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選挙前の艦隊決戦

昭和七年八月十五日。

アメリカ大統領選挙は、すでに終盤戦へと差しかかっていた。


十一月八日の投票日まで、残された時間は少ない。

フーバー大統領は、なお勝利の幻を捨てきれずにいた。


この戦争で大勝利を収めさえすれば、支持率はひっくり返る。

失業者であふれた街も、暴落した株価も、民衆の怒号も、勝利の号外一枚で塗りつぶせる。

そう信じたかった。


だからこそ、十二隻の戦艦には従軍記者が乗せられていた。

敵艦が轟沈する瞬間を撮らせ、最短で各紙の一面を飾らせるためである。

水上偵察機にすらカメラが積み込まれ、撮影が厳命されていた。


必要なのは、いくらでも誇張できる数字の戦果ではない。

戦果の「絵」だった。


そのころ。

日本へ向けて全速で太平洋を横断するアメリカ艦隊の上空に、赤城から発進した偵察機が飛来した。


「敵艦隊発見」

「戦艦十二」

「重巡洋艦四」

「軽巡洋艦六」

「駆逐艦七十」


その報は、日本側にとっても予想以上に早かった。

しかも敵艦隊は進路を隠そうとすらしていない。

最短距離をとり、堂々と日本へ突っ込んできていた。


傲慢だった。

政治的な焦りでもあった。

同時に、自分たちの勝利を微塵も疑っていない者の進軍でもあった。


第二艦隊司令長官・末次信正中将は、その報を聞いた瞬間、むしろ血が熱くなるのを感じた。

彼は「対英米七割論」の信奉者であり、軍縮条約反対を唱えてきた艦隊派の急先鋒である。


艦隊派と、長く対立してきた条約派の小林。

本来なら水と油の両者だった。

だが今、この局面にあっては、派閥争いにかまける余裕などどこにもなかった。


艦隊派が唱えてきた「対英米七割論」とは、要するにこういう理屈である。

七割の戦力があれば、戦術で覆せる。

だが六割では、どれだけ工夫しても勝てない。

ゆえに最低でも七割を確保しなければならない。


そして今、敵戦艦は十二隻。

こちらは九隻。

比率にして七・五割。

末次中将のような艦隊派にとって、それは「勝てる数字」だった。


だが、空母加賀の艦長・大西次郎大佐の胸中には、別の焦りが渦巻いていた。

加賀と赤城の三段飛行甲板。

いま目の前にあるその艦の姿が、すでに時代遅れの欠陥設計であることを、彼らは知ってしまっていた。

『未来からの贈り物』によって、それが完全な失敗だったと知っていたのである。

三年以内に未来式のアングルド・デッキへ改造するつもりで設計を終え、予算を確保して工事を進めるつもりだった。

だが、戦争はそんな未来を待ってはくれなかった。


いま必要なのは、まだ存在しない完成形ではない。

欠陥を抱えたままの、この空母で勝つことだった。

戦力差は戦艦三隻。

ならば、空母で敵戦艦三隻を沈めれば帳尻は合う。

理屈は単純だった。

問題は、敵にも空母がいるはずだ。

敵の空母も大型2と小型1で数の上では同じ。


偵察機からの報告を元に航空参謀が計算結果を報告した。

「敵までの距離245km」

雷装した一三式三号艦上攻撃機なら最大行動半径に近い距離だ。

九〇式艦上戦闘機が空戦を考慮して活動できる行動半径は180kmが限界だ。

それに、最新鋭機である九〇式艦上戦闘機と一三式三号艦上攻撃機は巡航速度が30km以上も違う。

早い戦闘機が遅い攻撃機に合わせれば燃費は悪化するから余計に条件が悪い。


敵はまだ遠い。

理想的な攻撃隊を送れる距離は160kmぐらいだ。

だが、接近を待てば先手を取られる。

そして、まだ起きていない未来のミッドウェー海戦を知ってしまっている者たちにとって、

「先手を取られる」という言葉は、それだけで悪夢のような響きを持っていた。


敵の空母は発見した艦隊よりも後ろにいるはずだ。

アウトレンジするためには最大行動半径での攻撃を決断するしかなかった。

三隻の空母は、発見した敵艦隊に向けて攻撃隊を送り出した。

「零戦さえあれば」誰もがそう思う。

しかし、その零戦はまだ試作機すら完成していなかった。


攻撃隊は、結局のところ、足の長い一三式艦上攻撃機に頼るしかなかった。

せめてもの救いは、未来からもたらされた図面をもとに実用化した九七式雷撃照準器である。

今は昭和七年。皇紀二五九二年。

本来なら五年後に採用されるはずの「九七式」が、すでに実戦に投入されている。

頼れるものは、その五年先取りした小さな照準器だけだった。


それでも加賀と赤城は、三段飛行甲板という欠陥設計のせいで、一度に発進させられる機数が限られていた。

全通飛行甲板なら、あと六機ずつは出せたはずだった。

未来を知っているせいで、現在の欠陥がいっそう惨めに見える。

高級将校たちは、どうにもならぬ現実に苛立っていた。


加賀から十二機。

赤城から十二機。

鳳翔から六機。

合計三十機の攻撃隊が、太平洋の空へ飛び立っていく。


そして、そのあとを追うように、加賀の下段飛行甲板から二機の九〇式艦上戦闘機が発艦した。

操縦するのは、生田乃木次中尉と坂井三郎三等航空兵曹だった。

大西大佐は、この二人ならたとえ燃料切れで海へ落ちても死なないと、どこか本気で信じていた。

『未来からの贈り物』にそう書かれていたわけではない。

ただ、戦後まで生き延びる男たちだと知ってしまったゆえの、根拠のない信仰だった。


だが、未来を知らぬ二人は、まったく別のことを考えていた。

大西大佐は、自分たちにこう言ったのだ。

「命と引き換えに攻撃隊を守れ」

「死んで汚名をすすげ」

そう、勝手に解釈していたのである。

彼らにとって、最新鋭機を与えられたことは、死に場所を与えられた事と同義だった。

二人は、そのことを誇りに思って感謝していた。


二時間後、無電が入った。


「ペンシルベニア級戦艦二隻大破、命中七」

「敵機の姿なし」

「敵空母発見できず」


艦隊司令部は、一瞬、熱狂に包まれた。

二隻の戦艦が、たとえ撃沈に至らずとも戦線を離脱すれば、それだけで天秤は大きく傾く。

しかも戦場は太平洋のど真ん中だ。自力航行ができなくなれば、曳航もままならず、最後には自沈処分するしかない。


続いて、別の無電が入る。

「戦闘機二機、重巡洋艦ニ体当タリ」


その文言の意味を理解した瞬間、司令部の空気が凍った。

最初から、帰りの燃料はなかった。

そして彼らは、未来において神風特攻が行われることを知ってしまっている。

戦うべき敵戦闘機がいなかった以上、燃料が尽きる前に、自ら敵艦へ体当たりしたのだ。

一人の参謀が、もはや悲鳴のように叫んだ。

「零戦さえあれば!」

だが、その名を口にしたところで、現実は変わらない。

存在しない戦闘機を求めても、何ひとつ手には入らない。

それでも彼らは、またしても「ないものねだり」を始めていた。

自分たちは、知ってはいけないことを知ってしまったのではないか。

そんな不穏な感覚が、司令部の隅々にまで広がっていった。


さらに一時間半後。

「機位ヲ喪失セリ」


航空参謀は、顔面から血の気が引くのを感じた。

何もない太平洋の真ん中へ長距離攻撃を仕掛けるなど、日本海軍にとって初めての経験だった。

海は広い。

空母は動いている。

目印は何も無い。

攻撃隊は母艦の位置を見失った。

参謀は、たまらず艦橋の壁を拳で叩いた。

「五年先なら、無線帰投方位測定機があったはずだ!」


未来に書かれていた戦術を、そのまま現在へ持ち込めると信じた。

だが、戦術だけ先に知っても、それを支える装備がなければ意味がない。

彼らは、その単純な現実を見落としていた。

やがて追い討ちのように、短い無電が届く。


「不時着ス」


攻撃隊は帰れなかった。

太平洋の上に不時着し、消えた。

偵察機も帰ってこない。


彼らには出発地点に戻ってくるだけの航法技術はあった。

ただ、その出発地点だった空母は動いている。

四時間もたてば100キロ以上も移動している。

何も無い洋上で帰投方位測定機なしに帰投するのは無理だった。


しかし、決戦直前に艦隊を裂いて捜索へ回すことはできなかった。

攻撃隊は全滅した。

攻撃機の半数を失った空母部隊は、第二次攻撃隊の発進をためらった。

まだ起きていないミッドウェー海戦の教訓から導き出せることは、直衛戦闘機を上げて連合艦隊を守ることくらいしかない。

だが、戦闘機の航続距離は短い。空戦で消費する燃料を計算すれば艦隊上空にいられるのはせいぜい二時間。

艦隊の後方で二時間おきに加賀、赤城、鳳翔の三隻からローテーションを組んで常時十二機の直衛戦闘機を維持するのは楽では無かった。


戦闘機隊が帰投すれば、二時間後に出撃するために整備と補給を全て終え、飛行甲板に整列させ発艦準備を整える。

発艦が終わればすぐに着艦収容。

また二時間後の出撃に備え、整備と燃料補給を繰り返す。

空母の乗員は休む暇が無かった。


帰投した戦闘機が着艦に失敗した。

空母加賀の特徴ともいうべき艦尾まで長く伸ばした煙突の煙で視界を失い、飛行甲板に激突した戦闘機が海に落ちていく。

戦っていないのに事故で失われてしまった。

この時代の彼らには直衛任務すら重荷だった。


日本海軍が警戒していた空母レキシントンとサラトガの所在は、なお不明のままだった。

だが、見つかるはずがない。

二隻とも、練習空母ラングレーとともにカリフォルニア州サンペドロ港にいたからである。

艦隊決戦を急げとの命令に間に合わないと判断され、そのまま置き去りにされていたのだ。

アメリカ海軍にはまだ、空母運用の思想そのものが育っていなかった。


やがて両艦隊は、互いの煙突から立ちのぼる黒煙を視認する距離に入った。

場所はミッドウェー島の西方千六百キロ、ウェーク島の北方五百キロ。

海図の上には点すら打たれぬ、何もない海のただ中である。


連合艦隊司令長官は、部下を叱咤した。


「Z旗あげ!」

「皇国ノ興廃此ノ一戦ニ在リ、各員一層奮励努力セヨ!」


日露戦争以来、海軍将校であれば誰もが魂に刻み込んでいる言葉だった。

彼らは全滅と引き換えに戦艦二隻を撃破した英霊に報いねばならなかった。

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