[8] 黒い精霊
「おい、いったいどうなってるんだ。あいつは何をしている」
「アル兄様、おちついてください。彼女のことですから、きっとなんとかうまくやってますよ」
「俺達が張り込んでる目の前で、二人も拉致されたんだぞ。落ち着いていられるか」
話題のヒラが拉致されたと発覚したのは、連れ去られて少し後のこと。
庭の植え込みや建物の影に待機していた者達は、待っていたヒラの合図がいつまでもなく困惑していた。
連絡を受けて潜入組が温室の中に入ると、温室奥に女物のストールだけが落ちていた。
それがヒラのもので、更にもう1人姿の見えない令嬢がいることが判明し、伯爵邸内は騒然となった。
サズリーは、後を担当の兵達に任せてとり急ぎ城に戻った。
そこで待っていたのが、同じく出かけていたはずのアルサルだ。
アルサルは、令嬢を攫われた貴族達をなだめ彼らの暴走を抑えるために最高責任者として赤い狐達の捜索に関わっている。
ただし状況的に貴族の関与も疑われる為に、裏で独自に調査を進めていた。
もし貴族が主犯であれば、相応の確証が必要となる。
遅々として進まない調査とその切り札として選ばれたのが、未だ公式に宮廷魔術師として貴族達に紹介されていないヒラだった。
彼女はいつも城の奥の私室にいるか、会議などで珠に魔術師棟に出向く程度だ。
散歩も精霊達の様子を見回るという名目で王家の庭に転移して行くようでほとんど人目につかない。
決して人嫌いというわけではないが、少なくとも城の中で目立ちたくはないようだと王子達は感じていた。
臨時司令室となった城内のアルサルの部屋で、王子達二人は地図を広げた机をはさんで議論していた。
部屋の外には鎧姿の兵が見張りに立っており、時折下級貴族の子弟が着る地味めな暗い色の衣服を着たアルサルの配下の騎士達が、現場の様子や捜索の状況報告に訪れる。
未だに朗報はひとつもなく、そのことが更に二人を苛立たせていた。
「問題は、どうして彼女が抵抗もせず連れていかれたかですよね。彼女は杖無しでも魔術が使える、宮廷魔術師の中では無二の存在。でもあそこで魔術を使った痕跡はないらしいです」
「なら無抵抗か。正体がばれてもう1人の令嬢が人質にされたのか」
「抵抗した痕跡がないから恐らくは。不意をつかれたのでなければ、恐らく任務を続行しているのではないかと……」
「それなら、これを落としていったのは何かの合図だと思うんだがな。魔術師に確認させたが特に何もないのだと言ってたぞ」
王子二人が腕を組み溜め息混じりに唸った時だった。
遠慮がちなノックと共に扉が開いた。
二人が目を向けた先には、戸惑った表情を浮かべた鎧姿の兵と、その足もとに少年の姿があった。
「ルー、何故ここに来たんだ」
「もう寝てるはずの時間でしょう。少し騒がしいかもしれませんが、戻って休みなさい。明日に差し支えますよ」
薄黄色の寝間着の上に、少し大きめの濃紺のガウンを着た末の弟は、青い顔で長い袖の影で手を握りしめていた。
そして並び立つ兄達を見上げると、噛み締めていた唇を開いた。
「ねえ、ヒラは? まだ部屋にいないんだけど、帰ってきてないの」
「お前が気にすることじゃないよ」
「ねえったら! どうしてヒラがいないの」
今にも倒れそうな様子で、実際足下がふらりとよろめきながらも、ルーは二人に迫った。
サズリーはあわてて腰をかがめて弟の肩を支え、顔を覗き込んで先程より少し優しい口調で言い聞かせる。
「落ち着きなさい、ルー。判ってるでしょう。ヒラは宮廷魔術師としての任務で出ているだけ。だから気にせず寝ていなさい」
「でも、精霊が……」
ルーは、言いかけた言葉を飲み込んだ。
精霊という言葉にアルサルは眉根を寄せる。そしてサズリーと場所を替わり膝をついてルーと目線を合わせると、大きな手で黒髪をくしゃりと撫でた。
「どうした、聞いてやるから何でも言ってみろ」
「アル兄様、あのさ。オレが寝てたら何か気配がして、目をあけたら精霊がいたんだ」
「精霊?お前の側にはよくいるんだろう」
「ううん、いつものと違う、黒いのがいたんだ」
「黒い精霊?なんだそれは」
「えっとね、多分ヒラと仲良しの闇の精霊で、他の精霊みたいに光っていなくて黒い霧の塊みたいな形で飛ぶんだ。いつもヒラの影の中にいて一緒にいるんだけど、時々オレの邪魔をするやなやつなんだけどさ。こないだもヒラに膝枕してもらってたらーー」
「ルー、その黒い精霊がどうしたのですか」
脱線しかけたルードの話しを、サズリーはすかさず本題に戻す。
「あ、うん。いつも絶対ヒラから離れないのに、何故かオレの所にやってきて、側から離れなくなったんだ。それでヒラの所に相談に行ったら部屋にいなくて。でもサリ兄さまは帰ってるって言うから訊きにきたんだ。ねえ、ヒラに何かあったの」
「おい、ルー。ヒラは令嬢攫いの連中を捕まえる為にまだ外にいるんだ。ヒラは自分の仕事をしている。お前も王子として自分のすべきことをしろ」
「アル兄さま、じゃあなんで二人とも深刻そうな顔をして、それにここにヒラの持って行ったベールがあるの? それにこの部屋……精霊どうしてこんなに精霊だらけなの」
ルードの言葉に二人はぎょっとした。
そしてあわてて周囲を見回すが、二人の目には特になにも見えない。
「お前、見えるのか? その、ここに精霊がいるのが」
「うん。オレ、もう精霊は怖くないけど、それでもきもちわるいくらいいるよ。そのベールを中心に集まってるみたい」
二人は、弟の指指すテーブルの上を目を薄めたり、一度目を閉じて開いたりするが、やはり何も確認することが出来ずにけげんな、そして見えぬものへの畏怖が入り交じった表情を浮かべた。
二人は弟が決して出鱈目なことを言ってるとは、少しも疑うことはなかった。
「ねえ、本当のことを言ってよ。精霊達が騒いでるのと関係あるんでしょ」
兄二人は顔を見合わせ迷う様子を見せてみたが、やがてサズリーが観念したように口を開いた。
「ルー、落ち着いて私の話しを聞きなさい。ヒラは任務の途中でアクシデントに合ったようです。誘拐犯と遭遇するまでの囮だった予定が、他の令嬢も居合わせたために一緒に誘拐されていったようなのです」
「ゆ、誘拐!?」
「しいっ。いいから聞きなさい。ヒラは恐らく赤い狐の隠れ家へと連れて行かれたはず。私達もすぐに追いかけたいのですが、まだその場所を捜索している所です」
「なんでっ! ヒラは危なくないって言ってただろ。どうして連れていかせたのさ、兄様たちの嘘つきっ!」
心配が的中し、怒りからルードが激高して叫ぶと、アルサルとサズリーは、ランプの灯りが揺れる部屋の中がまるで昼間のように明るくなり、空気が揺らめくのを感じた。
同時に肌がちりりと焼けるような痛みが走る。
アルサルが弟を異変から守ろうと慌てて抱き寄せた瞬間、部屋の中は新月闇よりも暗い闇に包まれ、そしてすぐに穏やかな元のオレンジ色の灯りが揺れる部屋に戻った
「なんだ今のは……」
「二人とも、怪我などはないですか」
同様しながらも即座にお互いの安否を確認する二人の下で、ルードが目に涙をためて肩を振るわせながら謝った。
「ごっ、ごめんなさい。お、オレつい興奮しちゃって……一緒に精霊達が騒ぎ出したけど黒いのが皆を止めてくれたみたい」
「そうか。じゃあもう大丈夫なんだな」
兄の腕の中で小さい弟は小さく頷いた。
「アル兄様、もうルーは部屋に戻しましょう。ルー、顔色もよくないし、もう部屋に戻りなさい。何かあればすぐに知らせるし、ヒラが戻ったら一番に会いに行かせるようにしましょう」
「でも……オレ、このまま寝て待ってるなんて出来ないよ」
サズリーが嫌がる弟の腕をつかんで、強引に部屋から連れ出そうとした時だった。
「いや、ルーはこのまま俺達といるといい」
「何故です。まだルーは子どもなんですよ」
アルサルはサズリーの手を掴むとルーから引き離し、そのまま弟を抱き上げた。
「ルーだから出来ることがあるんじゃないか」
「アル兄様!」
「オレに出来ることがあるの?」
「ああ、そうだ」
アルサルは咎めるサズリーに不適な笑みを返すと、机からベールをとるとルーに手渡した。
「これはヒラが偶然落としたか、誘拐を示す為に落としたんだと思っていたが、それ以外に何か意味があるんじゃないか」
「意味、ですか?」
「ああ。魔術の痕跡はないと言ってたが、なら精霊を使って何かしてるんじゃないか」
「精霊……もしかして黒いの!」
はっとして顔をあげたルーに、アルサルは温かく力強い笑顔を見せた。
「お前の力で、ヒラを見つけるんだ」
お待たせしました。
王子達のシーンで一話まるまる使ってしまった…
次はヒラが賊の親玉と相対します。