Episode 16|読めない
◆
霧は、解いた。
だが、何かが、終わっていなかった。
夜明けが、遅い。
葬儀の翌朝。空はまだ、青みが薄い。
北の防衛領の冬は、日の出が、遅かった。
ファーマルクの城門前で、五人が支度を済ませた。
アリスは、いない。
昨夜のうちに、東へ発っている。
——証明する者は、もう、いない。
ケイは、振り返らなかった。
ジンが先に出た。
盾の留め金を、一度、確かめてから、歩き出す。
吐息が、白い。
街道沿いの木々に、霜が薄く張っている。
踏むと、土の表面が、一度、軋む。
乾いた音だ。
地面が、夜の冷えを抱えたままだ。
「こっち」
フウが北東を指した。
それだけで、全員が足を止める。
サトルが聞いた。
「数は」
「多い」
それ以上は、来なかった。
フウの感知でそう言うなら、多いのだ。
アキラが舌を鳴らした。
「どれくらいだ」
「……たくさん」
「わかった」
ジンが、また先に歩き出した。
◆
北東に、四十分。
樹林が深くなる手前で、最初の群れと接触した。
エラント上位種。
体長は、一メートルを超える。
薄い羽が、背に畳まれている。
今は地上にいるが、飛ぶ。
高さを使ってくる。
十二匹。
声はなかった。
アキラから届いた。
——左右に展開する。オレが右側面、ジンが中央。
ジンから来た。短い。
——中央、出る。
ケイはサトルの防壁の後ろで、構造を読んだ。
外骨格の密度が、高い。
外側を、魔力で補強している。
補強の層を、先に剥がす。
それから、内部の構造を解錠する。
二段階だ。
——読める。
いつも通りの感覚だった。
線が見える。分岐が見える。収束点が、わかる。
指を、走らせた。
一匹目を、仕留めた。
フウから来た。
——右から三匹。
アキラが動く。
右側面で二匹を引きつけながら、三匹目の軌道をジンの方へ流す。
ジンの刀が、流れた一匹を、一閃で落とした。
アキラの足が、一度、地を蹴る。
次の二匹に、入る。
十二匹が、十分かからず、片付いた。
アキラが汗を拭いた。
北の樹林を、見ている。
「多いな。去年のこの時期、ここまで出なかった」
サトルが、視線を上に向けた。
視界の一点で、目が止まる。
記録を、呼び出したのだ。
「二段階、上昇です。記録より、もう一段、上がっています」
フウは黙ったまま、北を向いている。
ケイが聞いた。
「まだいる?」
「……ざわざわしてる」
フウが言った。
「さっきより、強く」
◆
二波目は、読みが、外れた。
数が違う。二十を、超えていた。
飛行個体の比率が、高い。
空に上がった個体が、樹冠より高い位置で、円を描いた。
地上組が、円の影に合わせて、動く。
空が外側を、地上が内側を。
挟むように、間合いを詰めてきた。
パーティを、囲もうとしている。
背後の樹林も、抜け道では、なかった。
逃げ場が、ない。
声はなかった。
アキラから来た。
——右側面、オレが抑える。
ジンから届いた。
——中央、出る。
サトルが防壁を展開した。
ケイはその後ろで、構造を読みはじめる。
速い。
密度が上がっていると、外側の補強も、厚い。
剥がすのに、一拍、余分にかかる。
フウから来た。短い。
——上、四匹。
サトルが防壁の角度を変えた。
頭上を覆う形に。
ジンは中央の群れを、抑えている。
刀が、何度も、閃く。
二匹、三匹。
追いつかない。
ケイも、手が離せない。
補強を剥がしている途中で、また、増える。
サトルの防壁が、一度、揺れた。
角度を、保ち直す。
フウの感知が、追いつかない。
「右。いや、左も。上も」
フウの声が、何度も、変わる。
アキラからの通信が、途絶えた。
ケイは、振り向いた。
◆
アキラが、樹林の縁に、押し込まれている。
右側面から迂回した地上組の、三匹。
上空から降りてきた、一匹。
合計四匹に、囲まれていた。
地上組が、前を塞いでいる。
アキラの剣が、二匹の足を、払った。
あと、二匹。
上が、まだ、落ちてきていない。
距離が、ある。
ケイは動いた。
間に合わなかった。
上空個体が、降りてきた。
アキラが、体を捻る。
受け流そうとした。
鎧の肩当てに、爪が、掠った。
火花にならない音。
鈍い、軋む音だ。
受け流しきれなかった。
衝撃が、首の後ろに、入った。
アキラの首が、一瞬、後ろへ、持っていかれた。
戻ろうとして、戻りきらなかった。
膝が、落ちる。
倒れた。
鎧が地面に触れる音だけが、低く、響いた。
ジンが、跳んだ。
上空個体の頭部を、刀が一撃で、叩き割った。
残りの三匹は、サトルの防壁が、弾いた。
最後の一匹を、ケイが構造から、解錠した。
静かに、なった。
ジンが、アキラのそばに歩いた。
膝をつく。
動かない。
◆
アキラは、動かなかった。
仰向けに、倒れている。
目は、開いていた。
だが、見ていない。
呼吸が、ある。
浅い。
胸が、小さく、上下している。
声をかけた。
「アキラ」
返事は、来ない。
ケイは、しゃがんだ。
アキラの首の後ろに、指を、当てた。
冷たい。
骨がある。指の腹が、頸椎の硬さを確認した。
肉がある。指の縁が、皮膚の下の柔らかさを確認した。
血が出ている。指先が、ぬるい温度を、拾った。
骨。
肉。
血。
——構造を、読む。
指先から、いつもの感覚を、入れた。
止まった。
——ない。
骨はある。
肉もある。
血も、流れている。
だが、魔法の構造が、どこにもない。
鍵穴がない。
解錠する場所がない。
読める形を、していない。
これは、魔物じゃない。
封鍵でもない。
ただの、物理的な、損傷だ。
手が、止まっていた。
ケイは、指を、離せなかった。
顔を、上げた。
ジンは、まだ、膝をついている。
盾を下ろしたままだ。
何も、言わない。
サトルが、近づいてきた。
しゃがむ。
アキラの首の後ろを、確認しようとした。
手が、止まった。
サトルの視線が、一点に、止まっていた。
アキラの首の後ろ。
指で触ろうとした位置。
そこから、動かない。
一拍。
また、一拍。
サトルが、息を、呑んだ。
眼鏡の奥の目が、わずかに、見開かれている。
手が、震えていた。
一歩、引いた。
ケイを、見た。
口が、わずかに、開いた。
何かを、言いかけた。
やめた。
もう一度、視線がアキラの首の後ろに、戻った。
それから、ケイに、戻った。
言わなかった。
誰も、何も、言わなかった。
フウがケイの隣に、しゃがんだ。
アキラの手を、そっと握る。
それ以上は、しなかった。
風が吹いた。木々が揺れた。
アキラは、まだ、浅く呼吸している。
——読めない。
ケイの指は、まだ、首の後ろに触れたままだった。
——これは、解錠できない。
◆
ケイは、指を、離した。
手のひらに、温度が、残っている。
骨の硬さも。
血の、ぬるさも。
全部、覚えている。
ただ——構造だけが、なかった。
霧のときと、同じ感覚だった。
——もうひとつ、あった。
霧の中で、消えた転移者。
あの場所にも、何もなかった。
ケイは、手のひらの温度を、覚えていた。
アキラの目は、まだ、空を見ている。
◆
アキラ。
——読めない、三つめだった。




