魔法の稲と禁断の果実
東京オリンピックが終わった帝都は、異様な明るさに包まれていた。
銀座の灯は輝き、新聞売りの少年は欧州で起きている戦争の号外を配っていた。
第二次世界大戦が始まっているのに、日本人は誰もが幸せな栄光の未来を夢見ていた。
それは、第一次世界大戦の時のように、大正時代の戦争景気が再び訪れると夢を見ていたからだ。
今の日本はソビエトを経由してドイツへ送る物資の生産に忙しかった。
支払いはソビエトからあらゆる資源が流れてきた。
街には二八蕎麦の看板を上げた安い立ち食い蕎麦屋が増えた。
蕎麦粉八割と小麦粉二割を使った安い蕎麦屋だ。
ソビエトから大量に入ってきた蕎麦と小麦粉を使っていた。
それは、本来ならソビエトの人民が蕎麦粥にして食べるはずの食料だった。
不味くて人間が食べられない物は家畜用飼料になった。
安い飼料を頼りに養鶏の副業に手を出す農家が増え、卵の値段が安くなった。
立ち食い蕎麦屋では蕎麦に卵を落とした月見蕎麦が人気メニューになっていた。
ソビエト人民の苦しみを知らない日本人は、安全な場所から大儲けできると信じて、戦争景気に沸いていた。
そして、今の中国は、複数の勢力に分裂した混乱状態にある。そのうちの一つが、日本と停戦した。
日本と停戦条約を結んだ中国軍の将軍が帝都を訪れる。
特別列車に乗った聶栄臻将軍が到着すると、東京駅の前には国賓待遇でもてなすために儀仗隊が並び、馬車が出迎えた。
今回の帝都訪問の主題は、日中軍事同盟の締結だった。だが、それ以上に重要だったのは、互いが持っている『未来からの贈り物』を見せ合うことだった。
中国に届いた『未来からの贈り物』は、日本に届いたものとはまったく違っていた。
そこに記されていた未来では、開戦初日にアメリカの九都市が核攻撃を受けていた。アメリカは半壊するが、そこから立て直し、日本へ報復核攻撃を行い、無条件降伏へ追い込む。
さらに翌年には、ドイツとソビエトにも核攻撃を行った。
モスクワをはじめとするソビエトの主要都市は破壊された。
ドイツもベルリンをはじめとする主要都市をすべて失い、降伏交渉を行う相手すら存在しないまま放置された。
問題は、その後だった。
「一九四六年、核の冬が訪れた」
通訳がその言葉を読み上げた瞬間、会議室にいた者たちは一斉に黙り込んだ。
世界的な寒冷化と日照不足により、世界規模で食料生産が致命的な水準にまで低下した。
欧州では、ドイツに降り注いだ核爆弾の影響がフランスやポーランドに広がり、さらにスペインやウクライナの空まで覆い、食料生産が壊滅した。
その影響は欧州、日本、ロシアだけに留まらず、大西洋を越えてアメリカや南米にまで及んだ。
フランスやオランダは、アジア植民地から食料を輸入しようとした。だが、核の冬は赤道地域にまで影響を及ぼしていた。
日照量が回復するまでに十年を要し、その間に世界総人口の半分が、餓死と放射線障害によって死亡したという。
未来の記録は、核兵器を勝利の兵器ではなく、文明を殺す放射能という毒として記していた。
敵国に対する核攻撃に、アメリカは躊躇がなかった。日本の敗戦後も、アメリカは敵国への核攻撃を続け、ドイツやソビエトまで焼け野原にしたらしい。
アメリカが無差別核攻撃に走った原因は、アメリカが世界初の被爆国になったせいだと記されていた。
核兵器は、使ってはならない禁断の果実だったのか。
その記述を見て、日本人以上に衝撃を受けたのはドイツ人だった。
未来の世界でドイツが滅亡した原因は、アメリカによる無差別核攻撃だった。
仮説にすぎなかったドイツ滅亡は、確定した事実になった。
中国の将軍は、日本側に布袋を差し出した。
中には種籾が入っていた。
「これが、我々に届いた『未来からの贈り物』です」
普通の種籾ではない。
未来の世界で作られた「超級雑交水稲」と呼ばれる品種らしい。
日照不足の寒冷地でも育ち、塩害にも強く、稲作が不可能と思われる場所でも豊作を約束してくれる。袁隆平という中国の学者が作り上げた、魔法の稲だという。
将軍は静かに言った。
「我々は、国を焼く火よりも、民を食わせる米を選びたい」
その言葉に、日本側の将校たちは顔を見合わせた。
未来から届くものは、兵器だけではない。
日本には病から救う薬が届いていた。
中国には飢えを救うものが届いていた。
その事実は、彼らにとってあまりにも眩しかった。
この種籾を、日中友好の証として提供する。
その見返りとして、日本は抗生物質を提供した。
銃弾ではなく薬を。
爆弾ではなく米を。
少なくともこの瞬間だけは、未来からの贈り物は人類を救うものに見えた。
中国との関係は、急速に改善を見せ始めていた。
だが、地球の反対側で、世界は破滅に向かっていた。




