空の魔王
昭和十一年も秋が暮れ、冬の気配が近づく頃。
二度目の敗戦によってフランスの支配下に置かれたベルリンの町は、重く、暗く沈んでいた。
軍需に関わる企業はもちろん、自動車やナイフの製造まで禁じられたドイツでは、大小さまざまな企業が解体された。
町には失業者があふれ、インフレは再燃し、犯罪者は際限なく増えている。
石油の輸入が止まったドイツは自動車が満足に走ることが出来ず、実りの秋に収穫された食料は流通不全で都会に届いていない。
冬に備えて暖を取るための石炭すら満足に届かない。
ベルリンの人々は暗黒の時代を迎えていた。
ベルリン駐在武官として日本からやって来た大西瀧治郎大佐は、進退きわまっていた。
まだ影も形もない神風特別攻撃隊の創始者になる男だと未来の話を持ち出され、兵法の外道に手を出した将校だと冷たい見られた。
挙げ句の果てには、水から石油が作れると豪語した詐欺師に引っかかり、始末書まで書かされていた。
このままでは先がない。
そう考えた大西瀧治郎大佐は、一か八かの人捜しに己の進退を賭けた。
ハンス=ウルリッヒ・ルーデルをスカウトする。
一人で一個師団を壊滅させた驚異的な戦果を叩き出す、空の魔王。
人類史上最強のパイロットを日本へ迎える。
だが、見つからない。
『未来からの贈り物』によれば、昭和十一年十二月四日、彼はドイツ空軍に士官候補生として入隊するはずだった。
ベルリン近郊のヴェルダー・アン・デア・ハーフェルにある空軍戦学校第三校にいるはずだ。
そう踏んでベルリンまで来たのだが、すでに手遅れだった。
空軍戦学校第三校はフランス軍工兵によって建物を爆破され、飛行機は焼き払われ、すべて灰燼に帰していた。
ドイツ空軍そのものが消滅してしまった以上、彼がどこにいるのか、手がかりは何ひとつなかった。
日本へ亡命している軍人の中に混ざっている可能性を考え、大使館の入国ビザを管理している書記官に尋ねても該当人物が日本へ行った記録は無かった。
入隊どころか、願書受付前にドイツが敗戦したせいで軍には入っていないのか?
軍に入れなかったのなら、失業者の一人として路頭に迷っている可能性が高い。
下手をすれば、浮浪者になっていてもおかしくない。
そもそも、いまベルリンにいるかどうかさえ怪しかった。
実家を訪ねることも考えた。
だが、ルーデルの父は福音派の牧師で教会を移動しているから、定住する家という物がない。
今どこに居るのか、何もつかめなかった。
大西大佐はベルリン駐在武官として赴任しているため外国在勤加俸がもらえる上に職務経費まで使える。
『未来からの贈り物』に入っていた六年後の写真をもとに似顔絵を描き、職務経費を投入して新聞広告を出した。
そして、日本から持ってきた全財産をつぎ込む決心をした。
日本大使館の名前で出された新聞広告はベルリン市民に夢と希望と混乱をもたらした。
「ハンス=ウルリッヒ・ルーデルを連れて来た者に、日本の十円金貨百枚を与える」
額面で千円と言っても、この当時の十円金貨はすでに通常の通貨ではなく、金の地金として額面の三倍近い価値がある。
海軍大佐にとっても年収を上回る破格の大金だ。
ベルリンで暮らす庶民には十年分以上の収入に匹敵する人間も珍しくない。
マルク紙幣は紙くず同然だ。
ハイパーインフレとは無関係に価値が保障される金貨となれば、その価値は額面の何倍にもなる。
ドイツ人にとって金貨なんて見かけなくなって久しい。
金貨百枚と聞いただけで人々の目の色が変わった。
夢のような大金が手に入る人捜しは狂気の渦と化した。
まだ二十歳の無名の青年に、なぜこれほどの賞金が懸けられたのか。理由もわからぬまま、ベルリンどころかドイツ全土でルーデル探しが始まった。
しばらくして、日本大使館にルーデルを引き立ててきた一団が現れた。
先頭に立つ、いかにも裏町の顔役らしい男は、ぐったりして動かないルーデルを子分たちに両脇から抱えさせていた。
男は悪びれもせず、顔を腫らした子分を顎でしゃくった。
「うちの若いのが、こいつに歯を折られましてね。治療代、上乗せしてもらえませんか」
つづいて、腕を吊った別の子分を押し出した。
「コイツは手の骨を折られたんで」
次々と怪我人を並べ立て、治療費を請求してくる。
ずうずうしいと思ったが、肝心のルーデルはぐったりしたまま動かない。
大西瀧治郎大佐は、猛烈に嫌な予感に襲われた。
全身が痣だらけだった。
頭からも血が流れている。
まさか……
「医者を呼べ!」
大西大佐は、完全にやり方を間違えていた。
高額の賞金を懸けられたルーデルをめぐって、ならず者どもが争奪戦を始めてしまったのだ。
一人で一個師団に匹敵する空の魔王は、喧嘩も強かった。
その辺のゴロつきが捕まえようとしても返り討ちに遭っていた。
だが、全周囲が敵になり、数十人がかりで囲まれ、鈍器から刃物まで持ち出されてはどうにもならなかった。
三日後、本来の歴史なら人類史上最強のパイロットとなるはずだったルーデルは、頭部への打撃による脳挫傷がもとで息を引き取った。
失意のまま日本へ帰国した大西瀧治郎大佐を待っていた辞令は、あまりにも容赦がなかった。
「予備役」
神風特別攻撃隊の創始者となるはずだった男は、失敗を重ねた末に、その軍人生命を終えた。




