Episode 12|霧の縁
◆
北への街道は、昨日より静かだった。
馬の蹄の音。風。遠くで鳥が鳴いている。
それだけだ。
街道沿いの木立が続いている。空は曇り始めている。
「……来る」
フウが立ち止まった。
右手の木立を見ていた。視線が定まっている。
「三つ。木の上に二つ」
フウの声と同時に、ジンはすでに動いていた。
盾を構えながら右手の木立へ向かう。
最初の一体が地面から飛び出してきた。
エラントの上位種だ。体長は一メートルを超えている。灰色の外骨格。六つの眼球が独立して動いている。背に薄い羽が畳まれていた。
ジンの刀が抜かれた。
一閃。
上位種の頭部が両断された。
木の上の二体が羽を広げた。
滑空するように降りてきた。
声は、なかった。
——なのに、届いた。
アキラから。
——左から回り込む。
走る音が背後で遠ざかった。迷いなく、最短ルートで動く。
アキラが群れの外側を崩し、密集した個体を散らしていく。
サトルからも来た。
——退路を塞ぎます。
型が展開された。
眼鏡の奥の目が冷静に状況を読んでいる。
アキラが引いてきた方向に防壁が張られ、逃げ場が消えた。
三体が残った。
構造を読む。
外骨格の密度。魔力の流れ。弱点の位置。
手を動かす前に式が見えていた。
指が陣を描く。光が収束した。
短い、一拍。
三体が消えた。
跡形もない。
地面に、焦げ跡もなかった。
——声がなくても、通じる。
いつから、だ。
アキラが、走り戻ってきた。
地面を見渡している。
倒したはずの場所に、何もない。
「全部?」
アキラが聞いた。
「お前が、三体まとめてか」
「全部」
フウが答えた。
「一瞬で」
アキラが、口の端を上げた。
「……化け物だな」
短い沈黙。
ジンが刀を鞘に収めながら木立を見渡した。
「数が多い。この辺りで群れが出るのは珍しい」
「ちょっと待ってください」
サトルが、最後の一体が消えた場所に近づいた。
眼鏡を押し上げ、地面を覗き込む。
「ケイ君、さっきの個体。外側の構造、見ましたか」
「見た」
「密度が増しています。ハストゥラ近郊で先月出たものより、一段階上がっている」
——そうだ。
外側から魔力で補強されている層が、一枚増えていた。
「まだある」
フウが北の方向を見ていた。
遠くを、見ていた。街道の先ではなかった。
「ずっと先。もっと大きいのが、ある」
◆
ファーマルクの城門は、ハストゥラのそれより低かった。
装飾がない。代わりに、分厚い。
石造りの壁。見張り台。弓を持つ衛兵。
兵の目が、街道の方を、絶えず見ている。
国威を見せる門ではない。
戦時に、敵を止めるための門だ。
門の前に騎士が立っていた。
「お待ちしておりました。隊長のレドと申します」
四十がらみの男だ。
鎧の汚れが使い込まれた年季を示している。
「新型の封鍵魔物、どこまで広がってる」
ケイが口を開くより早く、アキラが前に出ていた。
レドが答えた。
「城門から北へ二キロほどの地点に帯状に広がっています。幅はおよそ三百メートル。白い霧のような姿をしており、近づいた者を封じます。ここ三日で変化はありません」
「広がっていないのか」
ジンが確認した。
「はい。ただ——縮んでもいません」
「封じられた転移者は」
ケイが聞いた。
「霧の中に入ったまま、出てこられません。通信は繋がっています。ただ、型が通じない」
「どの型を試した」
「解封の型、六種類。全て無効でした。クロージャに使う鍵も試しました。反応すらありませんでした」
フウが袖を引いた。
「行ってみる?」
「行く」
◆
現場は静かだった。
白い霧の帯が、街道を横切るように広がっていた。
高さは三メートルほど。
壁のように立ちはだかっている。
だが縁がはっきりしない。空気が少しずつ白くなって、霧になっている。
ハストゥラで見たクロージャとは、全く違う。
あれは蔓が這い、広がり、音を立てた。
これは動かない。
ただそこにある。
——形がない、ということは。
——構造の、層が深い。
「……形がない」
フウが霧の縁から一歩引いた。
丸い目が霧を見ている。
フウが続けた。
「どこまでが魔物かわからない。エラントとは全然違う」
レドの部下が前に出た。
手に型の陣が展開されている。解封の型だ。
陣が霧の縁に触れた。
何も起きなかった。
霧は動かない。
型が吸い込まれるように消えた。
「六種類、全てそうなります」
レドが言った。
間があった。
アキラから届いた。
短い。
——ケイ、お前が見るしかないだろ。
霧を見た。
◆
霧に近づいた。
縁に立つ。
白い空気が顔にかかった。
冷たい。湿っている。
——構造が、ある。
蔓型とは違う読み方が必要だ。
蔓には鍵穴があった。
この霧には鍵穴がない。
霧そのものが構造だ。
一歩、踏み込んだ。
足元の感触が変わる。
草、ではない。
地面、でもない。
思考が、少しずつ重くなる。
読もうとした。
構造の輪郭を掴もうとした。
——届かない。
深い。
底がない。
引き込まれる。
——読めない。
構造を読めなかったことは、ない。
いや、違う。
——構造が、見せない。
一歩、引いた。
霧の外に出る。
頭が軽くなる。
「ケイ」
ジンが隣に立っていた。
盾を半歩前に出していた。
「大丈夫です」
霧を見た。
白い壁。縁が揺れている。
「今日は無理だ」
ケイが言った。
「は?」
アキラが腕を組んだ。
「構造が深い。蔓型の倍以上ある。一度で読み切れない」
沈黙。
「ではどうする」
ジンが聞いた。
ケイは、霧から目を離さなかった。
白い壁。動かない。
——明日。あるいは、その先。
——まず、端を掴む。それだけでいい。




