グラディスの叛乱
太平洋上。
航空巡洋艦メアリー・イーストマンは、濃い雲の下を進んでいた。
艦内には、異様な緊張が満ちていた。
乗員の九割は黒人だった。
彼らはアメリカのために戦っていた。
だが、アメリカは彼らを同じ人間として扱ってはいなかった。
作戦室にグラディス達を集めた白人の将校は、命令文を読み上げた。
「日本の首都を核攻撃せよ」
関東地方一帯へ、核弾頭搭載攻撃機を投入する。
皇居を中心とする帝都を破壊する。
横浜や筑波周辺の施設も同時に攻撃する。
すでに沖縄と台湾は航空巡洋艦ウィリアム・ギルモア・シムズによる核攻撃で壊滅していた。
航空巡洋艦メアリー・イーストマンの他にも同様の命令を受け、太平洋を進む船があった。
東北地方から北海道を攻撃する「ネリー・ノートン」
大阪を中心に関西地方を攻撃する「ソーントン・ストリングフェロー」
両者とも聖書を根拠に奴隷制を正当化する本を書いた人物の名前を与えられた船だった。
アメリカの大統領が命じた作戦は、船の名前になった人々が奴隷制度を正当化したように、日本人を虐殺することを正当化しようとしていた。
そのころ、ソビエトで4番目に人口の多い都市、スヴェルドロフスクは、エカテリンブルクとロシア帝国時代の名前に戻すと宣言し、スターリンに反旗を翻した。
スターリンは迷わず反逆者を都市ごと粛正した。
一度、核のボタンを押してしまったスターリンには慈悲も躊躇もなかった。
もはや、誰が敵なのか判断する思考力すら無かった。
ソビエトが核攻撃を受ける前に、ロンドンを初めとする主要都市を核攻撃した。
大英帝国の報復は瞬時に行われた。
モスクワ以外の軍が満足に機能していないソビエト軍の防空網は役に立たず、モスクワとレニングラードに核爆弾が投下された。
スターリンがどうなったのか、誰にもわからない。
跡形もなく破壊されたクレムリン宮殿は、そこに誰がいたのかすら分からなくなっていた。
さらに、ドイツ軍は弾道ミサイルでスエズ運河を破壊する為にエジプトまで核攻撃していた。
巻き添えで、エジプトのカイロにまで核爆弾が落ちた。
未来からの贈り物でイスラエルの存在を知ってしまったドイツ人は、エルサレムとテルアビブまで核攻撃した。
まだイスラエルが存在しない中東の人々は、なぜ自分達の都市が重要な攻撃目標にされたのか、何も知らないまま消え去った。
フランスも即座に報復に出た。
本土を破壊されても、植民地アルジェリアに待機させていた核兵器が残っていた。
それらが、ドイツ全土に降り注いだ。
ベルリンも、ミュンヘンも、フランクフルトも、核の炎で焼かれた。
核攻撃を命令したドイツ首脳部は、ベルリンの街ごと消えた。
日本も沖縄が核攻撃を受けると、大西洋と太平洋の両面に潜んでいた伊四〇〇型潜水艦によるアメリカ東西同時攻撃を命じた。
真珠湾に落ちた核爆弾は、一瞬でアメリカ太平洋艦隊を壊滅させた。
サンフランシスコからニューヨークまで、アメリカ沿岸部の主要都市が核の炎で焼かれた。
パナマ運河は、伊四〇〇型潜水艦の核攻撃でダムを破壊され、大量の水が激流となって港湾都市を押し流していた。
運河としての機能だけでなく、港湾部まで壊滅していた。
第二次世界大戦は、核兵器の撃ち合いになっていた。
世界中の都市が、核の炎で焼かれていく。
それは、「相互確証破壊」という言葉そのものだった。
全面核戦争が起きれば、世界は滅び、勝者は誰も残らない。
第二次世界大戦が核兵器の撃ち合いになれば、人類はすべての文明を失う。
第三次世界大戦は、棍棒と石で戦うことになる。
そんな未来が、今まさに訪れようとしていた。
人類は、最悪の愚行を行っていた。
世界を愚行が覆い尽くそうとする中で、航空巡洋艦メアリー・イーストマンは帝都東京へ向けて核攻撃機を発進させようとしていた。
帝都東京を攻撃するように命じられたグラディスは、自分の乗機が何なのか、その正体を知っていた。
未来から贈られたAIスマートグラスには、核兵器に関する情報も入っていたからだ。
そして、命令の本当の意味も理解していた。
帰還不能の自爆攻撃。
自分は、人間ではなく兵器の部品として使われる。
グラディスは飛行甲板で発艦準を整えている機体を見上げた。
銀色の機体には、何十万もの命を消す力が眠っている。
彼女は静かに拳を握った。
「私たちは、何のために生まれてきたの?」
周囲にいた黒人乗員たちは、その問いの意味を理解していた。
白人の国家に命じられ、黄色人種の都市を焼き、自分たちも死ぬ。
そんな未来を受け入れるために、自分達は生まれたのではない。
グラディスは裏切りを決意した。
艦の乗員の九割は黒人だった。
黒人たちは、決意をもって白人の乗員たちに銃口を向けた。
短い銃声。
怒号。
艦内放送の途切れる音。
そして、グラディスの声が艦内に響いた。
「この艦は、もう奴隷船ではない」
グラディス達は祖国アメリカを裏切ったのではない、自分達に祖国が存在しなかった事を理解しただけだった。
「私達には守るべき祖国も、滅ぼすべき敵もいない」
グラディスの言葉に黒人達は自分達が何だったのか理解した。
航空巡洋艦メアリー・イーストマンに命じられた関東地方への核攻撃は、一人の女性の英断によって回避された。
関東地方一帯へ降り注ぐはずだった三十発の核弾頭は、沈黙したままだった。
関東地方へ向かう洋上でメアリー・イーストマンは一隻の小型船と遭遇した。
日本海軍が哨戒の為に漁船を徴用した特設監視艇、第二十三日東丸だった。
敵艦に遭遇した第二十三日東丸の艇長、中村盛作兵曹長は死を覚悟して無電を打った。
全滅と引き換えに敵発見の情報をもたらすのが特設監視艇の任務だからだ。
特設監視艇に乗る14名が死を覚悟した瞬間、信じられない事が起きた。
目の前にいる巨大な軍艦が白旗をあげた。
特設監視艇からの続報を受けた海軍省は目を疑った。
「アメリカ海軍の航空巡洋艦を拿捕せり」
90トンしかない漁船が一万トンを超える軍艦を拿捕した。
何が起きたのか、日本海軍が理解出来るまでに時間が必要だった。




