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Episode 21|知らない声


 アリスが首都に入ったのは、夕刻だった。


 城門をくぐった瞬間、靴底の感触が、変わった。ファーマルクの土とは違う。湿りがない。乾いた、平らな、石。王都の石畳だ。


 ファーマルクの土が、まだ、靴底に残っている気がした。


 実際には、首都の門で、振り落とした。


 七日、ぶりだった。


 迎えの神官が、馬から降りた。礼を、深くした。


「ご案内します」


「結構です」


 短く、答えた。


 神官が、頭を下げたまま、半歩、退いた。アリスは、一人で、歩き出した。


 宮廷の廊下は、静かだった。窓から、夕方の光が、斜めに差していた。柱の影が、長い。歩くたびに、その影を跨いだ。


 部屋に、荷物を置いた。鞄を、椅子の脇に。礼服の襟を、一度、整えた。


 間を、置かなかった。


 チップが、鳴った。


 ケイから届いた。


 ——夕食前に、来られるか。


 短い。いつもの、書き方だ。


 アリスは、すぐに、立ち上がった。


 七日、顔を、見ていなかった。


 ——変わっていない、はずだ。


 変わっていないことを、確かめたかった。


 夕食には、まだ、少し早い。それでも、いい、と思った。


 廊下を、戻る。


 食堂の扉の手前で、止まった。


 扉の隙間から、声が、漏れていた。


 若い、女の声だった。


 笑いの混じった、語尾。


 フウの声と、重なっている。


 知らない声、だった。




「フウちゃん、それって最初からわかるの? 感知って、習うもの?」


 知らない声が、続いていた。


 アリスは、扉に、手をかけた。


 開けた。


 テーブルを、囲んでいた。フウ。サトル。ジン。ケイ。


 もう、一人。


 小柄な娘だった。明るめの茶色の、短い髪。耳の下で揃っている。大きめの目が、テーブルの上の、フウを見ていた。身を、わずかに、乗り出している。


 フウが、答えていた。


「習うっていうより、ずっと、そうだったって感じかな。気づいたら、できてた」


「わかる、それ」


 娘が、頷いた。


「教わったとか、練習したとかじゃなくて、なんか、気づいたら——そういうの、すごく、似てる気がする」


 アリスは、入口で、止まった。


 誰も、気づいていない。


 テーブルの四人は、その娘との話に、入っていた。


 ——四人と、知らない顔。


 数えて、一拍、遅れた。


 いつもなら、五人だった。


 自分の席が、空いていた。


 だが、五人目は、別の娘だった。


 ——馴染んでいる。


 自分がいない、七日の間に。




「あ」


 気づいたのは、フウだった。


 立ち上がりかけたフウを、アリスは、手で制した。


「座っていてください」


 テーブルに、近づいた。


 サトルが、頭を下げた。


「お疲れ様でした」


 ジンが、短く言った。


「来たか」


 ケイは、アリスを、一度、見た。それから、視線を、皿の方へ落とした。それだけ、だった。


 いつも通り、だった。


 いつも通り、で、よかった。


 ——変わっていない。


 そう、思ったはずだった。


 娘が、椅子ごと、こちらに向き直った。


「はじめまして。イブ、といいます」


 頭を、下げた。


「少し前から、お世話に、なってます」


 声が、はきはきしていた。区切りが、あった。初対面なのに、どこか、すでに、場の中に、馴染んでいる気配があった。


「……アリス、です」


 アリスは、答えた。


「聖詔者の方、ですよね。サトル先生から、聞いてました」


 アリスは、反射的に、サトルを見た。


 サトルが、眼鏡の位置を、指で軽く整えた。視線が、わずかに、皿の縁に落ちた。


「……イブさんに、そう呼ばれるように、なりまして」


「先生って柄じゃないって、言ってたんですけど」


 イブが、続けた。


「なんか、定着しちゃって」


 笑った。


 笑うときに、体が、わずかに、横に傾く。


「フウちゃん、って、呼ばれてます」


 フウが、言った。


 嬉しそうな声だった。


 ——フウちゃん。


 ——サトル先生。


 七日で、定着する呼び方では、ない。


 アリスは、フウを見た。


「……そうですか」


 とだけ、言った。


 ——いつから。


 聞こうとして、やめた。


 椅子を、引いた。


 座った。




「教団って、ファーマルクにも、拠点があるんですか」


 イブが、聞いてきた。


 興味本位、ではなかった。素直な、疑問の声だった。


「……小さなものが、あります」


「そこで、後処理を、されてたんですよね。大変じゃ、なかったですか」


「大変、とは、思いませんでした」


「そっか」


 イブが、頷いた。


 それきり、深追いは、しなかった。


 会話が、流れた。


 フウが、エラントの話を始めた。ジンが、一言補足した。サトルが、密度の記録の話を、挟んだ。イブが、その隙間に入って、いくつか聞いた。


 自然、だった。


 初めて見た顔とは、思えないほどだった。


 夕食が、運ばれた。


 アリスは、スープを、一口飲んだ。


 味は、いつも通りの、はずだった。


 なのに、輪郭が、ぼやけていた。


 味覚の、せいでは、なかった。


 テーブルの、輪郭も、同じだった。


 いつもの席に、いつもの人がいる。


 いつも通り、なのに。


「ケイさんって、型は、使わないんですよね」


 イブの声が、テーブルの反対側を向いていた。


「使わない」


 ケイが、答えた。


「型って、基本だって、聞いてたので——最初から使わないって、なんか、すごいな」


「使う方が、楽な場面もある」


「でも、使わないんですよね」


「使わない」


「……そっか」


 イブが、頷いた。


 短い返事でも、止まらなかった。考えてから、また頷く。そういう、話し方をする娘らしかった。


 アリスは、パンに、手を伸ばした。


 伸ばしかけて、止まった。


 止まったことに、気づいた。


 指が、皿の縁の、すぐ手前で、空いていた。


 特に、理由は、なかった。


 あった、のかもしれない。


 自分の手が、自分の指示より、先に止まっていた。


 パンを、取った。


 食事が、続いた。テーブルの声が、続いた。イブが、何か言うたびに、誰かが返した。笑い声が、出た。ジンですら、口の端が、少し動いた。


 アリスは、自分の皿を見た。


 ——そういうものか。


 声には、出さなかった。


 初めて会ったとは、思えない。この人たちは、誰でも——


 やめた。


 パンの端を、指でちぎった。




 食事が、終わりかけた頃、ケイが、立った。


 アリスも、少し遅れて、立った。


 廊下に、出た。


 ケイの隣に、並んだ。足音が、二つ、廊下の石を叩いた。


 しばらく、どちらも、黙った。


 窓の外が、暗くなっていた。廊下の灯りが、点いている。柱の影が、こちら側に伸びていた。


「アキラさんのことは」


 アリスが、言った。


「聞いたか」


「報告で。……でも、実際に」


「ああ」


 ケイが、短く答えた。


 それ以上、続けなかった。


 アリスは、少し、足が、遅くなった。


 それだけ、だった。


 アキラの名前を、出したのは、自分だった。


 ケイは、答えていた。


 足を、止めたのは、自分の方だった。


 ——半歩。


 歩幅の差が、半歩、開いた。ケイが、少し、先を歩いた。アリスは、その背中を見た。広くはない。だが、足は、止まらなかった。


「明日、時間はあるか」


 ケイが、聞いた。


 顔は、こちらに、向けなかった。


「あります」


「話がある」


「……わかりました」


 角に、差し掛かった。


 ケイが、何も言わずに、曲がっていった。


 アリスは、角の手前で、一度、止まった。


 ケイが消えた方を、一度だけ、見た。


 それから、歩き始めた。


 石畳の音が、一つに、戻った。




 ケイは、夜の廊下を、ひとりで歩いた。


 窓の外は、暗かった。城下の灯りが、いくつか点いている。だが、ほとんどは、夜に沈んでいた。


 食堂の声が、まだ、耳の奥に残っていた。フウの返事。サトルの言いよどみ。イブの、止まらない頷き。


 止まった。


 廊下の真ん中で、立っていた。


 窓の外の灯りを、見た。


 ——確認できたとして、何が、見つかる。


 声には、出さなかった。


 昼間と、同じ問いだった。


 歩き始めた。


 問いは、ついてきた。


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