表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
15/52

Episode 15|読める死


 城門が見えた。


 日が傾いている。橙が石壁に滲む。


 ファーマルクの外壁は、北風で削られ、灰色がかった白だ。


 風が、止まない。


 ケイは一歩ずつ歩いた。


 魔力の消耗は、帰路で幾分か戻っている。


 が、足はまだ重い。


 隣で、ジンが無言で歩いている。


 盾は、もう仕舞っている。


 腰の太刀が、いつもより一寸、後ろにあった。


 前方で、車輪の音が、変わる。


 舗石に乗ったのだ。


 台車だ。


 レドを乗せた台車が、城門の手前で、速度を落とす。


 両脇を歩く騎士の歩調が、それに合わせて、遅くなる。


 一、二、三。


 歩幅が短くなるたびに、台車が一度、沈んだ。


 門が、開いた。


 城門の影が、行列の上に落ちる。


 台車が、先に通された。


 次に副官。


 それから、残りの騎士たち。


 ケイたちは、少し下がって、それを見送る。


 城の中にいた衛兵が、隊列を見て、声を上げない。


 先に頭を下げる。


 一人、二人、三人。


 並んだ全員が、台車の前で、同じ角度で止まった。


 動かない。


 風が一度、強く吹いた。


 衛兵の前髪が、乱れる。


 それでも、頭は動かない。


 ケイは、数えるのを、やめた。


 遺体が、ある。


 ——消えた者には、なかった。


 その差を、考えようとして、止めた。


 台車が城内に消える。


 衛兵が頭を上げた。


 それで、列が解けた。




 割り当てられた宿舎は、石造りの一棟だ。


 騎士団の詰所から少し離れた位置にある。


 広くはないが、乾いている。


 中に入るとき、ジンが先に入って、奥まで一度、目で見る。


 確認してから振り返り、続きの者たちを通した。


 最後に入った。


 扉を閉めた。


 閂を二段、上から下へ、下ろす。


 フウが、毛布を抱えて部屋の隅に行く。


 座りながら、毛布を頭から被るように、肩までかけた。


 膝を抱える。


 アキラが、椅子を引く。


 木の脚が、床を擦る。


 長く、引きずるように。


 腰を下ろした。


 息を一つ、吐く。深い息だ。


 サトルが、荷物を開ける。


 中の道具を、卓上に並べた。


 並べ終えてから、視線を上に向ける。


 視界の一点で、目が止まる。


 指が、虚空を、ごく短く撫でた。


 チップの記録を、開いたのだ。


 アリスは、入口で立ち止まった。


「ヴェリタス教団の手続きがあります。少しの間、別室へ」


 ケイを見る。


 ケイは頷いた。


 扉が閉まる音。


 閂の音は、しない。


 夜になって、騎士団から食事が届いた。


 持ってきたのは、若い騎士だ。


 二十代の前半か。


 盆を抱えた両手の指の関節が、白い。


 盆の縁を、強く握っている。


 目が、赤い。


 頭を下げる。


 下げてから、なかなか、上がらない。


「……お疲れ様でした」


 声が、掠れる。


 一度、息を整える。


「いただいた、ご助力。隊長は」


 言葉が止まる。


 しばらく、続きが来ない。


「……ありがとう、ございました」


 頭が、もう一度、下がった。


 アキラが椅子の上で頷く。


「おう」


 と言った。それ以上は言わない。


 盆を受け取ったのは、サトルだ。


「ありがとうございます」


 と短く礼を返した。


 若い騎士が一礼して、扉を閉めた。


 食事の間、誰もほとんど喋らない。


 器の音だけがする。


 フウだけが「これ、おいしい」と一言、言った。


 それで終わり。


 片付けが終わったころ、アキラが天井を見上げた。


「しかし、あの転移者もな」


 誰も答えない。


 アキラが続けた。


「死体が残らないのが、転移者の消え方だろ。向こうに戻ったんだろうな」


 当然のように、言った。


 ケイは手の中の椀を見ている。


 椀の底に、汁が薄く残っていた。


 揺れていない。


 指は、震えていない。


 ——違う。


 声には、出さなかった。


 ジンがこちらを見たのを、視界の端で捉える。


 すぐに視線が外れる。


 フウは膝に顔を埋めたままだ。


 サトルの視線が、上の一点で止まったまま、動かなくなった。


 記録を閉じかけて、止めたのだろう。


 それから、ゆっくり、視線が戻った。


 誰も、何も言わない。


 窓の外が、暗い。


 風の音だけが、続いている。




 葬儀は、翌朝だった。


 ファーマルクの神殿は、石造りの小さな建物だ。


 装飾より、堅牢さ。北の防衛領らしい。


 梁は黒く焼かれた木で、煤の匂いが乾いている。


 空が、白い。雲が低く、動かない。


 中央の祭壇に、棺が置かれている。


 木の蓋に、騎士団の紋章が一つ、彫られていた。


 塗りはない。彫っただけだ。


 残った騎士団員が、並ぶ。


 数えはしなかったが、二十には満たない。


 半数が、立ったまま、下を向いている。


 ヴェリタス教団の司祭が一人、前に立つ。


 アリスは、祭壇の脇に立っていた。


 白い礼服のままだ。


 袖の折り目が、先ほどより、わずかに整っている。


 手は前で組まれている。


 指の組み方が、深い。


 司祭が短く言葉を述べた。


 レドの名前と、果たした役目と。


 そこまで。


 棺の蓋が、閉まる。


 四人の騎士が、棺を担いだ。


 神殿の奥扉から、ゆっくり、出ていく。


 外に、墓地があった。


 神殿の裏手。


 石壁に囲まれた、小さな区画。


 地面に、新しい穴が、ひとつ。


 残った騎士団員が、神殿から外へ、列を作って続く。


 ケイたちも、その後ろを、歩いた。


 穴の縁に、棺が、置かれた。


 四人が、縄を取った。


 一斉に、立つ。


 棺が、下ろされた。


 穴の中に、ゆっくり沈んでいく。


 一寸、また一寸。


 縄が、緩む。


 地面に触れる音。


 短い。


 砂が、落ちた。


 最初の一掬いは、副官だ。


 砂が、棺の蓋に当たる音は、低い。


 副官が、一度、止まった。


「……隊長は」


 声が、出かけて、止まった。


 もう一度。


「隊長は、最後に、俺の名を、呼びました」


 息を、整えた。


「庇われた、んです。俺が」


 言葉が、途切れた。


「隊長の代わりに、俺が、生きています」


 もう一度、息を、整えた。


「……覚えておきます。ずっと」


 頭を、深く下げた。


 砂を、もう一掬い、入れた。


 次に、騎士の一人が砂を入れた。


 それから、もう一人。


 名前を、呼ぶ者がいた。


 棺が、ある。


 砂が、ある。


 ケイの指が、わずかに、動く。


 手のひらの中に、何もない。


 霧の中の転移者には、これが、なかった。


 名前を呼ぶ者がいなかった。


 棺が、なかった。


 砂を落とす者も、いなかった。


 地面だけが、残った。


 霧が晴れた後、踏み荒らされた草だけが、残った。


 弔えるかどうかの差は、何だ。


 そこまで考えて、止めた。


 今は、無理だ。


 ——いつか、確かめる。


 砂の音が、続いている。


 アリスが、一歩、前に出た。


 脇から、中央へ。


 聖詔者として進む所作だ。


 背筋が定規のように真っ直ぐで、足の運びが、踵から爪先まで音を立てない。


 手は前で組まれたままだ。


 棺の前で、止まる。


 手が、ほどけた。


 一拍。


 体の脇に、降りた。


 頭を、下げた。


 深く。


 隣の騎士団員と、同じ角度で。


 同じ時間。


 白い礼服が、その所作の中で、一瞬だけ、聖詔者の白ではなくなった。


 司祭が、わずかに目を伏せた。


 咎めない。


 頭が、上がる。


 アリスは、また脇に戻った。


 背筋が、戻る。


 手が、前で組まれる。


 それで、終わり。




 昼前、サトルが地図を広げた。


「話しておきたいことがあります」


 食堂の隅、卓を囲む。


 アキラ、ジン、フウ、ケイ。


 アリスは、少し離れた椅子に腰を下ろしていた。


 手は、膝の上に置かれている。


 聖詔者の顔だ。


 サトルが地図の縁を一度、撫でた。


 皺を伸ばすように。


 それから、一点に指を置く。


「ファーマルク近郊のエラント上位種の密度が、また上がっています。道中、自分で確認しました。先月から一段階ではない。二段階か、それ以上」


 ケイは地図を見た。


 指で街道の北の縁をなぞる。


「ファーマルクだけじゃない」


「はい。エントリア連合国全体で、魔物の活性化が進んでいる可能性があります。首都への報告はします。ただ——このままファーマルクを離れるのは」


 アキラが腕を組んだ。


「で、オレらはどこに行く」


「まずここの周辺を、片付けてからです」


 ケイが言った。


 地図の上、ファーマルク近郊に視線を落としたまま言った。


 誰も反論しない。


 ジンが短く「わかった」と言った。


 フウが、窓の外を見ている。


「また、ざわざわしてる」


 窓の外の空は、まだ白い。




 夕方、アリスが、立ち上がった。


「教団から、連絡が来ました」


 ケイが目を、上げた。


「東の村に、別の異変があるそうです。私は、明朝、発ちます」


「同行は——」


「教団の権限で動きます。あなた方は、ファーマルクを、片付けてください」


 ケイは、頷いた。


「気をつけてください」


「あなたも」


 短い、それだけだった。




 ケイが、立ち上がる。


 卓を離れて、廊下に出た。


 廊下の先に、アリスがいた。


 距離がある。


 光が、廊下の途中の窓から、斜めに差している。


 歩いていく。


 目が合ったのは、一拍だった。


 アリスが、先に視線を外す。


 視線を落とすのではなく、横へずらす動きだ。


 聖詔者の顔だ。


 葬儀の前と、同じ手の組み方だ。


 すれ違う。


 背中で、アリスの足音が、一度、わずかに遅くなった。


 それから、また、元の速さに、戻った。


 ケイは、廊下を歩いた。


 歩調は、変わらない。


 ——心配、か。


 引っかかりは、消えていない。




 夜になった。


 窓の外、星が、出ている。


 ケイは机に向かった。


 羊皮紙を、広げた。


 昼間、サトルが見せた地図の写し。


 北の街道。木立。村の位置。


 ——明日からは、討伐だ。


 アリスは、もう、いない。


 次に会うときには、何かが、変わっているだろう。


 筆を、取った。


 書き始めようとして、止まった。


 弔える死を、ひとつ、送った。


 名前を、呼ぶ者がいた。


 砂を、落とす者がいた。


 窓の外で、風が、また、強くなった。


 ——弔えない死は、まだ、数えていない。


 ——次は、誰が、消えるのか。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ