絵に描いた餅
敵艦隊を視界に収めた戦艦群は、ただちに搭載する着弾観測機へ発艦を命じた。
一四式三号水上偵察機が、カタパルトの火薬煙を引いて次々と空へ射ち出される。
着弾観測機があれば、主砲射撃の命中率は飛躍的に向上する。
そして敵もまた、同じことをしていた。
味方の観測機が敵艦隊上空へ向かうと同時に、敵の観測機もこちらへ飛んでくる。
長門に搭載されている九〇式二号水上偵察機はアメリカが飛ばしてきたヴォートO2Uコルセア観測機とそっくりだ。
中島飛行機がアメリカのヴォート社からライセンスを買ってヴォートO2Uコルセアを国産化した機体だからだ。
敵は観測機同士の空戦を挑んできたが、こちらには直衛戦闘機隊がいる。
青空の高みで、三式艦上戦闘機とヴォートO2Uコルセア観測機が絡み合う。
海戦の上空で、まず最初の殺し合いが始まった。
長門の砲術長が叫ぶ。
「最大射程三万メートルに入りました!」
連合艦隊司令長官・小林躋造大将は即座に命じた。
「撃ち方始め!」
まず火を噴いたのは、四十センチ砲を持つ長門と陸奥だった。
艦首一番、二番砲塔の砲口から奔流のような焔が噴き上がった。
雷鳴のような轟音が海上を走り、主砲斉射の衝撃で艦橋のガラスがビリビリと震えた。
ほぼ正面への砲撃で艦首から艦橋の上へ向かって張られている空中線がちぎれ飛び、砲塔の上に落下した。
砲口から吐き出された巨弾は、水平線の彼方へ飛んで行く。
57秒後、ストップウォッチを手に時間を計っていた下士官が叫んだ。
「弾着!」
敵艦の周囲に水柱が乱立した。
他の戦艦はまだ射程に入っていない。
それでも砲撃は始まった。
この時代の日本海軍は、敵をアウトレンジする遠距離砲戦に傾倒していた。
そして、その思想を『未来からの贈り物』が後押ししていると信じ込んでいた。
長門の砲術長には、昇進したばかりの黛治夫少佐が、序列を飛び越えて抜擢されていた。
『未来からの贈り物』に記されていた「日本戦艦の遠距離砲撃命中率は米軍の三倍」という、いわゆる黛理論の提唱者としての抜擢だった。
もっとも、現時点の黛少佐は、そんな理論を考えたことすらない。
だが彼は、未来の自分が残したことになっている業績に酔っていた。
本来なら軍機である『未来からの贈り物』は、少佐程度に閲覧を許されるものではない。
しかし海軍最高の砲術屋と期待され、特別扱いされていた。
軍衣の内ポケットには、『砲術艦長 黛治夫 海軍常識を覆した鬼才の生涯』という、自分を讃える本まで忍ばせていた。
アメリカ海軍の二万メートルでの命中率は六・五パーセント。
皇軍は約二十パーセント。
ならば三万メートルから撃ち始め、二万メートルまで詰めれば、自艦の損害を抑えつつ敵艦を沈められる。
そう、彼らは楽観していた。
だが現実は、あまりにも冷たかった。
十斉射。
命中弾なし。
二十斉射。
なお命中弾なし。
二十六斉射目。
距離が二万五千メートルまで詰まったところで、ようやく一発が敵艦に突き刺さった。
そのたった一発に小林大将が機嫌を良くしかけた矢先、悲報が飛び込んだ。
「霧島被弾!」
「霧島、火災発生!」
「霧島より信号、『艦内大破、操舵不能』!」
遠距離砲戦では、砲弾は甲板を貫くように上から降ってくる。
ビッグセブン三隻の四十センチ砲に対して、金剛級の水平防御はあまりにも薄かった。
霧島は有効打を与えぬまま、巨大な火焔と黒煙に包まれ、戦列から落ちていった。
黛少佐は怒鳴った。
「着弾観測機からの入電はまだか!」
「ありません!」
敵艦上空を旋回する着弾観測機は、たしかに電信を打ち続けていた。
味方戦艦との距離は直線で三十キロ足らず。互いが見える距離だ。
それでも届かない。
理由は単純だった。
長門の空中線アンテナが、主砲連射の衝撃で破断していたのである。
三年後なら、演習で洗い出され、対策も済んでいたはずの欠陥だった。
だが今は、何が起きたのかすら即座には分からない。
戦闘機隊が敵観測機を撃ち落とし、上空の主導権を握っているのに、その優位を砲戦へつなげられなかった。
その間にも海面は荒れ狂っていた。
双方の主砲弾が海を穿ち、二十メートルを超える水柱が白い壁のように立つ。
巨弾が外れるたび、海面は爆ぜ、鋼鉄の艦腹を震わせる衝撃波が水を伝って叩きつけてくる。
砲煙、火薬の臭い、焼けた潤滑油の匂い、飛び散る鉄片。
海戦はもはや鋼鉄と火薬の嵐だった。
そこへ、水雷戦隊が突入した。
旧式の二等駆逐艦は遠洋に不向きなため、後方任務に置いてきたが、日本海軍は保有する一等駆逐艦六十七隻を全て投入した。
軽巡洋艦も夕張を除く十六隻を投入する総力戦となった。
対するアメリカ軍は、第一次世界大戦期に大量建造された旧式駆逐艦を270隻も保有していたが、各地に分散しており、決戦に集められたのは七十隻あまり。
数の上では大差なかった。
敵駆逐艦群と砲火を交えると、水雷戦隊旗艦となる軽巡洋艦同士の砲戦では、大正期建造の旧式軽巡が不利だった。
だが、二十一隻を占める吹雪型駆逐艦の個艦性能は圧倒的だった。
敵は、四本煙突のクレムソン級。
こちらは、双連装砲塔と三連装発射管を備えた吹雪型。
水雷戦隊の指揮艦が叫ぶ。
「煙突が四本ある艦は全部敵だ! 撃ち方、始め!」
砲声が一斉に重なった。
吹雪型の一二・七センチ砲が火を噴き、薄い鋼板しか持たぬ敵駆逐艦の艦橋を、機関室を、艦首を叩き潰していく。
命中のたびに敵艦の上部構造物が裂け、炎と破片が吹き上がった。
旧式軽巡はその前へ身を差し出し、吹雪型を守る盾となった。
若い駆逐艦を生かすため、老いた軽巡が砲火を引き受けて沈んでいく。
やがて突破口が開いた。
水雷戦隊が雷撃距離へ食い込む。
「魚雷、発射!」
吹雪型駆逐艦の艦腹から、三連装発射管三基、合計九本の魚雷が海へ滑り落ちる。
二十一隻あわせて百八十九本。
白い航跡が扇形に広がり、敵戦艦群へ向かって奔る。
その光景は壮観だった。
海そのものが牙を剥いて敵へ噛みつこうとしているように見えた。
だが――当たらない。
小林大将は、水雷の走り方に違和感を覚えた。
水雷参謀が、顔色を変えて叫ぶ。
「奴ら、酸素魚雷のつもりで撃っています!」
酸素魚雷、それはまだ配備されていない未来の兵器だった。
いま搭載しているのは、大正期に採用された八年式六一センチ魚雷である。
本来の歴史なら量産・配備が始まるはずだった九〇式魚雷は、さらに先の次世代兵器を優先した結果、生産を止められ艦隊に届いていなかった。
それなのに、先に「水雷方位盤」の目盛りを未来兵器用に改め、現物のない兵器を前提に一年も前から訓練を続けていた。
魚雷の速力が早ければ、偏差角は小さくなる。
遅ければ、大きくなる。
酸素魚雷用の目盛りで照準すれば、結果として魚雷は敵艦の後方を通り過ぎる。
百八十九本もの魚雷が、戦艦の艦尾をかすめ、虚しく海へ消えていった。
『未来からの贈り物』に図面があるから、開発上の問題はすぐに解決した。
量産もすぐに始まる。
そう信じていた。
水雷参謀は、呆然とつぶやいた。
「艦隊決戦が、来年なら……命中したはずだ……」
水雷出身の参謀は絶望し、艦橋の床に膝をついた。
だが、その一方で戦果を挙げた艦もあった。
敵重巡へ三本の魚雷を叩き込んだのは、五三センチ魚雷しか搭載できない旧式の神風型駆逐艦だった。
連装発射管三基六本のうち三本命中。
理想的な命中率だった。
先走った改変は失敗し、旧式のまま残されたものが戦果を上げた。
その皮肉に、小林大将はようやく気づく。
「自分たちは……絵に描いた餅を見て、美味い、美味いと喜んでいたのだな」
「あと三年……せめて三年後なら……」
口から漏れたその言葉は、もはや戦術論ではなく、泣き言だった。
開戦から三時間以上が過ぎた。
長門の主砲は、すでに八十斉射を超えている。
砲身は焼け、装薬の臭気が砲塔内にこもり、砲員たちの顔は煤と汗で真っ黒だった。
それでも命中弾は、あまりにも少ない。
敵戦艦の砲弾が長門の一番砲塔付近に命中した。
だが、装甲を撃ち抜くほどの威力は無く、前部兵員室を破壊しただけだった。
戦闘配置についているため、兵員室には誰も居なかったが、帰りの航海で寝る場所の無い兵士が大量に出ることになる。
一方、日本の重巡洋艦群は奮戦していた。
衣笠、加古、羽黒、高雄、愛宕、摩耶、鳥海の七隻は、敵水雷戦隊へ猛烈な砲火を浴びせた。
二十センチ砲の斉射を受けたオマハ級軽巡とクレムソン級駆逐艦は、次々と炎上し、折れ、沈んでいく。
艦首を吹き飛ばされた艦が海へ突き立ち、弾薬庫を抜かれた艦が橙色の火球となって裂け、逃げ遅れた乗員が黒煙の下で海へ飛び込む。
敵水雷線は、幾度も崩れた。
それでも、辛うじて雷撃位置へたどり着いたクレムソン級の一隻が、古鷹へ放った魚雷を命中させた。
鈍い衝撃音の直後、艦腹が内側から破れたように盛り上がり、古鷹は大きく傾く。
近代化改装前の単装砲六門のまま、古鷹は濃い重油の帯を引いて沈んでいった。
駆逐艦の中には、すでに全魚雷を撃ち尽くし、主砲弾薬まで使い切った艦も出始めていた。
無為に戦場を走り回るわけにもいかず、離脱していく。
敵味方とも激しく回避を繰り返し、陣形はとうに崩壊していた。
もはや戦列はなく、乱戦と化していた。
その只中で、小林大将はようやく悟った。
いまの黛少佐は、まだ戦艦砲術長にふさわしい経験を積んでいない。
未来の名声だけを見て抜擢するには、早すぎたのだ。
しかも前提そのものが間違っていた。
黛理論だと信じたものは、本人が戦後まで抱え込んだ机上の空論を、そのまま書き散らした本にすぎなかった。
彼らは未来の情報を、無謬の聖典のように扱っていた。
その報いが、いま海の上で形となっていた。
やがて、砲術長が泣きそうな顔で叫ぶ。
「砲弾がありません!」
長門は撃ち尽くしていた。
全弾を吐き出して、命中はわずか四発。
遠距離から激しく運動する艦同士の砲戦など、現実の命中率は残酷なほど低い。
のちに集計された統計では、平均一・六パーセント。
とりわけ長門は、経験不足の砲術長を抱えたことで、その数字をさらに悪化させていた。
小林大将は、ようやく現実を言葉にした。
「比叡が一撃で敵艦を轟沈させ、しかも十四発も被弾した……あの印象が強すぎた」
「命中率を、過大評価していたのだ」
この戦争を引き起こした黒幕、スティムソン国務長官は、日本軍がこうなることを『未来からの贈り物』で知っていたからこそ開戦を急いだ。
日本がまだ何も準備できていない、何も新兵器を手にしていない、この時期に戦争を始めれば、アメリカの滅亡を防げる。
そう確信していた。
だが、その認識は甘かった。
何も準備できていないのは、アメリカも同じだった。
アメリカ海軍には第一次世界大戦の老兵みたいな軍艦が多すぎた。
アメリカの砲弾も魚雷も、同じように当たらない。
アメリカにはまだレーダーがない。
着弾観測機は日本の戦闘機隊に狩られていた。
こうして両艦隊は、砲弾も魚雷も撃ち尽くし、ついには引き上げる以外の選択肢を失った。
日本側の損害は、霧島、扶桑が沈没。
陸奥が大破。
金剛、榛名、伊勢が中破。
日向、長門、山城が小破。
重巡洋艦は保有する十二隻中十隻を投入。
敵巡洋艦が少なかったこともあり、期待以上の奮戦を見せ、多数の敵駆逐艦を葬って味方戦艦への雷撃を許さなかった。
古鷹が沈没。
衣笠、加古、羽黒、鳥海が中破。
高雄、愛宕、摩耶が小破。
軽巡洋艦十六隻は水雷戦隊旗艦として駆逐艦の盾となる役目は果たしたが、肝心の雷撃戦果は乏しい。
軽巡九隻沈没、七隻損傷。
終わってみれば、無傷の軽巡は一隻もなかった。
大正時代に建造された旧式艦には過酷な戦場だった。
駆逐艦も甚大な損害を被った。
十四隻沈没、三十二隻損傷。
一方、敵は艦載機の攻撃でペンシルベニアとアリゾナを失い、オクラホマが砲戦で沈没。
メリーランド、ミシシッピ、テネシーが大破。
アイダホ、コロラド、ウェストバージニアが中破。
ニューメキシコ、ネバダ、カリフォルニアが小破した。
カリフォルニアの損傷は乱戦のなかで軽巡神通と衝突したことによるもので、艦首を破損。
神通は、砲撃でも雷撃でもなく、戦艦の巨体に押し潰されるように沈んだ。
さらに、ペンサコーラ級重巡一隻とノーザンプトン級重巡一隻が沈没。
ノーザンプトン級重巡二隻が小破。
ノーザンプトン級を撃沈したのは、もっとも旧式の神風型駆逐艦、その一番艦・神風だった。
重巡オーガスタは、海戦前に戦闘機の体当たり攻撃で損傷し、後方へ退避していた。
オマハ級軽巡六隻は、日本の重巡との砲戦で全滅。
第一次大戦型の旧式駆逐艦も四十三隻が沈んだ。
大半は巡洋艦と駆逐艦の砲撃で撃沈され、日本戦艦群へ雷撃が届かなかった。
生き残った二十七隻も、帰路で損傷艦四隻が脱落し、自沈処分された。
もはや戦場に出るには旧式すぎた。
互いに満身創痍。
だが戦力差を考えれば、日本が勝ったと言ってよかった。
大本営は「太平洋決戦大勝利」と発表した。
敵艦隊は壊滅的損害を受け、敗走したと宣言した。
だが海の向こう、アメリカでは、別の意味で決着がつこうとしていた。
昭和七年十一月八日。
第37回アメリカ合衆国大統領選挙の投票日。
ハーバート・フーヴァーは惨敗し、フランクリン・ルーズベルトが新たな大統領に選ばれた。
「アメリカが滅びる」と叫び続けた者たちは、もはや誰にも相手にされなかった。
フーヴァーもスティムソンも、国民からも議会からも狂人扱いされ、戦死者の遺族や反戦団体から、血まみれの戦争屋として吊るし上げられた。
選挙から数日後、スティムソン元国務長官は、精神疾患を理由に隔離病棟へ送られた。
医師は、虚構と現実の区別がつかなくなった重度の妄想性精神障害と診断した。
彼が抱え込んでいた本は、主治医によってゴミ箱へ放り込まれた。
ただのフィクションだと思われたのである。
隔離病棟の檻の中で、スティムソンは叫び続けた。
「1941年になれば、九都市に核爆弾が落ちるんだ!」
「アメリカが滅びるんだ!」
「アメリカを救う、最初で最後のチャンスだったんだ……!」
本来の歴史であれば、陸軍長官として一千二百万の陸軍兵・航空兵を動員し、莫大な物資を戦場へ送り込み、日系人の強制収容と原子爆弾の管理にも関わるはずだったヘンリー・スティムソンは、精神病患者として隔離病棟の檻の中で人生を終えることになった。
ルーズベルト大統領は、日本の元帥殺害をフーヴァーとスティムソンという二人の狂人による凶行だと断じた。
世界恐慌も、戦争も、対日関係の破綻も、すべて前政権の責任へ押し込めた。
そしてただちに、日本に対し、元帥を殺した賠償金として一億ドルを支払うことで停戦が調印された。
国家予算四十九億ドルのアメリカにとっても、その額は常軌を逸した巨費だった。
だがルーズベルトは、それを「平和への出資」と呼び、すぐに取り戻せると豪語した。




