第十話 再会の記憶
リリアが国外追放される少し前――
夕暮れの庭園を涼しい風が吹き抜ける。仕事を終えたカイルは一人、城の庭園にいた。茜色に染まる空を見上げながらゆっくりと目を閉じる。
一日の終わりを告げる宵の空は、昔から嫌いではなかった。その景色を見るたびに思い出す人がいるから。
◇◇◇
五年前――。
停戦後の親善を深めるため、ウェスティン帝国皇太子であるカイルはコロバイン王国を訪れていた。歓迎式典には多くの貴族が集まり、未来の王と王妃になる者たちも紹介される。
「こちらが、王太子エドガー殿下です」
隣に、一人の少女が堂々とした佇まいで立っていた。
「お隣のご令嬢が、侯爵令嬢リリア・ヴァリー様です」
少女は静かに一礼する。
紹介役の者がリリアの名を告げると、カイルは穏やかに頷いた。
「本日はようこそお越しくださいました。どうか、このひとときをゆるやかにお過ごしください」
礼儀正しく気品ある振る舞い。風に揺れる若草色の髪、――その色に、その名前に、カイルの胸が小さく揺れた。
(……若草色。……リリア……)
だが、それだけでは確信できない。あの時に出会った少女も同じ色の髪、同じ名前だった。しかし、同じ名前、似た髪色の者がいても不思議ではない。そう思い直し視線を外した。
「ご紹介感謝します。これからの未来のために、――両国がより良い関係を築けるよう、私も尽力いたします」
その声は、皇太子としての威厳を保ちながらも、どこか柔らかくリリアの胸に静かに響いた。
式典は穏やかな談笑と優雅な旋律に彩られながら、静かに、しかし確かな熱を帯びて進んでいく。
人々の笑顔。揺れる衣の裾。煌めく装飾品に反射する光。そのどれもが平和の訪れを告げるようだった。
夕焼けが一日の終わりを告げるように、空の色がゆるやかに宵へと沈んでいく。カイルがその色を目に留めていた、――その時だった。
「……いたいよぉ……」
幼い子どもが石畳につまずき、小さな体を丸めて泣き出した。周囲の大人たちが一瞬足を止める。
その時、――迷いなく駆け寄る影があった。
「大丈夫?立てる?」
――リリアだった。
彼女は子どもの前に膝をつきそっと手を差し伸べる。涙を浮かべた子どもが震える声で小さく頷くと、ほっとしたように微笑えんだ。
「よかった。少しびっくりしたね」
リリアは胸元から白いハンカチを取り出すと、濡れた頬を優しく拭く。
その笑顔が夕日の色にふわりと染まった瞬間、――カイルの胸が強く揺れた。
(!……この仕草……この手の差し伸べ方……白いハンカチ……あの日と、同じだ)
風になびく若草色の髪が揺れ、夕日に照らされたエメラルドグリーンの瞳が輝く。
そして、自分の手の中に残る白いハンカチの温もり――
『もう大丈夫』
『もう泣かないで』
『きっと大丈夫だから』
忘れたことなど一日もない声。――あの日の記憶が鮮やかによみがえる
(……リリア……あなたが……あの時の、少女……だったのか)
ようやく見つけた、五年間ずっと会いたかった人。
胸の奥が熱くなるのを抑えきれず、思わず一歩を踏み出しかけた。
しかし、その先にはエドガーがいることに気が付いた。
リリアの隣に立ち、穏やかに言葉を交わしている。二人は婚約者。未来を誓い合った相手だった。
カイルは足を止める。
(……そうか)
胸の奥がほんの少しだけ痛んだ。けれど不思議と嫌な気持ちにはならなかった。
あの日命を救ってくれた少女が、――優しいまま成長し今も誰かの隣で笑っている。
――それだけで十分だった。
(幸せそうなら、それでいい)
静かにそうつぶやき、踵を返す。振り返ることはしなかった。その想いは自分だけのものにしておこうと決めたから。
◇◇◇
カイルはゆっくりと目を開く。気づけば、目の前にはいつもの庭園が広がっていた。西の空は茜色から藍色へと変わり、一番星が静かに輝き始めている。
「……幸せそうなら、それでいい」
五年前、自分に言い聞かせた言葉を小さく繰り返す。
この時は本当にそう思っていた。
――この先、その願いが打ち砕かれることになるとをまだ知る由もなかった。




