのが、自分の視界の端で、わかった。
吸う、と決めて、吸った。
吐く、と決めて、吐いた。
そのつもりだった。
それより先に、何かが、動いていた。
自分の呼吸の上に、別の呼吸が、重なっていた。
鼻の奥に、硬いものの感覚があった。
口の中にも、何かがあった。
舌だけが動いた。
舌が、それに触れた。柔らかい、管だった。
舌の根のほうへ続いていた。どこまで続いているのか、舌では追えなかった。
——口に、ある。
それ以上の言葉は、出てこなかった。
代わりに、人差し指の先が、ほんのわずかに、動いた。
動いた、と自分にだけ、わかった。
誰も、見ていなかった。
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視線を下げた。
眼球だけが動いた。首は動かなかった。
胸の上に、白い薄いシートが、見えた。
シートの下に、丸い何かが、いくつか貼られているのが、輪郭で、わかった。
コードのようなものが、シートの縁から、外へ、伸びていた。
伸びていった先は、視界に入らなかった。
腕。
両腕は、体の横に置かれていた。
細かった。
自分の腕とは、思えない細さだった。
自分の腕を、ずっと、見たことがなかった気がした。
右の腕の、肘の内側に、透明な細い管が、刺さっていた。
管の中で、液体がゆっくり動いていた。
下のほうにも、何かがある気がした。
腰の奥に、温度のない異物の感覚。
それを認識するのは、後回しにした。
——これは、私の、体ですか。
二段目は、出さなかった。
出すことが、こわかった。
代わりに、思った。
動かないのは、これらのせいだけではない、と。
体そのものが、動かない。
力が、入らない。
入れ方を、忘れていた。
口の管が、舌の上で、また震えた。
喉の奥で、何かが押し入った。
自分が吸う前に、空気が入ってきた。
鼻の奥の硬いものが、震えた。
そこから、空気が、もっと奥へ、送り込まれた。
——奥のほうで、何かが、代わりに、吸って、吐いていた。
夢の中で、そう思ったことを、思い出した。
夢ではなかったことを、いま、知った。
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首を動かそうとした。
動かなかった。
何度か試した。
ミリの単位で、動いた気がした。
気がした、だけかもしれなかった。
それを、何度も繰り返した。
時間の感覚が、なかった。
光は変わらない。音も変わらない。
変わるのは、自分の指の先と、首の角度だけだった。
首が、ほんの少し、横を向いた。
確かに動いた、とわかるまでに、長い時間がかかった。
横に、寝台があった。
自分のものと、同じ形をしていた。
誰かが横たわっていた。
胸が、上下していた。
目は、閉じていた。
動かなかった。
その人の口に、管が、入っていた。
鼻にも、管が、入っていた。
胸には、白い薄いシートが、貼られていた。
腕の肘の内側に、透明な細い管が、刺さっていた。
寝台の頭のほうから、太いコードのようなものが、外へ、伸びていた。
——同じだ。
——自分も、ああなって、いるのだ。
自分では見えなかった、自分の体の輪郭が、その人の体で、わかった。
首の後ろから、何か太いものが、伸びていることも、その人の頭の位置で、察した。
その横に、もう一つ。
さらにその横に、もう一つ。
端は、見えなかった。
どの人も、同じだった。
どの胸も、同じ間で、上下していた。
同じ息で、同じように、生かされていた。
——私だけでは、なかった。
それは、安堵ではなかった。
別の、もっと深い、何かだった。
それが何であるか、言葉にする力は、まだなかった。
ただ、ひとつだけ、言葉にしなくても、わかることがあった。
いつか、ここを出るとして。
この、並んだ息を、置いていく自分は、思い描けなかった。
ひとり残らず。
そう思っている自分が、いた。
寝台の足元のほうを、見ようとした。
首はそこまで動かなかった。
眼球の端で、わずかに、二つのことに気づいた。
古いほうの寝台の足元は、わずかに擦れていた。
新しいほうの寝台の足元は、薄く光っていた。
ずっと前から、ここにある寝台と、最近、置かれた寝台が、ある。
それを、誰が、置いているのか。
誰が、寝かせているのか。
考えてはいけない気がした。
考えると、戻れなくなりそうだった。
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頭を、元に戻した。
戻すのにも、時間がかかった。
動かしたぶんだけ、首の後ろに、引っかかる感覚があった。
重さではなかった。
何かが、刺さっている感覚だった。
胸の電極。
腕の点滴。
口の管。
鼻の管。
腰の奥の異物。
そのどれよりも、それは、深かった。
体のずっと奥のほうに、それは、入っていた。
他の管は、自分の体に、外から、付けられていた。
これだけは、違った。
自分の中から、伸びている、ような感じがした。
——これが、いちばん、深い。
二段目は、出さなかった。
言葉にすると、何かが、決まってしまう気がした。
光は、変わらなかった。
音も、変わらなかった。
だが、長い時間が、流れていた。
それは、息の数でわかった。
自分の上に、重なっている、別の息の数で。
足音は、なかった。
扉の音も、なかった。
誰かの声も、なかった。
人差し指の先が、もう一度、動いた。
今度は、少しだけ、はっきりと。
それを、誰も、見なかった。
誰も、来なかった。
いつもお読みいただきありがとうございます。
区切りにあたり、Ep32、33話を一部加筆修正しました。「ケイたちがなぜ“外”を目指すのか」——その目的が伝わりにくい箇所があったため、明確にするための補強です。
ストーリーの大筋は変わりません。お時間があれば読み返していただけると、この先の展開がより掴みやすくなると思います。
引き続きよろしくお願いいたします。




