間に合わない富嶽
超大型爆撃機、富嶽の開発は難航していた。
『未来からの贈り物』をもとに、アメリカが開発するはずだったB-36を作る構想は単純明快だった。
だが、完全な与圧構造を作ることが難しかった。
高高度を長時間飛行するためには、機内を人間が生きられる環境に保たなければならない。だが、巨大な胴体を軽く、強く、気密性を保ったまま作る技術は、今の日本の航空産業には重すぎる課題だった。
それ以上に深刻だったのは、エンジンだった。
三千馬力を超える高性能エンジン。
それは、今まで誰も扱ったことのない巨大な精密機械だった。
それ以上に富嶽が巨大すぎて、三千馬力六基で一万八千馬力をもってしても足りない計算が出てきてしまった。
『未来からの贈り物』にはPratt & Whitney R-4360-41 空冷四重星形28気筒3500馬力と書かれている。
三千馬力ですら不足か、エンジンを8機に増やすべきかと悩み、挫折しそうになっていた。
富嶽は、未来の知識があっても簡単には飛ばなかった。
さらに軍を悩ませたのは、搭載すべき原爆が巨大すぎる事だった。
重量4.6トンに達する巨大な原爆を敵に投下する手段に困った。
伊400号潜水艦に搭載される晴嵐は、無理な要求が達成不可能だったので。
飛行機ではなく、ドイツと共同開発した誘導ロケット弾になっていた。
あまりに弾頭が重すぎて、全長15mにもおよぶ巨大なロケットにもかかわらず、最大射程が80kmしかない。
それでも、沿岸部の都市を攻撃するには十分だった。
なにより、帰還を考えなくて良いのが大きな利点だった。
ただ、伊400号潜水艦の問題は六千トンを超える巨大な潜水艦にもかかわらず、二発しか積めない。
一度撃てば日本本土まで戻らなければならない、反復攻撃など不可能だった。
そして、最大の問題は海岸線から遠い都市だった。
『未来からの贈り物』によれば、アメリカはB-29を改造した特別機を用意したらしい。
だが、日本にそのB-29はない。
富嶽も、まだ完成しない。
このままでは、原爆を投下できる爆撃機が間に合わない。
そう判断した陸軍は、性能が劣っても原爆を投下できる、ストップギャップとなる爆撃機の開発を命じた。
要求は単純だったが、開発期間は極端に短くされた。
無理難題を押しつけられた開発チームが目を付けたのは、もはや展示物同然の扱いを受けていた九二式重爆撃機だった。
ドイツのユンカース社が開発したユンカースG.38大型旅客機を、軍用機としてライセンス生産した機体である。
原型機は昭和四年に初飛行し、日本では昭和六年に試作一号機が完成した。だが、生産数はわずか六機で打ち切られた。
時代の過渡期に生まれ、すぐに旧式化した巨人機だった。
性能的には、あまりにも古い。
速度は遅く運動性能も悪い。
防御力も最新の戦闘機相手には裸同然だ。
だが、一つだけ他の機体にはない利点があった。
今すぐ、五トンの爆弾を積んで飛べる。
現在の陸軍にとって、その一点だけがすべてだった。
その一点だけで、旧式機の改造計画が動き出した。
やるべきことは単純明快だった。
四基の八百馬力エンジンを、大夢発動機製の一四五〇馬力エンジンへ換装する。
エンジンの強化に会わせ、機体の補強も行われた。
機体補強によって、自重は一トン以上も増えた、設計にかけられる時間が無かったからだ。
だが、エンジン四機の総出力が二千六百馬力も増えれば、十分に許容できた。
燃料タンクも防弾タンクへ交換された。
九二式重爆撃機の主翼は、もともと人が立って歩けると言われたほど厚みがある。
旧式ゆえの巨大な構造が利点になった。主翼の中に燃料タンクを増設する空間には困らなかった。
最大速度は、時速200キロから260キロへ向上。
航続距離は、2000キロから2800キロへ増大。
全備重量は25,488キロから、29,765キロにまで膨れ上がった。
数字だけ見れば高性能化したが、鈍重な機体であることに変わりはない。
だが、4.6トンもある原爆を運べる。
ハワイやアメリカ本土への攻撃は不可能だった。
だが、台湾から出撃すれば、フィリピンは十分に爆撃可能だった。
問題は、少しばかり性能を向上させたところで、最新鋭の敵戦闘機と遭遇すればひとたまりもないことだった。
鈍重な巨人機はただの的である。
だが、投下すべき爆弾はたった一発。
原爆なら、たった一発で十分だった。
護衛戦闘機を十分につければ、爆撃は可能である。
その任務に最適な、長大な航続距離を誇るゼロ戦がある。
そう判断され、六機しか存在しない九二式重爆撃機すべてに近代化改装が行われることになった。
台湾で近代化改装を受けた九二式重爆撃機が試験飛行を行っている頃。
フィリピンでは、ABDFP包囲網と呼ばれる大規模演習が行われていた。
America アメリカ
Britain イギリス
Dutch オランダ
France フランス
Philippines フィリピン
五つの勢力の頭文字を並べたものだ。
対日戦争を想定した五か国の連合艦隊がフィリピン近海で演習を行っていた。
フィリピンに海軍と呼べるほどの戦力はなかった。
だが、海岸では上陸戦を想定した演習が繰り返されていた。
最初の標的は沖縄だ。
沖縄を占領して台湾を孤立させる。
それから孤立した台湾を占領し、北上した艦隊は九州から四国へ進撃する。
最終的には瀬戸内海の支配を完了させてから、陸軍が本州を北上して東京を落とす。
兵士たちを地図の上で日本列島を北へ北へと進ませる、図上演習が行われていた。
アメリカ海軍が保有していた第一次世界大戦型の旧式駆逐艦は、高速輸送艦へ改造されていた。
もはや艦隊決戦の主役にはなれない老朽艦である。
だが、兵士を乗せて海岸へ突っ込ませる船としてなら、まだ使い道はあった。
それは、日本上陸の先兵となる精鋭部隊を運ぶための船だった。
一隻あたり、揚陸部隊百四十七名。
三十二隻の高速輸送艦があれば、四千七百名以上の兵士を一度に上陸させることができる。
戦艦が艦砲射撃を行い、敵陣地を吹き飛ばしてから、高速輸送艦が突入する。
兵士たちは縄梯子を降り、舟艇に移り、砂浜へ走る。
演習では、何度もその手順が繰り返された。
占領後の兵站を担う大型輸送船もアメリカから届いた物資を満載したまま、マニラの沖合に停泊していた。
さらに、来年度中にはアメリカから四十隻の新型高速輸送艦がフィリピンに届く予定だった。
そうすれば、一度に一万人の兵力を高速輸送できる。
アメリカの新しい対日戦略は、明確だった。
開戦初頭、フィリピンから出撃した艦隊が台湾と沖縄を占領する。
そこから北上を続け、九州や四国へ上陸作戦を展開する。
島伝いに日本の防衛線を食い破り、帝都へ直接刃を突きつける。
それが、ABDFP包囲網の狙いだった。
演習海域では、各国の軍艦が艦隊を組んでいた。
マニラの軍港では、ムタグチ元帥が新しくアジア艦隊に配備された軍艦を視察していた。
航空巡洋艦ウィリアム・ギルモア・シムズ
対日戦争の切り札となる、秘密兵器だった。
秘密兵器をアメリカ本土からフィリリピンへ持ち帰った大西瀧治郎は黒人の航空機パイロット達を手懐けていた。
君たちこそ、アメリカの英雄となるべき人間だと持ち上げていた。
多くの若者を神風特攻に送り出した大西の弁舌は、この世界では英語で黒人相手に振るわれていた。
ABDFP包囲網が日本へ迫る一方で、日本は台湾からフィリピンを焼く準備を進めていた。
双方が、相手より先に決定的な一撃を放とうとしていた。
太平洋の空は、まだ青かった。
だが、その青空の下で、すでに世界は戦争への秒読みを始めていた。




