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22/52

Episode 22|最初から


 ケイは、廊下の端に立っていた。


 翌朝だった。空は、まだ薄い。


 窓の外、首都の屋根が低く続いている。瓦の色が、朝の光に半分だけ染まりかけていた。残り半分は、まだ夜の色を残している。


 待っていた。


 待っている、という感覚がめずらしかった。


 他人を待つことは、ある。


 アリスを待っている、と思うのは別だった。


 窓の外の屋根を、もう一度見た。


 光の境目が、少しだけ進んでいた。


 足音が、聞こえた。


 振り向いた。


 廊下を、アリスが来ていた。


 移動着、だった。白い礼服ではない。首都に戻って、まだ日が浅いからだろう。


 礼服を着る前に、来た。


 呼ばれた時間より、早かった。


 金に近い茶色の髪が、廊下の光を受けていた。


 ——知っている髪の色だ。


 いつも、そう思う。


 いつも、それ以上は考えなかった。


 廊下の途中で、アリスが立ち止まった。


 目が合った。


 ——正しく、受け取れる。そう判断した人間は、元の世界では一人だけだった。


「昨日の話を」


 アリスが、言った。


「ああ」


 窓の外に、目を戻した。


「チップのことだ」




「アキラの件は、聞いているか」


「……消えた、とだけ」


「傷を受けた場所に、チップがなかった。あるはずの位置に」


 延髄の下。


 全員に、ある位置だ。


 アキラの、そこになかった。


 アリスの肩が、わずかに動いた。


「他にも、同じ者がいるかもしれない」


 言ってから、視線をアリスに向け直した。


 アリスは、聞いていた。


 ただ、聞いていた。


「自分のチップを確認したことがあるか」


 短く、聞いた。


「……ない、です」


 答えが、早かった。


 考えた痕跡がなかった。


 確かめる、という発想がなかった。


 あって、当然のものだった。


 ——アリスも、同じ。


 声には、出さなかった。


 窓の外を見た。屋根の色の境目が、少しだけ進んだ。


 もう一度、口を開いた。


「同じだ」


 短く、続けた。


「ない。最初から」


 一拍、置いた。


「元の世界に、チップはなかった」


 廊下が、静かになった。


 アリスの口が、開いた。


 言葉は、出てこなかった。


 もう一度、開いた。


 声が出なかった。


 しばらく、そのままだった。


 肩が、上下した。一度。もう一度。


 息を整えていた。


 整えても、戻らないようだった。


「通信は——」


「できている」


 短く、答えた。




 アリスの視線が、窓の方へ少し動いた。


 考えているのではなかった。整理しようとして追いつかない、そういう動きだった。


 指が、移動着の袖の縁に軽く触れた。撫でた、というには短い。確かめた、というのが近い。何かを、自分の手元で止めようとしていた。


 ケイは、その指を見ていた。


 首の後ろに、伸びかけた手は伸びなかった。


 触れる手前で、止まった。


 ——正しく、受け取っている。


 声には、出さなかった。


 間が、長かった。


「話してくれて、よかったです」


 アリスが、言った。


 声が、わずかに低かった。


 ケイは、頷きそうになった。


 動かさなかった。


 頷くべきことではないような気がした。


 沈黙が、続いた。


 窓の光が、もう一段進んでいた。屋根の境目が、ほぼ半分を越えていた。


 別のことが、頭の端に残った。


 アリスの動揺ではなかった。


 自分が、まだ口にしていない何かだった。


 まだ、形になっていない。


 だが、確かに残っていた。


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