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Episode 13|鍵穴のない構造


 昨日、騎士が三人、消えた。


 ここで。


 白い霧の壁の中に踏み込んだまま、戻ってこなかった。


 夜明け前だった。


 ケイは一人で、霧の縁に立った。


 空は灰色だ。


 昨日と同じ位置に、白い壁。


 動かない。追ってもこない。


 ——だが、入ったものは、通さない。


 昨日、それを確かめた。


 今日は、続きだ。


 深く入らずに、構造の輪郭だけ、掴む。


 指先で、霧に触れた。


 冷たい。湿っている。


 思考が、わずかに重くなる。


 ——浅い。ここなら、戻れる。


 読む。


 蔓型クロージャには、鍵穴があった。


 封印された者の表面に、収束点があった。


 そこに合う鍵を差し込めば、解けた。


 この霧には、それがない。


 鍵穴を探そうとして——弾かれた。


 もう一度、読もうとする。


 ——弾かれる。


 ケイは少し、間を置いた。


 指を、引かない。


 わずかに、押した。


 ——構造は、ある。


 あるが、見せない。


 外から来るものを、片端から、押し返している。


 差し込む前に、消されている。


 ——なるほど。


 これが、原理だ。


 ケイは指を引いた。


 頭が、軽くなった。


 白い壁を、見上げた。


「早いな」


 背後で、声がした。


 革鎧。腕を組んでいる。アキラだった。


「何かわかったか」


「少し」


 ケイは言った。


「報告会に持ってこい。レドが人を集めてる」




 広間に、人が揃った。


 レド。副官が二名。ジン。フウ。サトル。アキラ。


 レドが地図を広げた。


 使い込まれた手だ。鎧の金具が、地図の端を押さえている。


 四十がらみの男。


 鎧の汚れが、年季を示していた。


「昨夜から、霧が東へ五メートル広がっています」


 レドの声は低かった。


「このまま三日で、街道に届きます。北への補給路が、断たれる」


 地図の上、街道に指が置かれた。


 指の関節が、太い。


「封じられた転移者は、朝から返答がありません」


 フウが小声で言った。


「いる。でも、遠い」


「意識が、薄れている、ということか」


 サトルが眼鏡を押し上げた。


「そう、思われます」


 アキラが、肩をすくめた。


「転移者はどっちにしろ向こうに戻るだけだ。問題は、ここの補給路だろ」


 誰も、答えなかった。


 レドが続けた。


「騎士団で、突入を試みた者がいます。三人」


 間があった。


「全員、出てこられませんでした」


 レドの声に、揺れはない。


 ただ、目だけが、地図から動かなかった。


「俺の部下です」


 レドが言った。


「三人とも、ここで生まれ、ここで死ぬつもりだった男たちです」


 間があった。


「家族が、待っています」


 誰も、何も言わなかった。


 ——部下を、失っている。


 ジンが、口を開いた。


「霧の中で、何が起きているか」


「型は、全て弾かれます。解封の型、六種類。クロージャに使う鍵も。反応すらない」


 レドが、ケイを見た。


「ケイ殿。わかったことを」


 ケイは、地図を見た。


「霧には、鍵穴がない」


 短い沈黙。


「クロージャと同種だ。だが、一段深い」


 サトルが顔を上げた。


「同種、ですか」


「同種だ。だが、外から差し込む場所がない。差し込もうとすると、弾かれる。霧は外から来たものを、全部拒む」


「では、どうやって——」


「内側から、作るしかない」


 ケイは言った。


「霧の構造を読んで、霧自身の式を、逆算する。霧は、自分自身を、拒めない」


 広間が、静かになった。


「ただ——」


 ケイは続けた。


「自分には、その鍵が霧から来たものだと、証明できない。式の出所を、保証する者が要る」


 間があった。


「証明する者、とは」


 レドが言った。


 ケイは答えなかった。


 答えは、頭にあった。


 ただ、まだ、口にしていなかった。


 レドが、ふと、口を開いた。


「ヴェリタス教団の使節が、本日夕刻に到着する予定です」


 地図を押さえる手が、わずかに緩んだ。


「聖詔者が、直々にお見えになります」


 ——それだ。


 ケイは、地図に視線を落とした。


 ——筋が、通る。


「夕刻まで、待ちます」


 ケイは言った。


 レドが、頷いた。


 目の奥に、わずかに、光が戻った。




 夕方。


 城門の外。


 空は薄暗い。


 フウが草の上に座って、南を見ていた。


「来てる。もうすぐそこ」


 しばらくして、馬車の音が聞こえてきた。


 馬車が、二台。


 前後に、護衛の騎士が四名。


 旗が、二本。


 青と、白。


 ヴェリタス教団の旗だ。


 先頭の馬車が、止まった。


 扉が、開いた。


 白い礼服。


 金に近い茶色の髪。


 背が、小さい。


 アリスの目が、ケイを見つけた。


「お待たせしました」


 声は、静かだった。


 ケイは、頭を下げた。


 頭を下げる、それだけで、十分だった。


 アリスが、馬車から降りた。


 石畳に、白い靴が、音もなく、置かれた。


 歩み寄り、すれ違うとき、礼服の裾が、ケイの腕の側を、わずかに撫でた。


 ——触れた、わけではなかった。


 ケイは、振り返らなかった。


 アリスも、振り返らなかった。


 城門の中へ、歩いていった。




 夜、ケイの部屋。


 扉が、叩かれた。


 アリスだった。


 侍女はいない。


「少し、いいですか」


「どうぞ」


 アリスが、入った。


 扉を、閉めた。


 閂は、下ろさなかった。


 机の上に、ケイは、霧の構造の式を、書いていた。


 羊皮紙。線。記号。途中で、止めてある。


 アリスが、近づいた。


 目を、式に落とした。


「これが、霧」


「そうだ」


 アリスが、しばらく、見ていた。


「鍵穴は、ない」


「ない。だから、外から差し込めない」


「内側から、作るのですね」


 ケイは、頷いた。


「式の出所を、証明する者が要る」


 ケイは、アリスを見た。


「あなたに、お願いしたい」


 アリスが、目を上げた。


 短い沈黙。


「教団は、認証局です」


 アリスが言った。


「鍵そのものは、ただの数式に過ぎません」


 ケイの目を、見た。


「誰が作り、誰が検証し、誰が認可したか——来歴が揃って、初めて、使える」


 ケイは、頷いた。


「それを、教団が保証する」


「そう。聖詔者の宣言は、教団の名における、証明書です」


 アリスが、間を置いた。


「霧の構造から導いた鍵を、あなたが組む」


「ああ」


「その式が、霧から来たものだと、私が宣言する」


「教団の名において」


「霧は、自分自身を、拒めない」


「そういうことだ」


 アリスが、間を置いた。


「——できます」


 迷いは、なかった。


「現場で、構造を見せてください。私が見ている前で、組んでもらう。宣言は、そのあとに」


「わかった」


 アリスが、式に、もう一度、目を落とした。


 指先が、羊皮紙の端に、近づいた。


 止まった。


 ——触れる、手前で。


 ケイは、その所作を、見ていた。


 アリスが、指を、引いた。


「明日、夜明けに」


「ああ」


 アリスが、扉に向かいかけた。


 一度、止まった。


「ケイさん」


「はい」


「明日、よろしくお願いします」


「こちらこそ」


 アリスが、扉に手をかけた。


 ケイが、口を開いた。


「……昨夜から、返信が、短かった」


 アリスの目が、わずかに、動いた。


「道中、急ぎましたので」


 アリスが、それだけ、言った。


 ドアが、閉まった。




 ケイは、机の上の式に、視線を戻した。


 線。記号。途中の途切れ。


 指で、続きをなぞった。


 ここから先は、霧に触れて、初めて、書ける。


 指の先で、確信があった。


 霧は、見せないだけだ。


 構造は、ある。


 ある以上、読める。


 ケイは、羊皮紙を、巻いた。


 明日、夜明け。


 アリスが、隣にいる。


 ——読めます。


 ——だから、開けられる。


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