Episode 13|鍵穴のない構造
◆
昨日、騎士が三人、消えた。
ここで。
白い霧の壁の中に踏み込んだまま、戻ってこなかった。
夜明け前だった。
ケイは一人で、霧の縁に立った。
空は灰色だ。
昨日と同じ位置に、白い壁。
動かない。追ってもこない。
——だが、入ったものは、通さない。
昨日、それを確かめた。
今日は、続きだ。
深く入らずに、構造の輪郭だけ、掴む。
指先で、霧に触れた。
冷たい。湿っている。
思考が、わずかに重くなる。
——浅い。ここなら、戻れる。
読む。
蔓型クロージャには、鍵穴があった。
封印された者の表面に、収束点があった。
そこに合う鍵を差し込めば、解けた。
この霧には、それがない。
鍵穴を探そうとして——弾かれた。
もう一度、読もうとする。
——弾かれる。
ケイは少し、間を置いた。
指を、引かない。
わずかに、押した。
——構造は、ある。
あるが、見せない。
外から来るものを、片端から、押し返している。
差し込む前に、消されている。
——なるほど。
これが、原理だ。
ケイは指を引いた。
頭が、軽くなった。
白い壁を、見上げた。
「早いな」
背後で、声がした。
革鎧。腕を組んでいる。アキラだった。
「何かわかったか」
「少し」
ケイは言った。
「報告会に持ってこい。レドが人を集めてる」
◆
広間に、人が揃った。
レド。副官が二名。ジン。フウ。サトル。アキラ。
レドが地図を広げた。
使い込まれた手だ。鎧の金具が、地図の端を押さえている。
四十がらみの男。
鎧の汚れが、年季を示していた。
「昨夜から、霧が東へ五メートル広がっています」
レドの声は低かった。
「このまま三日で、街道に届きます。北への補給路が、断たれる」
地図の上、街道に指が置かれた。
指の関節が、太い。
「封じられた転移者は、朝から返答がありません」
フウが小声で言った。
「いる。でも、遠い」
「意識が、薄れている、ということか」
サトルが眼鏡を押し上げた。
「そう、思われます」
アキラが、肩をすくめた。
「転移者はどっちにしろ向こうに戻るだけだ。問題は、ここの補給路だろ」
誰も、答えなかった。
レドが続けた。
「騎士団で、突入を試みた者がいます。三人」
間があった。
「全員、出てこられませんでした」
レドの声に、揺れはない。
ただ、目だけが、地図から動かなかった。
「俺の部下です」
レドが言った。
「三人とも、ここで生まれ、ここで死ぬつもりだった男たちです」
間があった。
「家族が、待っています」
誰も、何も言わなかった。
——部下を、失っている。
ジンが、口を開いた。
「霧の中で、何が起きているか」
「型は、全て弾かれます。解封の型、六種類。クロージャに使う鍵も。反応すらない」
レドが、ケイを見た。
「ケイ殿。わかったことを」
ケイは、地図を見た。
「霧には、鍵穴がない」
短い沈黙。
「クロージャと同種だ。だが、一段深い」
サトルが顔を上げた。
「同種、ですか」
「同種だ。だが、外から差し込む場所がない。差し込もうとすると、弾かれる。霧は外から来たものを、全部拒む」
「では、どうやって——」
「内側から、作るしかない」
ケイは言った。
「霧の構造を読んで、霧自身の式を、逆算する。霧は、自分自身を、拒めない」
広間が、静かになった。
「ただ——」
ケイは続けた。
「自分には、その鍵が霧から来たものだと、証明できない。式の出所を、保証する者が要る」
間があった。
「証明する者、とは」
レドが言った。
ケイは答えなかった。
答えは、頭にあった。
ただ、まだ、口にしていなかった。
レドが、ふと、口を開いた。
「ヴェリタス教団の使節が、本日夕刻に到着する予定です」
地図を押さえる手が、わずかに緩んだ。
「聖詔者が、直々にお見えになります」
——それだ。
ケイは、地図に視線を落とした。
——筋が、通る。
「夕刻まで、待ちます」
ケイは言った。
レドが、頷いた。
目の奥に、わずかに、光が戻った。
◆
夕方。
城門の外。
空は薄暗い。
フウが草の上に座って、南を見ていた。
「来てる。もうすぐそこ」
しばらくして、馬車の音が聞こえてきた。
馬車が、二台。
前後に、護衛の騎士が四名。
旗が、二本。
青と、白。
ヴェリタス教団の旗だ。
先頭の馬車が、止まった。
扉が、開いた。
白い礼服。
金に近い茶色の髪。
背が、小さい。
アリスの目が、ケイを見つけた。
「お待たせしました」
声は、静かだった。
ケイは、頭を下げた。
頭を下げる、それだけで、十分だった。
アリスが、馬車から降りた。
石畳に、白い靴が、音もなく、置かれた。
歩み寄り、すれ違うとき、礼服の裾が、ケイの腕の側を、わずかに撫でた。
——触れた、わけではなかった。
ケイは、振り返らなかった。
アリスも、振り返らなかった。
城門の中へ、歩いていった。
◆
夜、ケイの部屋。
扉が、叩かれた。
アリスだった。
侍女はいない。
「少し、いいですか」
「どうぞ」
アリスが、入った。
扉を、閉めた。
閂は、下ろさなかった。
机の上に、ケイは、霧の構造の式を、書いていた。
羊皮紙。線。記号。途中で、止めてある。
アリスが、近づいた。
目を、式に落とした。
「これが、霧」
「そうだ」
アリスが、しばらく、見ていた。
「鍵穴は、ない」
「ない。だから、外から差し込めない」
「内側から、作るのですね」
ケイは、頷いた。
「式の出所を、証明する者が要る」
ケイは、アリスを見た。
「あなたに、お願いしたい」
アリスが、目を上げた。
短い沈黙。
「教団は、認証局です」
アリスが言った。
「鍵そのものは、ただの数式に過ぎません」
ケイの目を、見た。
「誰が作り、誰が検証し、誰が認可したか——来歴が揃って、初めて、使える」
ケイは、頷いた。
「それを、教団が保証する」
「そう。聖詔者の宣言は、教団の名における、証明書です」
アリスが、間を置いた。
「霧の構造から導いた鍵を、あなたが組む」
「ああ」
「その式が、霧から来たものだと、私が宣言する」
「教団の名において」
「霧は、自分自身を、拒めない」
「そういうことだ」
アリスが、間を置いた。
「——できます」
迷いは、なかった。
「現場で、構造を見せてください。私が見ている前で、組んでもらう。宣言は、そのあとに」
「わかった」
アリスが、式に、もう一度、目を落とした。
指先が、羊皮紙の端に、近づいた。
止まった。
——触れる、手前で。
ケイは、その所作を、見ていた。
アリスが、指を、引いた。
「明日、夜明けに」
「ああ」
アリスが、扉に向かいかけた。
一度、止まった。
「ケイさん」
「はい」
「明日、よろしくお願いします」
「こちらこそ」
アリスが、扉に手をかけた。
ケイが、口を開いた。
「……昨夜から、返信が、短かった」
アリスの目が、わずかに、動いた。
「道中、急ぎましたので」
アリスが、それだけ、言った。
ドアが、閉まった。
◆
ケイは、机の上の式に、視線を戻した。
線。記号。途中の途切れ。
指で、続きをなぞった。
ここから先は、霧に触れて、初めて、書ける。
指の先で、確信があった。
霧は、見せないだけだ。
構造は、ある。
ある以上、読める。
ケイは、羊皮紙を、巻いた。
明日、夜明け。
アリスが、隣にいる。
——読めます。
——だから、開けられる。




