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Episode 24|輪郭


 ケイは、夜の工房に一人だった。


 机の端に、灯り代わりの魔法陣が、静かに揺れていた。光が、机の縁を淡く撫でている。


 昼の食堂では、できないことだった。


 誰にも、見られたくはなかった。


 延髄の位置は、わかっている。首の後ろ。脊髄の最上部。体内チップは、その付近に埋め込まれる、と聞いていた。


 ケイは、目を閉じた。


 息を、ゆっくり吐いた。


 魔法陣では、ない。


 人体だ。


 構造を読む要領で、自分の首の後ろに意識を向けた。


 魔法陣の線を、読むときと、同じだ。


 ここから、ここまで、という、輪郭。


 ものには、必ず、ある。


 いつもなら、何かが引っかかる。


 構造の端が、見える。ここから始まって、ここで終わる、という輪郭がある。


 今は、なかった。


 何もない。


 指の先まで、見えた。


 机の木目も、見えた。


 首の後ろ、だけが、空白だった。


 正確には——何かが「ある」という手応えが、ない。


 ケイは、もう一度、息を吐いた。


 目を、開けなかった。


 だが、「ない」と断言するには、根拠が弱かった。


 人体の構造を、読んだことは一度もない。


 読めていないのか、もともと存在しないのか。


 その二つを、今の自分には区別できない。


 初めて、読もうとしたものに、答えを出せるはずがない。


 だが、答えは、出したかった。


 目を、開けた。


 机の上の魔法陣が、まだ揺れていた。光が、わずかに傾いていた。さっきと、同じ位置のようでも、違うようでもあった。


 ——確認できた、とは言えない。


 声には、出さなかった。


 ——だが、なかった、ともまだ言えない。




 アリスが執務室に入ると、ミアが机の前で、書類を広げていた。


 見習い用の礼服。襟の縁に、ヴェリタス教団の白い線が、一本。濃い茶色の髪が、うつむくたびに揺れる。


 背が、低い。アリスより、一つか二つ、年が下だ。


 ミアの補佐を任せてから、もうすぐ三ヶ月になる。


 教団の認証記録。一週間分。整理して持ってくるのが、ミアの習慣になっていた。


「アリス様」


 ミアが、顔を上げた。


「こちら、なんですが」


「はい」


「一枚、なんとなく、違和感があって」


 ミアの指が、書類の上で止まっていた。


「どこですか」


「……うまく、言えないんですが」


 ミアが、指先をほんの少しだけ、書類の端へ滑らせた。


「ここ、だと思います」


 アリスは、書類を受け取った。


 ミアが指した箇所を、見た。


 署名の形式は、正しい。


 だが、何かが——


 日付の、筆圧が違った。


 同じペン、同じインク、同じ手。


 だが、一文字、だけ。


 確かに、おかしかった。


 アリスは、書類を脇に置いた。


「よく、気づきましたね」


「あの、なんとなく、そう見えただけ、なんですが」


「それで、いいです」


 ミアが、小さく頷いた。


 まだ、自信なさそうに。


 ——私も、そう言った。


 声には、出さなかった。


 なんとなく、そう見えただけです、と。


 孤児院の、面談室、だった。


 シスターに、聞かれた。


 なぜ、わかったの、と。


 答えは、同じだった。


 アリスは、ミアを見た。


 アリスとは、似ていなかった。


 髪の色も、目の高さも、違った。


 ただ——


 俯くときの、肩の落ち方が、似ていた。


 アリスは、書類に視線を戻した。


 手の動きが、ほんの一拍遅れた。


 ミアは、気づかなかった。


 気づかれないように、戻した。




 ケイは、哨戒から戻ったところだった。


 廊下に出ると、角から、人が出てきた。


 イブだった。


「あ、ケイさん」


 イブが、言った。


 目が、わずかに細くなった。笑うときの顔だ。


 ケイは、足を止めた。


「今日、哨戒、どうでした」


「問題なかった」


「ですよねー」


 イブが、並んで歩き始めた。


「こっちも、何も出なくて。ちょっと、拍子抜けっていうか」


 ケイは、答えなかった。


「そういう日の方が、多いですよね、実際」


 イブが、続けた。


「出ない日が、続くと、油断するって、ジンさんが、言ってました」


「そうだ」


「ですよね」


 しばらく、並んで歩いた。


 絨毯は、ない。


 自分の足音は、聞こえていた。


 イブの足音は、聞こえなかった。


 肩の動き。手の振り方。視線の置き方。


 どれも、いつも通りだった。


 ケイは、横目で一度見た。


 イブの目が、廊下の前方を見ていた。


 笑っていなかった。


 だが、目尻は、さっきと変わっていなかった。


 笑いを消した、はずだった。


 だが、顔の筋肉は、戻っていなかった。


 ——表情が、追いついていない。


 あるいは——


 ——最初から、笑っていなかった、のかもしれない。


「じゃあ、お疲れ様でした」


 角で、イブが言った。


 手を、軽く上げて、曲がっていった。


 廊下に、一人になった。


 ケイは、止まったまま、角の方を見ていた。


 ——普段通り、だ。


 声には、出さなかった。


 確証が、ない。


 疑う、確証も。


 疑わない、確証も。


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