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Episode 16|読めない


 霧は、解いた。


 だが、何かが、終わっていなかった。


 夜明けが、遅い。


 葬儀の翌朝。空はまだ、青みが薄い。


 北の防衛領の冬は、日の出が、遅かった。


 ファーマルクの城門前で、五人が支度を済ませた。


 アリスは、いない。


 昨夜のうちに、東へ発っている。


 ——証明する者は、もう、いない。


 ケイは、振り返らなかった。


 ジンが先に出た。


 盾の留め金を、一度、確かめてから、歩き出す。


 吐息が、白い。


 街道沿いの木々に、霜が薄く張っている。


 踏むと、土の表面が、一度、軋む。


 乾いた音だ。


 地面が、夜の冷えを抱えたままだ。


「こっち」


 フウが北東を指した。


 それだけで、全員が足を止める。


 サトルが聞いた。


「数は」


「多い」


 それ以上は、来なかった。


 フウの感知でそう言うなら、多いのだ。


 アキラが舌を鳴らした。


「どれくらいだ」


「……たくさん」


「わかった」


 ジンが、また先に歩き出した。




 北東に、四十分。


 樹林が深くなる手前で、最初の群れと接触した。


 エラント上位種。


 体長は、一メートルを超える。


 薄い羽が、背に畳まれている。


 今は地上にいるが、飛ぶ。


 高さを使ってくる。


 十二匹。


 声はなかった。


 アキラから届いた。


 ——左右に展開する。オレが右側面、ジンが中央。


 ジンから来た。短い。


 ——中央、出る。


 ケイはサトルの防壁の後ろで、構造を読んだ。


 外骨格の密度が、高い。


 外側を、魔力で補強している。


 補強の層を、先に剥がす。


 それから、内部の構造を解錠する。


 二段階だ。


 ——読める。


 いつも通りの感覚だった。


 線が見える。分岐が見える。収束点が、わかる。


 指を、走らせた。


 一匹目を、仕留めた。


 フウから来た。


 ——右から三匹。


 アキラが動く。


 右側面で二匹を引きつけながら、三匹目の軌道をジンの方へ流す。


 ジンの刀が、流れた一匹を、一閃で落とした。


 アキラの足が、一度、地を蹴る。


 次の二匹に、入る。


 十二匹が、十分かからず、片付いた。


 アキラが汗を拭いた。


 北の樹林を、見ている。


「多いな。去年のこの時期、ここまで出なかった」


 サトルが、視線を上に向けた。


 視界の一点で、目が止まる。


 記録を、呼び出したのだ。


「二段階、上昇です。記録より、もう一段、上がっています」


 フウは黙ったまま、北を向いている。


 ケイが聞いた。


「まだいる?」


「……ざわざわしてる」


 フウが言った。


「さっきより、強く」




 二波目は、読みが、外れた。


 数が違う。二十を、超えていた。


 飛行個体の比率が、高い。


 空に上がった個体が、樹冠より高い位置で、円を描いた。


 地上組が、円の影に合わせて、動く。


 空が外側を、地上が内側を。


 挟むように、間合いを詰めてきた。


 パーティを、囲もうとしている。


 背後の樹林も、抜け道では、なかった。


 逃げ場が、ない。


 声はなかった。


 アキラから来た。


 ——右側面、オレが抑える。


 ジンから届いた。


 ——中央、出る。


 サトルが防壁を展開した。


 ケイはその後ろで、構造を読みはじめる。


 速い。


 密度が上がっていると、外側の補強も、厚い。


 剥がすのに、一拍、余分にかかる。


 フウから来た。短い。


 ——上、四匹。


 サトルが防壁の角度を変えた。


 頭上を覆う形に。


 ジンは中央の群れを、抑えている。


 刀が、何度も、閃く。


 二匹、三匹。


 追いつかない。


 ケイも、手が離せない。


 補強を剥がしている途中で、また、増える。


 サトルの防壁が、一度、揺れた。


 角度を、保ち直す。


 フウの感知が、追いつかない。


「右。いや、左も。上も」


 フウの声が、何度も、変わる。


 アキラからの通信が、途絶えた。


 ケイは、振り向いた。




 アキラが、樹林の縁に、押し込まれている。


 右側面から迂回した地上組の、三匹。


 上空から降りてきた、一匹。


 合計四匹に、囲まれていた。


 地上組が、前を塞いでいる。


 アキラの剣が、二匹の足を、払った。


 あと、二匹。


 上が、まだ、落ちてきていない。


 距離が、ある。


 ケイは動いた。


 間に合わなかった。


 上空個体が、降りてきた。


 アキラが、体を捻る。


 受け流そうとした。


 鎧の肩当てに、爪が、掠った。


 火花にならない音。


 鈍い、軋む音だ。


 受け流しきれなかった。


 衝撃が、首の後ろに、入った。


 アキラの首が、一瞬、後ろへ、持っていかれた。


 戻ろうとして、戻りきらなかった。


 膝が、落ちる。


 倒れた。


 鎧が地面に触れる音だけが、低く、響いた。


 ジンが、跳んだ。


 上空個体の頭部を、刀が一撃で、叩き割った。


 残りの三匹は、サトルの防壁が、弾いた。


 最後の一匹を、ケイが構造から、解錠した。


 静かに、なった。


 ジンが、アキラのそばに歩いた。


 膝をつく。


 動かない。




 アキラは、動かなかった。


 仰向けに、倒れている。


 目は、開いていた。


 だが、見ていない。


 呼吸が、ある。


 浅い。


 胸が、小さく、上下している。


 声をかけた。


「アキラ」


 返事は、来ない。


 ケイは、しゃがんだ。


 アキラの首の後ろに、指を、当てた。


 冷たい。


 骨がある。指の腹が、頸椎の硬さを確認した。


 肉がある。指の縁が、皮膚の下の柔らかさを確認した。


 血が出ている。指先が、ぬるい温度を、拾った。


 骨。


 肉。


 血。


 ——構造を、読む。


 指先から、いつもの感覚を、入れた。


 止まった。


 ——ない。


 骨はある。


 肉もある。


 血も、流れている。


 だが、魔法の構造が、どこにもない。


 鍵穴がない。


 解錠する場所がない。


 読める形を、していない。


 これは、魔物じゃない。


 封鍵でもない。


 ただの、物理的な、損傷だ。


 手が、止まっていた。


 ケイは、指を、離せなかった。


 顔を、上げた。


 ジンは、まだ、膝をついている。


 盾を下ろしたままだ。


 何も、言わない。


 サトルが、近づいてきた。


 しゃがむ。


 アキラの首の後ろを、確認しようとした。


 手が、止まった。


 サトルの視線が、一点に、止まっていた。


 アキラの首の後ろ。


 指で触ろうとした位置。


 そこから、動かない。


 一拍。


 また、一拍。


 サトルが、息を、呑んだ。


 眼鏡の奥の目が、わずかに、見開かれている。


 手が、震えていた。


 一歩、引いた。


 ケイを、見た。


 口が、わずかに、開いた。


 何かを、言いかけた。


 やめた。


 もう一度、視線がアキラの首の後ろに、戻った。


 それから、ケイに、戻った。


 言わなかった。


 誰も、何も、言わなかった。


 フウがケイの隣に、しゃがんだ。


 アキラの手を、そっと握る。


 それ以上は、しなかった。


 風が吹いた。木々が揺れた。


 アキラは、まだ、浅く呼吸している。


 ——読めない。


 ケイの指は、まだ、首の後ろに触れたままだった。


 ——これは、解錠できない。




 ケイは、指を、離した。


 手のひらに、温度が、残っている。


 骨の硬さも。


 血の、ぬるさも。


 全部、覚えている。


 ただ——構造だけが、なかった。


 霧のときと、同じ感覚だった。


 ——もうひとつ、あった。


 霧の中で、消えた転移者。


 あの場所にも、何もなかった。


 ケイは、手のひらの温度を、覚えていた。


 アキラの目は、まだ、空を見ている。




 アキラ。


 ——読めない、三つめだった。


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