第三話 歪められた真実
これ以降は一日一話、投稿を予定しています。
残りは、十二話。プラス、ちょっとした設定一覧。です。
全 十五話。とおまけ(設定一覧)で完結です。
幸い、カイルに大きな怪我はなかったため、ただの落水事故として処理され式典も予定どおり続けられることになった。
王城の一室に両国の王族と重臣たちが集まり、湖での出来事について静かに協議が進められていた。
「皇太子を最初に見つけたのは、ヴァリー侯爵令嬢だとの報告です」
その言葉が落ちた瞬間、場の空気がわずかに緊張する。沈黙を破ったのは、コロバイン王国側の重臣だった。
「まだ幼い子どもの行動です。敵味方の区別などつくはずもなく、ただ必死に助けようとしたのでしょう」
ウェスティン帝国側も静かにうなずく。
「この件を表沙汰にすれば、両国の関係に不要な波風を立てます。この場だけの話として収めましょう」
平和式典という特別な場で起きた事件だったこともあり、こうして静かに事態を収めることを選んだ
和平式典の報告書には、ただ一行のみ。
――式典において、ウェスティン帝国の高貴と見受けられる少年が落水。ヴァリー侯爵令嬢が少年を救助。命に別状なし
それだけが記され、記録室の奥へしまわれる。
リリアもまた、この日あったことを特別な出来事だと思っていなかった。リリアにとって、この日助けたのは敵国の皇太子ではなくて、助けを求めていた、ただ一人の少年。ただそれだけだった。
――時が流れるにつれ、この日の出来事は人々の記憶から少しずつ薄れてく。その少年が何者だったのかを誰も知ることもなく。知る者は、ごくわずかな王宮関係者だけ。
こうして、この出来事は公に語られることなく幕を閉じたように思われた。
そして、――現在。
和平式典から十年の歳月が流れた現在、かつて停戦を結んだコロバイン王国とウェスティン帝国だったが、その関係は再び悪化の一途をたどっていた。
王宮では、過去の外交記録を見直すよう命が下り、文官たちは古い資料の整理に追われていた。その中の一人が埃をかぶった報告書の山から一冊を取り出し、不思議そうに首をかしげた。
「……これは?」
文官が見つけたのは、和平式典の報告書。そこには小さくこう記されていた。
――式典において、ウェスティン帝国の高貴と見受けられる少年が落水。ヴァリー侯爵令嬢が少年を救助。命に別状なし
「高貴と見受けられる少年……?一体、誰の事だろう」
その何気ない疑問は、居合わせた者たちの耳にも届いた。
その時だった。
宰相がまるで、昔話を思い出したかのように静かに口を開く。
「……そういえば当時、少年が落水した際、ウェスティン帝国の皇族ではないか……。と、噂されておりましたな」
断言はしない。あくまでも思い出話のような口ぶりで語った。しかしその一言で十分だった。
「……あれは、皇族だったのか」
当時、偶然その場を目にした文官が思い出したように声を上げる。
「いや。皇太子だったという話も聞いたことがある」
「敵国の皇太子を助けた令嬢が、ヴァリー侯爵令嬢、ということか?」
「では、敵国の皇太子を助けた侯爵令嬢が未来の王妃になるのか……?」
宰相はまるで今しがた事実に気づいたかのように、ゆっくりと言葉を続けた。
「……そういうことに、なるのだろうな」
宰相の静かな一言が落ちた瞬間、謁見の間の空気がわずかに揺れた。文官たちは互いに顔を見合わせ、胸の奥にじわりと不安が広がっていく。
「王家に連なる者として、あまりにも軽率だ」
「敵に情けをかけた女ではないか!」
「いざという時、王妃は敵国にも情けをかけるかもしれない」
抑えていた声が次々と漏れ始めた。
さらにその言葉は悪意に染まり、尾ひれをつけながら膨らんでいく。
両国の関係が再び揺らぐ現在、『リリアが溺れていた少年をただ助けた』その事実は都合のいい形にねじ曲げられ、悪意を伴って宮廷中へと瞬く間に広がった。
真実とは異なる形へ姿を変えて――
いつしか人々は口々に言うようになった。
『リリア・ヴァリー侯爵令嬢は裏切り者だ』
その一言は、事実であるかのように宮廷を駆け巡り、やがてリリア・ヴァリーという一人の令嬢を裁く理由へと変わっていった。
真実は都合のいい言葉へとすり替えられ、誰にも触れられぬまま闇へと葬られた。
十年前、一人の子どもを救っただけの事実に、その時の彼女がまだ八歳の少女だったことに、誰も語ろうとはしなかった。
助けた相手が「敵国の皇太子」ではなく、「溺れていた一人の少年」だったことにも、誰一人触れようとはしなかった。
――だが、ただ一人。あの日救われた少年カイルだけは、あの日の真実も、若草色の髪の少女も、十年の時を経ても忘れることはなかった。




