第3話 猫耳姫、ロットの猪にフェンシングで挑む
朝食は抜きで宿を出た。
森の縁で少し足を緩め、厚手の外套を脱いで彼女に差し出した。
アリステルはそれを見つめた。
「それで、私のことを大げさだとおっしゃるのですか」
声は、どうにか落ち着いていた。尾は違った。
宿を出てから歩いてくる間に、いつのまにかきつく巻き込まれている。濡れた毛は小さく震え、苛立ったような細かな震えを、本人は明らかに気づかないふりをしていた。
「内側は蝋引きだ。少しは暖かい」
「あなたの施しは必要ありません」
「施しじゃない。段取りだ。震え始めると判断を間違える。俺はもう十分、間違いを抱えて歩いている」
彼女の耳が伏せられた。それから、受け取った。
外套は、思った以上に彼女をすっぽり包んだ。
アリステルはぎこちなく、腹立たしげな動きでそれを身体に巻きつける。助けを受け入れたのは最初から自分の判断だった、と見せかけようとしている。
ほとんど成功していた。
その時、彼女が振り向いた。
尾が最悪のタイミングで横へ流れる。
借りた外套が半拍だけ引っかかり、その下の濡れた布が、細い腰と形のいい腰回り、それからまともな男なら朝から記憶に残すべきではない尻の線を、やけにはっきり浮かび上がらせた。
次の瞬間には布が落ちて、すべて台無しになった。
俺の年でありがたがるには情けないものだったが、ありがたかったのだから仕方がない。
彼女は俺と目を合わせないまま、外套をきつく引き寄せた。
「……ありがとうございます」
ようやく出た言葉は、棘でもついているみたいだった。
俺は鼻を鳴らし、彼女がその瞬間を妙なものにする前に歩き出した。
神殿へ続く道は、松林に呑まれた獣道のように細くなっていた。霧が幹のあいだに低くまとわりついている。雨は枝から滴る程度まで弱まっていたが、森はまだ昨夜を抱え込んでいた。
静かすぎる。見られている気がするほどに。
アリステルは、今では俺の二歩後ろを歩いていた。
俺がそう言ったからではない。
世界の方が、ようやく説明してくれたからだ。
決闘の作法は、疫病には通じない。
貴族の姿勢は、死者を止められない。
彼女は早く学んでいた。
早く学ぶほど、痛い。
一時間ほど進んだところで、俺は急に足を止めた。
アリステルは危うく俺の背中にぶつかりかける。
「何を――」
俺は片手を上げた。彼女は止まった。俺に言われたからではない。
もう木々のあいだの動きを見ていたからだ。
脚が多すぎる。
低い。
重い。
鼻を鳴らす音。
猪。
かつては、そうだったもの。
今は、膨れた肉から皮が帯のように垂れ下がっている。
一頭は肩から茸を生やしていた。
もう一頭は下顎が筋一本でぶら下がり、息をするたびに牙がかちかちと鳴る。
三頭目は、自分の腸を松葉の上に引きずっていた。
神殿へ続く道の入口に、ロットに冒された猪が三頭。
俺は左手で短鉈を抜き、右手のナイフを低く構えた。
「ここにいろ」
アリステルの尾が一度、鋭くしなった。
「そればかりおっしゃいますのね」
「君が突き上げられたら、山を下りるまで俺が担ぐ羽目になるからな」
彼女は顎を固くした。
「私は足手まといではありません」
「そうだな。足手まといはもっと静かだ」
一頭が、崩れた頭を持ち上げた。
甲高く鳴く。
残りの二頭が突進してきた。
勢いがつく前に、俺の方から前へ出る。
猪を正面から受けるな。普通の猪でもそうだ。
痛みを恐れないほど腐ったロットの猪なら、なおさらだった。
一頭目はまっすぐ来た。
俺は横へずれ、前脚へ短鉈を叩き込み、三本脚になった獣をそのまま脇へ流した。
そいつは木に激突し、枝から松葉が揺れ落ちるほどの音を立てた。
二頭目は大きく回り込み、横から俺を牙で抉ろうとした。
俺は背後の根を跳び越え、一段高い地面へ着地し、すれ違いざまに背骨と肩のあいだへナイフを突き下ろした。
刃が食い込む。腕を持っていかれるよりはましだ。
俺は手を離した。
三頭目は、少し賢かった。
アリステルを狙った。
アリステルは、すでに動いていた。軽く、速く、優美に。
猪を相手にするには、優美すぎる動きだった。
それでも、肝心なことは理解している。
突進をまともに受けてはいけない。
泥に靴底を食い込ませ、外套を背後で翻しながら、彼女はぎりぎりのところで身をかわした。
レイピアが二度、閃く。
一度は目へ。
もう一度は、顎の下の柔らかい場所へ。
猪が悲鳴を上げ、身体を捻った。それでも肩が、彼女の腰へ叩きつけられる。
アリステルは濡れた根に足を取られ、激しく倒れた。
俺は悪態をつき、二頭目の死骸からナイフを引き抜いて駆け出した。
一頭目が立ち直り、こちらへ向き直っている。
アリステルは三頭目の巨体に半ば押し込まれていた。片手を泥につき、もう片方の手でレイピアを押し上げようとしている。
牙が腹へ届く前に。俺は死角から飛び込み、短鉈を頭蓋の付け根へ深く叩き込んだ。
猪が痙攣する。
死んではいない。まだ暴れている。
崩れ落ちてくる重みを避けようと、アリステルが身体を捻った。
借りた外套が木の根に引っかかる。
彼女は、逃げる代わりに俺の方へ滑り込んできた。
俺の膝が泥につく。
空いた手が、彼女の腰を受け止めた。
彼女の身体が俺にぶつかる。
間の悪い時に限って、記憶に残るべきではない柔らかさがやけにはっきりしていた。
彼女を押し離す前に、その角度のせいで、胸が俺の肋骨へ強く押しつけられる。
ほんの一瞬。
本当に最小限の一瞬だけ、俺たちは固まった。
次の瞬間、猪が蹴った。
牙が彼女のいた場所を裂く直前、俺はアリステルを引き寄せた。
二人まとめて松葉と泥の上を転がり、俺の背中が切り株にぶつかる。
その上に、アリステルが半ば覆いかぶさるように倒れ込んできた。
息を切らし、怒りに震え、そして、妙に温かい。
「どけ」
「あなたが抱えているのですわ」
残念ながら、その通りだった。
片腕は本能で彼女の腰に回っている。
もう片方の手は、品位が許すには少し高い場所にあった。
俺はすぐに手を離した。
「どうせ大して見るものもなかったがな」
小さく呟く。
泥と雨の下で、アリステルの顔が真っ赤になった。
「今、何と?」
「思ったことを全部言わなかっただけだ」
一頭目の猪が、こちらへ向き直る。
その瞬間、妙な空気はきれいに死んだ。
アリステルは俺の上から身を押しのけ、片膝をついて立て直した。
今度、獣が突進してきた時、彼女はそれとフェンシングをしようとはしなかった。
相手に踏み込ませた。
自分の重さで逃げ場をなくすまで待った。
そして両手で握ったレイピアを、開いた口から喉の奥へ突き込んだ。
猪は一歩進んだところで崩れ落ちた。
森に静けさが戻る。
アリステルはしばらくその場にいた。荒く息をしながら、目の前で湯気を上げる崩れた猪を見ている。
「さて」
まだ少し息を切らしながら、彼女は言った。
「感謝に打ち震えて、声も出ないという顔はなさらないのですか」
俺は死骸からナイフを引き抜き、皮で一度拭った。
「覚えは早いな。そろそろ、そのレイピアは飾りかと思い始めていた」
彼女の耳がすぐにぴくりと動いた。
「ふん。あなたの教えに合うほど野蛮な相手が、ようやく出てきただけですわ」
「あの猪の方が、俺が仕えた貴族の大半より礼儀を知っていたぞ」
彼女は背筋を伸ばし、顎を上げた。
「でしたら、その基準があなたの立場を説明しているのでしょうね」
俺は鼻を鳴らした。
「かもな。それでも」
死んだ獣へ顎をしゃくる。
「いい一撃だった」
彼女の尾が、背後で小さく、裏切るように揺れた。
「聞いてはおりましたから」
認めるのが癪だと言わんばかりだった。
「気をつけろ。そんなことを続けると、俺の中の君の評価が台無しになる」
神殿は道の頂にあった。
少なくとも、かつて神殿だったものは。
外門は何年も前に内側へ崩れ落ちていた。石段に並んでいた石狐は、どれも首を失っている。古い暁の紋には、緑の血管のように苔が這っていた。供物を洗い清めるための水盤には、割れ目の中に雨水が溜まっている。
そして、そこらじゅうに、ここへ必死に辿り着いた者たちの痕跡があった。
寝具。
割れた杯。
子供の靴。
アリステルの足が遅くなった。
彼女がもう一歩踏み出す前に、俺は片腕を横へ出して道を塞いだ。
耳がぴくりと動く。
「今度は何ですの?」
俺はすぐには答えなかった。
神殿の石段に乾いて残った引きずり跡を見ていた。
雨ざらしの中で遺体が横たわっていた黒い染みを見ていた。
内陣近くの木に刻まれた爪痕を見ていた。
中に何が待っているかは、わかっていた。
聖地へ辿り着くのが遅すぎた者たち。
肺が持つより長く祈り続けた者たち。
正しく乞えば、神がまだ熱病に勝ってくれるかもしれないと思って死んだ者たち。
「ここで待っていろ」
彼女の目が即座に細くなった。
「お断りします」
尾が背後で一度、鋭く跳ねる。
「この神殿こそ、私がここへ来た理由ですわ」
「なら、おめでとう。見つけたな。ここにいろ」
彼女の顎が固くなる。
「あなたが決めることではありません」
「俺が先に入るなら、俺が決める」
彼女の耳が伏せられた。
「雇われたことと、命令できることを取り違えていらっしゃいますわ」
「君は望むことと、それを受け止める準備があることを取り違えている」
彼女は一歩近づいた。
「私を壁の陰に隠しておく壊れ物のように扱わないでくださいまし」
俺は階段に残った黒い染みへ顎をしゃくった。
「壊れ物かどうかの話じゃない、姫さん。中に何が待っているのか、君がわかっているかどうかの話だ」
「違いますわ」
彼女の目に怒りが走った。
「私には耐えられないと、あなたが勝手に決めているだけです」
「私は子供ではありません」
「そうだな。だから木に縛る代わりに頼んでいる。君は家を救う何かを求めて来たのであって、この場所をこれから五年も頭の中に抱えて生きるために来たんじゃない」
彼女の唇が開いた。
俺は立て直す隙を与えなかった。
「君が欲しがっていたのは神殿だ。なら、そこにまだ祈る価値のあるものが残っているか、俺に先に見させろ。君の問題になる前にな」
彼女の耳が、さらに強く伏せられる。
口を開いた。
閉じた。
それから、何かが痛いところに触れた時の、あの脆い貴族らしい静けさに戻った。
「あなたが戻らなければ」
声はひどく平坦だった。
「私が追います」
「頼むから、俺が死ぬまで待ってくれ」
俺は一人で石段を上った。
本殿の扉は半ば開いていた。
短鉈の先で押し広げ、静けさの中へ足を踏み入れる。
臭いがない。
それがおかしかった。
死者はここにいる。いるはずだ。
山全体が、集団墓地へ続く道みたいな臭いをしていた。
それなのに、この堂の中だけは清浄に感じた。
新しいわけではない。古い信徒が語るような、温かい神聖さでもない。
むしろ、空気からロットだけを舐め取って、骨だけ残したような感覚だった。
祭壇の前に、二つの人影が跪いていた。
一人は腐った旅外套をまとった男。
病に半分ほど肉を削られてなお、肩幅は広い。
もう一人は老女で、祈りの珠の上へ深く身を折り、眠っているようにも見えた。
薄明かりの中で、一瞬だけ、生きているように見えた。
ただ跪いている。
ただ待っている。
あと一つ祈りが届けば、自分の足で立ち上がるかのように。その時、老女の指が珠の上でぴくりと動いた。
男の頭が首の上で横へ転がる。緩すぎる。曲がりすぎている。
二人は同じ死人じみた青い目で、こちらを向いた。
先に男へ向かった。
速く。
静かに。
顎の下へナイフ。
胸へ肩。
背骨へ体重。
男は大した抵抗もなく崩れた。
次に老女が来た。
濡れた音を立てて片膝を床板に引きずりながら、こちらへ手を伸ばす。指の下で、祈りの珠が一つずつ切れていった。
あれは、別の意味でたちが悪かった。危険だからではない。
誰かの最後の望みが跪いたまま死んだ姿に、まだ見えたからだ。
俺は彼女の首の後ろを掴み、何を願っていたのか深く考える前に終わらせた。
その後に残った静けさは、空っぽではなかった。
俺は十分な数の廃墟を見てきた。ただ捨てられた場所と、息を潜めている場所の違いくらいは知っている。
ここは後者だった。
ナイフを拭った。
待った。
祭壇の向こう、奥の影に目が慣れるのを待つ。
何も動かない。だが、死んだ神殿にしては空気の匂いがおかしかった。ロットではない。黴でもない。かすかに温かい何か。
俺はしゃがみ込み、祭壇の足元近くの床板に二本の指を当てた。温かい。
「遅かったわね」
背後から、声がした。




