Episode 15|読める死
◆
城門が見えた。
日が傾いている。橙が石壁に滲む。
ファーマルクの外壁は、北風で削られ、灰色がかった白だ。
風が、止まない。
ケイは一歩ずつ歩いた。
魔力の消耗は、帰路で幾分か戻っている。
が、足はまだ重い。
隣で、ジンが無言で歩いている。
盾は、もう仕舞っている。
腰の太刀が、いつもより一寸、後ろにあった。
前方で、車輪の音が、変わる。
舗石に乗ったのだ。
台車だ。
レドを乗せた台車が、城門の手前で、速度を落とす。
両脇を歩く騎士の歩調が、それに合わせて、遅くなる。
一、二、三。
歩幅が短くなるたびに、台車が一度、沈んだ。
門が、開いた。
城門の影が、行列の上に落ちる。
台車が、先に通された。
次に副官。
それから、残りの騎士たち。
ケイたちは、少し下がって、それを見送る。
城の中にいた衛兵が、隊列を見て、声を上げない。
先に頭を下げる。
一人、二人、三人。
並んだ全員が、台車の前で、同じ角度で止まった。
動かない。
風が一度、強く吹いた。
衛兵の前髪が、乱れる。
それでも、頭は動かない。
ケイは、数えるのを、やめた。
遺体が、ある。
——消えた者には、なかった。
その差を、考えようとして、止めた。
台車が城内に消える。
衛兵が頭を上げた。
それで、列が解けた。
◆
割り当てられた宿舎は、石造りの一棟だ。
騎士団の詰所から少し離れた位置にある。
広くはないが、乾いている。
中に入るとき、ジンが先に入って、奥まで一度、目で見る。
確認してから振り返り、続きの者たちを通した。
最後に入った。
扉を閉めた。
閂を二段、上から下へ、下ろす。
フウが、毛布を抱えて部屋の隅に行く。
座りながら、毛布を頭から被るように、肩までかけた。
膝を抱える。
アキラが、椅子を引く。
木の脚が、床を擦る。
長く、引きずるように。
腰を下ろした。
息を一つ、吐く。深い息だ。
サトルが、荷物を開ける。
中の道具を、卓上に並べた。
並べ終えてから、視線を上に向ける。
視界の一点で、目が止まる。
指が、虚空を、ごく短く撫でた。
チップの記録を、開いたのだ。
アリスは、入口で立ち止まった。
「ヴェリタス教団の手続きがあります。少しの間、別室へ」
ケイを見る。
ケイは頷いた。
扉が閉まる音。
閂の音は、しない。
夜になって、騎士団から食事が届いた。
持ってきたのは、若い騎士だ。
二十代の前半か。
盆を抱えた両手の指の関節が、白い。
盆の縁を、強く握っている。
目が、赤い。
頭を下げる。
下げてから、なかなか、上がらない。
「……お疲れ様でした」
声が、掠れる。
一度、息を整える。
「いただいた、ご助力。隊長は」
言葉が止まる。
しばらく、続きが来ない。
「……ありがとう、ございました」
頭が、もう一度、下がった。
アキラが椅子の上で頷く。
「おう」
と言った。それ以上は言わない。
盆を受け取ったのは、サトルだ。
「ありがとうございます」
と短く礼を返した。
若い騎士が一礼して、扉を閉めた。
食事の間、誰もほとんど喋らない。
器の音だけがする。
フウだけが「これ、おいしい」と一言、言った。
それで終わり。
片付けが終わったころ、アキラが天井を見上げた。
「しかし、あの転移者もな」
誰も答えない。
アキラが続けた。
「死体が残らないのが、転移者の消え方だろ。向こうに戻ったんだろうな」
当然のように、言った。
ケイは手の中の椀を見ている。
椀の底に、汁が薄く残っていた。
揺れていない。
指は、震えていない。
——違う。
声には、出さなかった。
ジンがこちらを見たのを、視界の端で捉える。
すぐに視線が外れる。
フウは膝に顔を埋めたままだ。
サトルの視線が、上の一点で止まったまま、動かなくなった。
記録を閉じかけて、止めたのだろう。
それから、ゆっくり、視線が戻った。
誰も、何も言わない。
窓の外が、暗い。
風の音だけが、続いている。
◆
葬儀は、翌朝だった。
ファーマルクの神殿は、石造りの小さな建物だ。
装飾より、堅牢さ。北の防衛領らしい。
梁は黒く焼かれた木で、煤の匂いが乾いている。
空が、白い。雲が低く、動かない。
中央の祭壇に、棺が置かれている。
木の蓋に、騎士団の紋章が一つ、彫られていた。
塗りはない。彫っただけだ。
残った騎士団員が、並ぶ。
数えはしなかったが、二十には満たない。
半数が、立ったまま、下を向いている。
ヴェリタス教団の司祭が一人、前に立つ。
アリスは、祭壇の脇に立っていた。
白い礼服のままだ。
袖の折り目が、先ほどより、わずかに整っている。
手は前で組まれている。
指の組み方が、深い。
司祭が短く言葉を述べた。
レドの名前と、果たした役目と。
そこまで。
棺の蓋が、閉まる。
四人の騎士が、棺を担いだ。
神殿の奥扉から、ゆっくり、出ていく。
外に、墓地があった。
神殿の裏手。
石壁に囲まれた、小さな区画。
地面に、新しい穴が、ひとつ。
残った騎士団員が、神殿から外へ、列を作って続く。
ケイたちも、その後ろを、歩いた。
穴の縁に、棺が、置かれた。
四人が、縄を取った。
一斉に、立つ。
棺が、下ろされた。
穴の中に、ゆっくり沈んでいく。
一寸、また一寸。
縄が、緩む。
地面に触れる音。
短い。
砂が、落ちた。
最初の一掬いは、副官だ。
砂が、棺の蓋に当たる音は、低い。
副官が、一度、止まった。
「……隊長は」
声が、出かけて、止まった。
もう一度。
「隊長は、最後に、俺の名を、呼びました」
息を、整えた。
「庇われた、んです。俺が」
言葉が、途切れた。
「隊長の代わりに、俺が、生きています」
もう一度、息を、整えた。
「……覚えておきます。ずっと」
頭を、深く下げた。
砂を、もう一掬い、入れた。
次に、騎士の一人が砂を入れた。
それから、もう一人。
名前を、呼ぶ者がいた。
棺が、ある。
砂が、ある。
ケイの指が、わずかに、動く。
手のひらの中に、何もない。
霧の中の転移者には、これが、なかった。
名前を呼ぶ者がいなかった。
棺が、なかった。
砂を落とす者も、いなかった。
地面だけが、残った。
霧が晴れた後、踏み荒らされた草だけが、残った。
弔えるかどうかの差は、何だ。
そこまで考えて、止めた。
今は、無理だ。
——いつか、確かめる。
砂の音が、続いている。
アリスが、一歩、前に出た。
脇から、中央へ。
聖詔者として進む所作だ。
背筋が定規のように真っ直ぐで、足の運びが、踵から爪先まで音を立てない。
手は前で組まれたままだ。
棺の前で、止まる。
手が、ほどけた。
一拍。
体の脇に、降りた。
頭を、下げた。
深く。
隣の騎士団員と、同じ角度で。
同じ時間。
白い礼服が、その所作の中で、一瞬だけ、聖詔者の白ではなくなった。
司祭が、わずかに目を伏せた。
咎めない。
頭が、上がる。
アリスは、また脇に戻った。
背筋が、戻る。
手が、前で組まれる。
それで、終わり。
◆
昼前、サトルが地図を広げた。
「話しておきたいことがあります」
食堂の隅、卓を囲む。
アキラ、ジン、フウ、ケイ。
アリスは、少し離れた椅子に腰を下ろしていた。
手は、膝の上に置かれている。
聖詔者の顔だ。
サトルが地図の縁を一度、撫でた。
皺を伸ばすように。
それから、一点に指を置く。
「ファーマルク近郊のエラント上位種の密度が、また上がっています。道中、自分で確認しました。先月から一段階ではない。二段階か、それ以上」
ケイは地図を見た。
指で街道の北の縁をなぞる。
「ファーマルクだけじゃない」
「はい。エントリア連合国全体で、魔物の活性化が進んでいる可能性があります。首都への報告はします。ただ——このままファーマルクを離れるのは」
アキラが腕を組んだ。
「で、オレらはどこに行く」
「まずここの周辺を、片付けてからです」
ケイが言った。
地図の上、ファーマルク近郊に視線を落としたまま言った。
誰も反論しない。
ジンが短く「わかった」と言った。
フウが、窓の外を見ている。
「また、ざわざわしてる」
窓の外の空は、まだ白い。
◆
夕方、アリスが、立ち上がった。
「教団から、連絡が来ました」
ケイが目を、上げた。
「東の村に、別の異変があるそうです。私は、明朝、発ちます」
「同行は——」
「教団の権限で動きます。あなた方は、ファーマルクを、片付けてください」
ケイは、頷いた。
「気をつけてください」
「あなたも」
短い、それだけだった。
◆
ケイが、立ち上がる。
卓を離れて、廊下に出た。
廊下の先に、アリスがいた。
距離がある。
光が、廊下の途中の窓から、斜めに差している。
歩いていく。
目が合ったのは、一拍だった。
アリスが、先に視線を外す。
視線を落とすのではなく、横へずらす動きだ。
聖詔者の顔だ。
葬儀の前と、同じ手の組み方だ。
すれ違う。
背中で、アリスの足音が、一度、わずかに遅くなった。
それから、また、元の速さに、戻った。
ケイは、廊下を歩いた。
歩調は、変わらない。
——心配、か。
引っかかりは、消えていない。
◆
夜になった。
窓の外、星が、出ている。
ケイは机に向かった。
羊皮紙を、広げた。
昼間、サトルが見せた地図の写し。
北の街道。木立。村の位置。
——明日からは、討伐だ。
アリスは、もう、いない。
次に会うときには、何かが、変わっているだろう。
筆を、取った。
書き始めようとして、止まった。
弔える死を、ひとつ、送った。
名前を、呼ぶ者がいた。
砂を、落とす者がいた。
窓の外で、風が、また、強くなった。
——弔えない死は、まだ、数えていない。
——次は、誰が、消えるのか。




