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Episode 14|証明


 霧が、夜のうちに、五メートル広がっていた。


 夜明けだった。


 霧の縁に、全員が揃った。


 ケイ。アリス。ジン。フウ。サトル。アキラ。


 レドが率いる騎士団が、十二人。


 空は青みが薄い。風が、止んでいる。


 霧は、街道の手前まで、迫っていた。


 白く、静かに、立ちはだかっている。


「フウ」


 ケイが声をかけた。


 フウが、霧の縁に近づいた。目を閉じた。


 しばらく、そのまま。


「……呼んでる」


 目を開けた。


「霧が呼んでる。こっちに来てる——まだ遠い。でも、増えてる」


「どのくらい時間がある」


「早い。十分もない」


 レドが副官を見た。


 副官が頷き、騎士たちに何かを言った。


 騎士たちが散開する。周囲を警戒し始めた。


 ケイは、霧を見た。


 始める。




 霧の縁に近づく。


 指先を、差し入れた。


 冷たい。重くなる。


 ——読む。


 構造の輪郭が、見えてくる。


 蔓型より、層が、深い。


 一枚、一枚、剥がしていく。


「来る」


 フウの声が、変わった。


「早い。右から複数——前からも来てる」


 声はない。


 ジンから届いた。


 ——右、自分が出る。


 アキラから来た。


 ——左はオレが見る。


「騎士団、前へ」


 レドが叫んだ。


 刃を抜く。先頭に立った。


 使い込まれた鎧が、朝の光を受ける。


「副官、左翼を頼む。お前は中央だ」


 短い指示。揺れがない。


 部下の名を、一人ずつ、目で確認する。


 頷きが、返ってくる。


 霧から、目を離さない。


 ——構造の底が、見えてきた。


 木立が揺れる。枝が折れる。地面を踏む音が、速い。多い。


 エラントの上位種。


 八体。いや、十体以上。


 木立の中から、街道の両側から、一斉に出てくる。


 背の羽が、広がっている。


 ジンの刀が閃いた。右翼の二体が倒れた。


 また一体。


 アキラが左から走る。一体を抜く。次の一体を流す。


 サトルの防壁が、展開した。


 逃げ場が、塞がる。


 ——底まで、あと少し。




「副官殿、退がれ!」


 レドの声が、聞こえた。


 振り返らない。


 ——今は、離れられない。


 重い音がした。


 鎧が、歪む音。


 振り返った。


 レドが、地面にいた。


 副官を、庇った位置。


 上位種が、圧し掛かっている。


 体長が、二メートル近い。


 胸板の鎧が、大きく潰れている。


 ジンが走った。刀が、一閃した。


 上位種が、両断された。


 間に合わなかった。


 レドは、動かなかった。


 鎧が、地面に沈んでいた。


 目が開いたまま、空を見ていた。


 騎士の一人が、膝をついた。


「隊長」


 声にならない声で、名を呼んでいた。


 もう一人が走り寄った。


「隊長」


 副官が、立ったまま、動けない。


 目だけが、レドの胸の上にあった。


「全部」


 フウが言った。


「もういない」


 霧の縁が、静かになった。


 ——家族が、待っている。


 ——レドの、言葉だった。


 アキラが隣に来た。


 視線が、レドの方向にある。


 しばらく、何も言わなかった。


「……真っ先に、出たんだな」


 息を吐いた。


「まあ、転移者とは違うか。転移者は死んでも向こうに戻るだけだろ。じゃなきゃ、死体くらい残るはずだろうが」


 アキラは、それきり口を閉じた。


 ケイは、霧を見た。




 目を、戻せなかった。


 しばらく、誰も、口を開かなかった。


 サトルが防壁の魔法陣を解いた。


 フウが、地面にしゃがんだ。


 ジンは立ったまま、剣を握っていた。


 アキラが、息を吐いた。もう一度、吐いた。


「……どうする」


 誰に向けても、なかった。


 ケイは、答えなかった。


 答えるべきことを、まだ、決めていなかった。


 霧は、変わらない位置にある。


 白く、静かに、立ちはだかっている。


 ここで、止めれば。


 誰かが、また、ここに来る。


 その誰かは、レドではない。


 レドは、もう、来ない。


 ——もう一度。


 声には、出さなかった。


 立ち上がった。


 立ち上がる動作だけで、答えになった。


 ジンが頷いた。


 アキラが、刀の柄を握り直した。


 サトルが、防壁を、もう一度、組み始めた。


 フウが、目を閉じた。




 縁に、もう一度、近づいた。


 指先を、差し入れた。


 冷たい。重くなる。


 レドの名を、呼ぶ声。低い。


 ——続きだ。


 一層ずつ、剥がしていく。


 蔓型と、同じ手順だ。


 外から読んで、底まで辿り着けば——


 フウの声が、変わった。


「来る。また来てる。さっきより、多い」


 声はない。


 アキラから届いた。


 ——任せろ。そこから動くな。


 ジンから届いた。


 ——前、自分が抑える。


 構造から、手を離さない。


 また一層。


 木立が揺れる。羽が広がる音。地面を踏む音が、速い。多い。


 ジンの刀が閃く。アキラが左から走る。サトルの防壁が展開する。


 振り返らない。


 ——今は、離れられない。


 また一層。底に、近づいている。


 あと少しで——


「ケイ」


 フウが叫んだ。


「右。木の上から来てる」


 声はない。


 サトルから届いた。


 ——右、防壁を展開します。


 アキラから届いた。


 ——サトルは展開だけしてろ。押し込むのはオレがやる。


 魔法陣の展開音。叩きつける音。


 振り返らない。


 ——底まで、あと——


 底が、ない。


 指が、止まった。


 息を、止めていた。


 もう一層。もう一層。


 端が、来ない。


 蔓型は、外側から閉じていた。


 霧は、違う。


 霧は——


 指先が、わずかに、震えた。


 そういうことか。


 全体が、一つの式だ。


 鍵穴がない。


 外から差し込む場所が、ない。


 霧は、自分自身の外側を、持っていない。


 ——外から来たものを、弾く。


 ——ならば、内から出たものは。


 外の音が、止んだ。


 フウの声が、落ち着いた。


「終わった。外、もういない」


 霧の縁から、気配が消えた。


 鍵は、霧の中から、作るしかない。


 構造を、頭に展開した。


 この式から逆算すれば、霧そのものが、鍵の形を持っている。


 始めた。




 どのくらい経ったか、わからない。


 指先の感覚が、薄くなっている。


 頭の奥が、重い。


 膝が、震えているのに気づいた。


 気づくと、ジンが隣にいた。


 いつから、いたのか、わからない。


 盾を、前に出したまま、動いていない。


 式の最後の層が、揃った。


 ——これだ。


 霧の構造から逆算した鍵の形が、頭の中に展開している。


 巨大だ。蔓型のときとは、比べ物にならない。


 式の量が、違う。


 頭の端から、崩れようとしている。


 押さえている間にも、形が、滲む。


「アリス」


 呼んだ。声にならない。


 もう一度。


「アリス」


 振り返った。


 アリスがいた。


 縁から少し離れた位置に、ずっと立っていた。


 振り返ると、アリスが、すぐに動いた。


「できた。大きい。早く」


 アリスが近づく。


 指先に展開した式に、目を落とした。


 長い。


 何も言わなかった。


 ただ、読んでいた。


 ケイは、崩れそうになる形を、押さえ続けた。


 頭の奥で、何かが軋む音。


「——見えます。霧から、出たものです」


 一歩、さらに縁に近づいた。


 手を、胸の前で組んだ。


「縁を踏むな」


「問題ありません」


 目を、閉じた。


 声が、変わった。


「この鍵は、霧から来たものです」


 霧の表面が、揺れる。


 細かく、細かく、内側から、振動するように。


「霧の構造から導かれた、霧自身の鍵」


 縁が、光る。


 押し返すように。


 一瞬、霧が濃くなる。


 ——合う。


 ケイは、形を、押さえ続けた。


「ヴェリタス教団の名において——これを証明します」


 音が、消えた。


 霧が、内側から、割れた。


 光ではない。


 透明になった。


 輪郭が一瞬だけ鮮明になって、次の瞬間、散った。


 端から端まで、一気に。


 冷たい風が、流れ込んできた。


 霧の中に閉じ込められていた空気が、外に出てきた。


 手を、離した。


 膝が、折れかけた。


 ジンの腕が、横から来た。


 何も言わなかった。


 支えたまま、立っている。




 霧の中が、見えてきた。


 最初に見えたのは、地面。


 踏み荒らされた草。倒れた木。


 人がいる。


 騎士が三人、地面に膝をついている。


 光る鎖が、溶けていく。


 一人が顔を上げた。


 もう一人が、周囲を見回した。


 三人目が、立ち上がろうとして、膝が折れた。


 奥に、村人。


 男が二人、女が一人。


 輪になって、座っていた。


 封印が解けると、女が声を上げた。


 外から、騎士が駆けてきた。


 助かった。


 奥を、見た。


 もう一人、いる。


 霧の中心に近い位置に、転移者がいる。


 騎士より、深く封じられている。


 鎖が、幾重にも巻きついている。


 封印が、解けた——その瞬間、転移者が、消えた。


 跡形もない。


 しばらく、誰も動かなかった。


 ジンが、剣の柄を、握り直した。


 サトルが、消えた場所を、見ていた。


 視線が、動かない。


 眼鏡の奥の目が、瞬きをしていなかった。


 アキラが、霧の跡地に入った。


 足元を見た。


 草を、踏んだ。


 何もない。


「……向こうに戻ったんだろ」


 静かな声。


「死体が、残らない。転移者は、そういうもんだろ」


 誰も、答えなかった。


 助かった騎士の一人が、消えた場所を見ていた。


 何かを言いかけて、口を閉じた。


 地面を見た。


 レドの体が、まだ、そこにある。


 転移者のいた場所には、何もない。


 ——消え方が、違う。


 何かが、引っかかった。


 ——転移者は、向こうに戻る。


 ——本当に、そうか。


 頭の奥が、痛んだ。




 地面に、レドが、いる。


 空には、雲が、流れていく。


 風が、戻ってきた。


 冷たい。


 ケイは、ふたつの場所を、目で測った。


 ここに、ひとつ。


 あそこに、ひとつ。


 ひとつには、体がある。鎧がある。名前を呼ぶ者がいる。


 ひとつには、何もない。


 ——死が、ふたつ。


 ひとつは、まだ、温かい。


 ひとつは、跡形もない。


 ケイは、もう一度、数えた。


 ——本当に、ふたつ、だけか。


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