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Episode 12|霧の縁


 北への街道は、昨日より静かだった。


 馬の蹄の音。風。遠くで鳥が鳴いている。


 それだけだ。


 街道沿いの木立が続いている。空は曇り始めている。


「……来る」


 フウが立ち止まった。


 右手の木立を見ていた。視線が定まっている。


「三つ。木の上に二つ」


 フウの声と同時に、ジンはすでに動いていた。


 盾を構えながら右手の木立へ向かう。


 最初の一体が地面から飛び出してきた。


 エラントの上位種だ。体長は一メートルを超えている。灰色の外骨格。六つの眼球が独立して動いている。背に薄い羽が畳まれていた。


 ジンの刀が抜かれた。


 一閃。


 上位種の頭部が両断された。


 木の上の二体が羽を広げた。


 滑空するように降りてきた。


 声は、なかった。


 ——なのに、届いた。


 アキラから。


 ——左から回り込む。


 走る音が背後で遠ざかった。迷いなく、最短ルートで動く。


 アキラが群れの外側を崩し、密集した個体を散らしていく。


 サトルからも来た。


 ——退路を塞ぎます。


 型が展開された。


 眼鏡の奥の目が冷静に状況を読んでいる。


 アキラが引いてきた方向に防壁が張られ、逃げ場が消えた。


 三体が残った。


 構造を読む。


 外骨格の密度。魔力の流れ。弱点の位置。


 手を動かす前に式が見えていた。


 指が陣を描く。光が収束した。


 短い、一拍。


 三体が消えた。


 跡形もない。


 地面に、焦げ跡もなかった。


 ——声がなくても、通じる。


 いつから、だ。


 アキラが、走り戻ってきた。


 地面を見渡している。


 倒したはずの場所に、何もない。


「全部?」


 アキラが聞いた。


「お前が、三体まとめてか」


「全部」


 フウが答えた。


「一瞬で」


 アキラが、口の端を上げた。


「……化け物だな」


 短い沈黙。


 ジンが刀を鞘に収めながら木立を見渡した。


「数が多い。この辺りで群れが出るのは珍しい」


「ちょっと待ってください」


 サトルが、最後の一体が消えた場所に近づいた。


 眼鏡を押し上げ、地面を覗き込む。


「ケイ君、さっきの個体。外側の構造、見ましたか」


「見た」


「密度が増しています。ハストゥラ近郊で先月出たものより、一段階上がっている」


 ——そうだ。


 外側から魔力で補強されている層が、一枚増えていた。


「まだある」


 フウが北の方向を見ていた。


 遠くを、見ていた。街道の先ではなかった。


「ずっと先。もっと大きいのが、ある」




 ファーマルクの城門は、ハストゥラのそれより低かった。


 装飾がない。代わりに、分厚い。


 石造りの壁。見張り台。弓を持つ衛兵。


 兵の目が、街道の方を、絶えず見ている。


 国威を見せる門ではない。


 戦時に、敵を止めるための門だ。


 門の前に騎士が立っていた。


「お待ちしておりました。隊長のレドと申します」


 四十がらみの男だ。


 鎧の汚れが使い込まれた年季を示している。


「新型の封鍵魔物、どこまで広がってる」


 ケイが口を開くより早く、アキラが前に出ていた。


 レドが答えた。


「城門から北へ二キロほどの地点に帯状に広がっています。幅はおよそ三百メートル。白い霧のような姿をしており、近づいた者を封じます。ここ三日で変化はありません」


「広がっていないのか」


 ジンが確認した。


「はい。ただ——縮んでもいません」


「封じられた転移者は」


 ケイが聞いた。


「霧の中に入ったまま、出てこられません。通信は繋がっています。ただ、型が通じない」


「どの型を試した」


「解封の型、六種類。全て無効でした。クロージャに使う鍵も試しました。反応すらありませんでした」


 フウが袖を引いた。


「行ってみる?」


「行く」




 現場は静かだった。


 白い霧の帯が、街道を横切るように広がっていた。


 高さは三メートルほど。


 壁のように立ちはだかっている。


 だが縁がはっきりしない。空気が少しずつ白くなって、霧になっている。


 ハストゥラで見たクロージャとは、全く違う。


 あれは蔓が這い、広がり、音を立てた。


 これは動かない。


 ただそこにある。


 ——形がない、ということは。


 ——構造の、層が深い。


「……形がない」


 フウが霧の縁から一歩引いた。


 丸い目が霧を見ている。


 フウが続けた。


「どこまでが魔物かわからない。エラントとは全然違う」


 レドの部下が前に出た。


 手に型の陣が展開されている。解封の型だ。


 陣が霧の縁に触れた。


 何も起きなかった。


 霧は動かない。


 型が吸い込まれるように消えた。


「六種類、全てそうなります」


 レドが言った。


 間があった。


 アキラから届いた。


 短い。


 ——ケイ、お前が見るしかないだろ。


 霧を見た。




 霧に近づいた。


 縁に立つ。


 白い空気が顔にかかった。


 冷たい。湿っている。


 ——構造が、ある。


 蔓型とは違う読み方が必要だ。


 蔓には鍵穴があった。


 この霧には鍵穴がない。


 霧そのものが構造だ。


 一歩、踏み込んだ。


 足元の感触が変わる。


 草、ではない。


 地面、でもない。


 思考が、少しずつ重くなる。


 読もうとした。


 構造の輪郭を掴もうとした。


 ——届かない。


 深い。


 底がない。


 引き込まれる。


 ——読めない。


 構造を読めなかったことは、ない。


 いや、違う。


 ——構造が、見せない。


 一歩、引いた。


 霧の外に出る。


 頭が軽くなる。


「ケイ」


 ジンが隣に立っていた。


 盾を半歩前に出していた。


「大丈夫です」


 霧を見た。


 白い壁。縁が揺れている。


「今日は無理だ」


 ケイが言った。


「は?」


 アキラが腕を組んだ。


「構造が深い。蔓型の倍以上ある。一度で読み切れない」


 沈黙。


「ではどうする」


 ジンが聞いた。


 ケイは、霧から目を離さなかった。


 白い壁。動かない。


 ——明日。あるいは、その先。


 ——まず、端を掴む。それだけでいい。


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