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マンハッタン計画

 昭和十三年の年度初め、アメリカ合衆国は、かつてない繁栄のただなかにあった。

 街には自動車が溢れ、摩天楼の窓は夜ごと光を灯し、新聞各紙は景気回復を讃える見出しを競い合っていた。失業者の列は消えさった。

 人々は世界恐慌を過去の話だと思い始めていた。

 栄光の時代をもたらした指導者は、言うまでもなくフランクリン・ルーズベルトだった。

 彼は社会保障政策の旗印のもと、ソーシャル・セキュリティ・ナンバーを導入し、国民一人ひとりを番号によって国家の帳簿に記載した。生年月日でもなく、住所でもなく、家名でもない。数字こそが人間を最も正確に管理し、最も利益を生み出す。ルーズベルトは、その事実をよく理解していた。

 だが、大統領が本当に欲していたのは、単なる戸籍管理ではない。

 彼はさらに、国営金融公庫とも呼ぶべき巨大な制度を発足させ、誰もが使える後払い決済手段を全国民に配布した。名は簡潔で近代的だった。


「クレジットカード」


 国民に番号を与え、その番号を預金、給与、納税、信用情報にまで紐づける。人間の生活そのものを金融の回路に流し込み、国家がその流を支配する。

 誰がどれだけ金を動かせるのか。すべてが数字として蓄積されていく。

 制度としては華々しく、理念としては平等だった。誰もが同じ仕組みを使える。誰もが信用取引に参加できる。誰もが豊かさの入口に立てると、新しいアメリカンドリームを信じた。

 しかし、そのカードには、もう一つの仕掛けが埋め込まれていた。


リボルビング(revolving)クレジット(credit)


 その言葉の響きは、まるで新しい福音のようですらあった。その実態は未来人が編み出した高利貸しの技術に他ならない。

 一定額だけ返済すれば、残りは次月へと繰り延べられる。負担は軽く見える。支払いは柔らかく分散され、利用者の罪悪感も恐怖も薄まる。借金をしているという感覚そのものが、制度の中で滑らかに削り取られていく。利子は目立たず、しかし確実に積み上がる。

 減税によって国民の歓心を買い、その穴を、借金の利子という気づかれにくい形で吸い上げる。

 実に見事な発想だった。


 税であれば人は怒る。だが、便利さの代価としての利息には、驚くほど寛容になる。国家に金を取られることには反発しても、自分の欲望の結果として金を失うことには、妙に納得してしまうのだ。

 しかも、その制度はすでに国外にも広がりつつあった。アメリカの市場に接続された外国人たちが、消費の快楽と引き換えに、見えない鎖を自ら手首にはめていく。そこから生まれる利益は、事実上、国境を越えた徴税と変わらなかった。


 未来の世界で民間のカード会社が手にするはずだった莫大な収益は、この時代において、そっくりそのままアメリカ国庫へ流れ込んでいる。

 ルーズベルトは、未来からもたらされた知識のうち、何がもっとも国家を強くするかを理解していた。

 理念でもない。技術でもない。まず必要なのは、金だ。

 金は工場を動かし、船を造り、研究所を建て、人間を買う。国家が未来を前借りするためには、何よりも先に、その利子を支払わせる仕組みが必要だった。


 そして、その仕組みはすでに完成していた。

 集められた資金は、半壊状態に陥ったアメリカ海軍の再建へ優先的に注ぎ込まれていた。敗北と失策で傷んだ艦隊をよみがえらせるには、議会演説や愛国心では足りない。鋼材と燃料と工員の賃金、そして膨大な時間がいる。ルーズベルトは、そのすべてを、国家の新しい財布から支払っていた。

 だが、海軍の再建ですら前座に過ぎなかった。


 本当に彼が欲していたのは、一方的に圧勝できる超兵器だった。

 いや、もっと正確に言えば、戦争そのものの意味を変質させる兵器である。

 大統領は新たな極秘計画の立ち上げを命じた。

 表向きの名目は「マンハッタン再開発計画」

 だが、その実態を知る者は、政権中枢においてすら、ごくわずかだった。


「マンハッタン計画」


 目的はただ一つ、原子爆弾の製造。

 未来が証明している。世界を支配するのは、より正しい国家でも、より勇敢な民族でもない。最後により大きな火を持った者だけだ。そうであるなら、アメリカはその火を誰よりも先に握らねばならない。

 ところが、計画は開始直後から、異様なつまずきを見せた。

 報告書を抱えた補佐官が執務室へ入ってきたとき、ルーズベルト大統領は補佐官の顔色を見た瞬間に、尋常でない報せだと察した。

 補佐官は一瞬ためらい、それから沈痛な面持ちで新聞記事の切り抜きを差し出した。


「ロバート・オッペンハイマー博士が死亡していました」


 ルーズベルトは信じられない知らせに困惑した。

 記事の見出しは淡々とした、アメリカではよくある銃乱射事件だった。


「カリフォルニア工科大学で銃乱射事件」

「ロバート・オッペンハイマー助教授、二十発の銃弾を受け死亡」


 未来の世界で「原爆の父」と呼ばれるはずの男が無名のまま殺されていた。

 それだけではない。

 調べれば調べるほど、異様な符合が浮かび上がってきた。原爆開発に関与するはずの人物たちが暗殺されていた。

 まるで未来を知る何者かが、歴史の要石だけを正確に叩き割っているかのようだった。


 ルーズベルトは即座にFBIへ徹底捜査を命じた。だが、犯人が逮捕された時には大半が殺された後だった。

 犯人は『インターナショナル・ピース・ミッション』という宗教団体だった。

 主犯はファーザー・ディヴァインという黒人牧師だった。

 自らを神と称しする黒人牧師。新聞は彼を狂人として扱い、社交界は見世物として消費し、警察は胡散臭い新興宗教の一つとして半ば放置していた。だが、その実態は、単なる妄想的教祖では済まないものだった。

 押収された資料は、奇妙な熱狂と秩序を示していた。信者たちは「神の啓示」に従って動き、狙うべき人間をあらかじめ教えられていた。しかも標的は、政治家でも資本家でもない。将来、核開発に関わる者ばかりだった。


 ルーズベルトは証拠品の一覧を見て、背筋に冷たいものが走るのを感じた。

 そこには、この時代に存在するはずのない道具が含まれていたのである。

 建物の壁面や天井に映像を投影し、光と音で人々に超常的体験を与える機械。

 記録係は、その機械に刻まれた意味不明な文字をそのまま転記していた。


「プロジェクトマッピング」


 ただの黒人牧師を神へと祭り上げるには、十分すぎる装置だった。暗い礼拝堂に光の幻像を満たし、声を天から響かせ、建物全体を奇跡の舞台装置へ変える。そんなものを見せられれば、信者はたやすく現実感覚を失う。狂信は人間の愚かさだけではなく、技術によっても増幅できるのだ。


 ルーズベルトは椅子に深く身を沈め、しばし黙考した。

 自分以外にも『未来からの贈り物』を手にし、歴史を変えようとしている者がいる。

 しかもその狙いは、きわめて明白だった。


 アメリカに核兵器を持たせないこと。


 急がねばならない。

 敵がそこまで恐れる兵器ならば、それは必ず世界を支配する。

 他国より先に作る以外にない。

 マンハッタン計画は、人選の段階から暗礁に乗り上げていた。

 だが、意外な場所から、思いがけぬ人材が転がり込んできた。


 それは、亡命者だった。

 日本から政治亡命してきた一人の元軍人。名は牟田口廉也。

 彼が差し出したのは、一冊の本だった。外見こそ何の変哲もないが、その内容は常軌を逸していた。核兵器の理論、必要な資源のありか、製造設備まで欲しかった事が全て書かれていた。

 出所について問われると、牟田口は薄い笑みを浮かべた。


「海軍省から盗み出した『未来からの贈り物』です」


 その口調には裏切りの快感が滲んでいた。

 牟田口は自分を否定した国家に報復するつもりだった。牟田口の瞳には、そうした怨念が濃く沈んでいた。忠誠を否定された軍人は狂気の復讐者になっていた。


 牟田口はアメリカに『未来からの贈り物』を引き渡す見返りに、アメリカ軍の将軍の地位を要求してきた。

 だが、その要求は無理がありすぎた。

 アメリカ軍における人種差別は徹底している。日系アメリカ人の将軍は一人も居ない、他のアジア系も同じだ。アメリカでの軍歴が全くない日本人亡命者を、高級将校として優遇するなど軍組織が受け入れない。


 そこでルーズベルトが示したのはフィリピンだった。

 アメリカからの独立へ向けた過渡期に置かれたフィリピンは未だ植民地同然で、フィリピン軍は始まったばかりだ。

 そこへ、大統領の一存で将軍を追加することは簡単だ。

 経歴はいくらでも作れる、名前も変えればいい。


 こうして牟田口廉也は、アメリカで生まれ育ったフィリピン人という架空の身分を与えられた。

「フィリピン陸軍少将、レオナルド・レイエス・ムタグチ」


 ルーズベルトは、フィリピン陸軍で新設中の十個師団、どれでも好きな師団の師団長にしてやると安請け合いした。


 牟田口はもっと先を見ていた。

 フィリピン軍の軍事顧問にはダグラス・マッカーサー少将が就任している。

 そして、初代大統領マニュエル・ケソンが勝手にダグラス・マッカーサーをフィリピン陸軍元帥に任命しているはずだ。

 彼は日本とアメリカがやがて戦争に入る未来を知っている。そして、その戦争の果てに日本を支配する巨大な権力機構が生まれることまで知っていた。

 GHQの高官になって自分を粗末に扱った日本軍の将官どもを処刑してやる。

 牟田口は『未来からの贈り物』の一節を思い浮かべた。


「天皇より偉いマッカーサー元帥」


 牟田口は自分がそう呼ばれることを夢想していた。

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― 新着の感想 ―
凄く心強く感じる……なんでやろか?
牟田口廉也味方であれ敵であれろくでもないな。
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