第十二話 帰りたい場所
帝都へ来てから季節は少しずつ移り始めていた。リリアもまた、この国での日々に少しずつ慣れていく。
城の庭園には色とりどりの花が咲き、夕方になると涼しい風が吹き抜ける。
その日もカイルはリリアを庭園へ案内していた。
「こちらは城の西庭です。夕暮れになると一番景色が美しい場所ですよ」
リリアはゆっくりと辺りを見回した。
「本当に……綺麗ですね」
王国の庭園とは違う。花の数は少ない。けれどその代わりに空がとても広かった。
歩きながら二人は少しずつ言葉を交わす。――好きなお茶の話。城下町の話。帝国の四季の話。気づけば、夕焼けは宵の色へと変わり、二人の会話は静かに続いていた。
ある日には疲れた表情を見たカイルが、何も聞かずに温かい紅茶を用意してくれた。
「今日はこちらのお茶は、いかがでしょう」
香りを確かめるとちょうどリリアの好きな茶葉だった。
「……どうして、分かったのですか?」
「侍女が教えてくれました」
さらりと言うカイルに思わず笑みがこぼれる。
またある雨の日には庭園から戻る途中で急に雨が降り始めた。リリアが空を見上げるより早く、一本の傘が静かに差し出される。
「風邪をひきます」
それだけ言ってカイルは何事もなかったかのように歩き出した。その背中を見つめながらリリアは胸の奥が少し温かくなるのを感じていた。
(どうして……どうして、この方はここまで優しいのだろう)
“冷酷な戦神”。情けを知らず、敵には容赦しない人物、――そう教えられてきた人とはあまりにも違う。その疑問は日に日に大きくなっていった。
夕暮れになると二人は決まって西の空を眺めた。その日も同じように静かな時間を共有していた。
――宵の気配がそっと降りてきた、その時だった。
リリアは意を決して口を開いた。
「あの……」
カイルが静かに振り向く。
「どうしてあの時……私を助けてくださったのですか」
しばらく沈黙が流れる。夕日が二人を優しく照らしていた。やがてカイルは小さく微笑んだ。
「助けたのは私ではありません」
「え……?」
「私は迎えに行っただけです」
リリアは驚いたように目を見開く。
カイルは穏やかな声を続けた。
「本当はもっと早く保護したかった……ですが、間に合いませんでした」
その声には、わずかな悔しさが滲んでいた。
「だからせめて、この国へ来たあなたを迎えたいと思ったのです」
リリアは言葉を失う。見返りを求めていたわけではない。恩を着せたいわけでもない。ただ、自分を助けたいと願って動いてくれた。……それだけだった。
カイルは宵の空を見上げる。
「安心してください。……ここは、あなたを傷つける場所ではありません」
その一言がリリアの心に静かに染み込んでいく。
王国での日々は朝のようだった。誰よりも早く起き、誰よりも努力し、期待に応え続ける毎日。一度も肩の力を抜くことはできなかった。
けれどこの国では違う。夕暮れになると一日を終えた人々は空を見上げ、穏やかな笑顔を浮かべる。
誰も急かさない。誰も責めない。ここでは、自分もようやく息をつける。――そんな気がした。
リリアは空を見上げ小さく微笑む。
(……ただいま)
その言葉を口にすることはなかったけれど、その想いは確かに胸の中にあった。
――そして、その帰る場所にはいつも静かに寄り添う一人の青年がいた。




