Episode 22|最初から
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ケイは、廊下の端に立っていた。
翌朝だった。空は、まだ薄い。
窓の外、首都の屋根が低く続いている。瓦の色が、朝の光に半分だけ染まりかけていた。残り半分は、まだ夜の色を残している。
待っていた。
待っている、という感覚がめずらしかった。
他人を待つことは、ある。
アリスを待っている、と思うのは別だった。
窓の外の屋根を、もう一度見た。
光の境目が、少しだけ進んでいた。
足音が、聞こえた。
振り向いた。
廊下を、アリスが来ていた。
移動着、だった。白い礼服ではない。首都に戻って、まだ日が浅いからだろう。
礼服を着る前に、来た。
呼ばれた時間より、早かった。
金に近い茶色の髪が、廊下の光を受けていた。
——知っている髪の色だ。
いつも、そう思う。
いつも、それ以上は考えなかった。
廊下の途中で、アリスが立ち止まった。
目が合った。
——正しく、受け取れる。そう判断した人間は、元の世界では一人だけだった。
「昨日の話を」
アリスが、言った。
「ああ」
窓の外に、目を戻した。
「チップのことだ」
◆
「アキラの件は、聞いているか」
「……消えた、とだけ」
「傷を受けた場所に、チップがなかった。あるはずの位置に」
延髄の下。
全員に、ある位置だ。
アキラの、そこになかった。
アリスの肩が、わずかに動いた。
「他にも、同じ者がいるかもしれない」
言ってから、視線をアリスに向け直した。
アリスは、聞いていた。
ただ、聞いていた。
「自分のチップを確認したことがあるか」
短く、聞いた。
「……ない、です」
答えが、早かった。
考えた痕跡がなかった。
確かめる、という発想がなかった。
あって、当然のものだった。
——アリスも、同じ。
声には、出さなかった。
窓の外を見た。屋根の色の境目が、少しだけ進んだ。
もう一度、口を開いた。
「同じだ」
短く、続けた。
「ない。最初から」
一拍、置いた。
「元の世界に、チップはなかった」
廊下が、静かになった。
アリスの口が、開いた。
言葉は、出てこなかった。
もう一度、開いた。
声が出なかった。
しばらく、そのままだった。
肩が、上下した。一度。もう一度。
息を整えていた。
整えても、戻らないようだった。
「通信は——」
「できている」
短く、答えた。
◆
アリスの視線が、窓の方へ少し動いた。
考えているのではなかった。整理しようとして追いつかない、そういう動きだった。
指が、移動着の袖の縁に軽く触れた。撫でた、というには短い。確かめた、というのが近い。何かを、自分の手元で止めようとしていた。
ケイは、その指を見ていた。
首の後ろに、伸びかけた手は伸びなかった。
触れる手前で、止まった。
——正しく、受け取っている。
声には、出さなかった。
間が、長かった。
「話してくれて、よかったです」
アリスが、言った。
声が、わずかに低かった。
ケイは、頷きそうになった。
動かさなかった。
頷くべきことではないような気がした。
沈黙が、続いた。
窓の光が、もう一段進んでいた。屋根の境目が、ほぼ半分を越えていた。
別のことが、頭の端に残った。
アリスの動揺ではなかった。
自分が、まだ口にしていない何かだった。
まだ、形になっていない。
だが、確かに残っていた。




