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九五式重戦車

昭和十年二月

二ヶ月近い航海の末、原乙未生(はらとみお)中佐が率いる欧州派遣団はドイツに到着した。

さっそく、現地の新聞を買い集めた。

昭和九年年八月二日に八十六歳で亡くなったヒンデンブルク大統領の追悼記事が載っていた。

そして、新しい大統領を選ぶ選挙は予想外の候補が当選していた。


ルイ・フェルディナント・フォン・プロイセン大統領


ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世の嫡孫が大統領になっていた。


ヒットラーとヒンデンブルク大統領が亡くなり、新しいドイツの国家元首を決める選挙が始ってから大きな混乱が何度もあったらしい。

1933年3月ドイツ国会選挙で288議席を獲得したナチス党はヒットラー個人の人気に依存しすぎだった。

最大与党だったナチス党はヒットラーの死後にルドルフ・ヘス派とヨーゼフ・ゲッベルス派に分裂してしまい、国民の支持を得られなかった。

ヒンデンブルクの支持者と反ナチス派がドイツ皇帝ヴィルヘルム2世の嫡孫であるルイ・フェルディナント・フォン・プロイセンを大統領候補に持ち上げ、圧勝した。

ヒットラーの死で勢力減退を始めたナチス党はルイ・フェルディナント1世を支持するしか無かった。


そして、原乙未生中佐がドイツに到着して見た新聞の大見出しはドイツ皇帝の即位だった。

ルイ・フェルディナント1世がドイツ皇帝に即位した。

皇帝にはヒットラーのような絶大な権限が与えられ、皇帝の勅令をもって議会に優越する「全権委任法」が成立した。

皇帝の即位を持ってドイツ帝国の再建を宣言、ワイマール憲法は廃止されドイツ帝国憲法が公布された。


昭和十年三月十六日、皇帝の勅命によりドイツ帝国軍の再軍備が宣言された。

ヒットラーがいなくても、ドイツの再軍備はドイツ人の望みだった。


すぐに徴兵が再開され、今まで隠れていた空軍が堂々と姿を現した。


原中佐はホテルの一室で左派の新聞を読んでいた。

新聞には「民主主義から君主制への退化」と書かれていた。

原は新聞を畳み、窓の外を見た。

ドイツの空は高く、街路には新しい旗がはためいていた。

「退化」

なるほど、そう見えるのだろう。

だが彼には、それだけとも思えなかった。

ヒトラーが消えても、ドイツの民衆が求める物は少しも変わっていなかった。

原乙未生は、新聞を机に置いた。

「さて、高く売りつけに行くとするか」



 低く垂れこめた灰色の空の下、ドイツ軍試験場の泥濘を踏みしめ、巨大な戦車が唸りを上げた。

巨大な車体にも関わらず、軽戦車よりも軽快に走り回り、後を追いかけてきた一号戦車を引き離した。

一号戦車が登れない坂道を軽々と登っていく。

重量差は8倍以上、エンジン出力は12倍以上も違う。

ドイツ人が戦車の保有を禁じたヴェルサイユ条約の隙間を縫って開発した一号戦車はヨチヨチ歩きの赤子だった。


 長大な75ミリ砲はドイツ側が用意した厚さ80mmもある装甲板を簡単に打ちぬいた。

それも、ただの鉄板ではない、ドイツ冶金技術の粋を集めたクルップ鋼で出来た装甲板だった。

本来ならドイツ海軍の戦艦に使われるはずだった装甲板は穴を開けられてしまい、使い物にならなくなっていた。


 ドイツ軍の将校たちは、しばらく誰一人として口を開かなかった。

口を開けば、自分たちがどれほど遅れているかを認めることになる、そんな沈黙だった。

その沈黙を、原乙未生(はらとみお)中佐は愉快そうに眺めていた。

原中佐はドイツ派遣団の団長に選ばれた陸軍のエリートらしく、流れるようなドイツ語で聞き手に通訳の必要を一切感じさせなかった。

「いかがですかな、これが我が大日本帝国陸軍の誇る九五式重戦車であります」


自動車化部隊司令部の参謀長を務めるハインツ・グデーリアン大佐は聞き返した。

「……九五式、重戦車?」


「その通りです」

原は平然としていた。

微笑みすら浮かべている。

「我が国では、将来の機甲戦は戦車同士の戦闘が避けられぬと判断いたしました」

「ゆえに、装甲、火力、機動力を兼備した世界最強の重戦車を実用化しました」


未来のドイツ人が作った兵器を、自分の物だと言い張って自慢する姿は厚かましいにもほどがある。

だが、目の前で巨大な重戦車が動いている以上、虚勢である事は誰も見抜けなかった。

グデーリアン大佐はまだ信じれない顔で尋ねた。

「日本軍は、これをすでに制式化したと?」


「もちろんです」原は即答したが、大嘘だった。

まだ試作一両しか存在していない。

変速機もエンジンも複雑怪奇すぎて、量産の見通は全くない。

だが原は、そうした事情を微塵も顔に出なかった。

「大日本帝国陸軍は戦車同士の戦闘では遠距離から正面装甲を撃ち抜ける火力が必要になると考えております」


原はドイツ軍の対戦車砲を見ると『未来からの贈り物』に書かれていた借り物の言葉を述べた。

「重戦車相手に37ミリ対戦車砲などドアノッカー(Türklopfer)にしかなりません」


対戦車砲の開発に心血を注いできたラインメタル社の技術者は言葉を返せなかった。

客観的事実として、正面装甲はおろか、側面すら貫通出来ない。

ドイツ軍の兵士は戦場で戦車に出会えばノックする事しか出来ないのかと、絶望した。


ドイツ軍の機甲・自動車化部隊をどう編成し、どう運用するか。

諸兵科連合の実験編制を検討しているグデーリアン大佐は目の前に現れた戦車を見た瞬間、今まで積み上げてきた全てが崩れていくのを感じていた。


原の背後で、軍人のようで軍人ではない制服を着た男が車体によじ登っていた。

ドイツ軍ではなく、ナチス党の私兵組織とも言われる突撃隊の制服だった。

国家社会主義自動車軍団の長官を務めるアドルフ・ヒューンライン突撃隊大将は履帯幅を見て、転輪配置を見て、機関室上面を眺めた。

砲塔に上り、キューポラや照準器周辺を覗き込んだ。

その表情がみるみる険しくなる。

「視察装置の配置が……」


「何か問題でも?」原の問いにヒューンライン突撃隊大将は首を振った。


合理的すぎる、視界、指揮、搭乗員配置。

すべてが、戦車の中で人間がどう戦うかを理解している者の設計だった。

設計の背後に、膨大な試行錯誤があったとしか思えない。


「これは……本当に日本が作ったのか」


「その問いは、少々失礼ですな」

原に失礼を指摘されたヒューンライン突撃隊大将は言い訳みたいな事を言い出した。

「いや、そういう意味ではない」

「これは我々、アーリア人が夢見た姿だ、どうして日本人などに……」


原中佐はヒューンライン突撃隊大将が何を考えたのか見抜いた。

「我々、日本人はアーリア人に劣らない民族です」


ヒューンライン突撃隊大将は困惑しておかしな事を口走った。

「東方にもアーリア人がいたのか……」

その言葉に、周囲のドイツ軍人たちの顔色が変わった。

彼らはドイツ民族、アーリア人こそ世界で最も優れていると信じていた。

極東アジアに自分達に劣らないどころか、進んだ技術を持つ東方アーリア人がいた事に驚いていた。


原は内心で笑いながら、表情を崩さなかった。

彼は何でもないことのように言った。

「同盟国にはライセンス生産権をお譲りしてもよろしい」

今度は、はっきりとざわめきが起きた。

グーデリアン大佐は低い声で叫んだ。

「これを売ると?」


「ええ」


「貴国が誇る最新重戦車を?」


原は戦車の車体を軽く叩いた。

「我が国としても、友邦ドイツの工業力は高く評価しております」

「ドイツの工業力ならこの程度の戦車はいくらでも量産できるでしょう」


褒めているようで、どこまでも上から目線だった。

日本はドイツより進んでいる、開発出来なくても量産ぐらい出来るだろう。

そう言わんばかりだった。

ヒューンライン突撃隊大将が我慢できずに叫んだ。

「それではまるで、我々が日本の下請けではないか!」


「下請け?」原は片眉を上げた。

「違いますな。共存共栄のための分業です」

図々しい、あまりにも図々しい言葉だった。

だが、その場にいた誰も、真っ向から笑い飛ばせなかった。

笑うには、目の前の戦車が完成しすぎていた。

原はさらに追い打ちをかけた。


「お近づきの印に、見本を一両、お譲り致します」


グーデリアン大佐は思わず聞き返した。

「無償で?」


「ええ。無償で」


「……なぜだ」


原は即答した。

「簡単です、本物を見せたほうが、話が早いからです」


その場にいる全てのドイツ人が負けを認めた。

原はその顔を見て、心の中で勝利を確信した。

「もちろん、設計図もお付けします」


「設計図まで?」


「必要なら、技師も何人か派遣しましょう」

グーデリアン大佐は黙り込んだ。

民族の誇りと国家の威信が音を立てて崩れていく。

だが、それら全部を押しのけて、軍人として無視できない事実がひとつあった。


この戦車が欲しい。

それも、一刻も早く。

グーデリアン大佐が車体前面を見上げたまま、低く言った。

「原中佐殿」


「何でしょう」


「もしこれが量産されたなら、戦車戦の様相そのものが変わる」


「そのために作ったのです」原は淀みなく答えた。


グーデリアン大佐は唇を噛んだ。

この日本人中佐は、本気で次の戦争の形を語っている。

そして、目の前の鋼鉄の塊は、その言葉を全肯定している。

「信じたくない」

「日本が、これほど先へ行っているなど」


原中佐はそこで初めて、いかにも愉快そうに笑った。

「技術というものは、ときに地理を裏切ります」

「欧州が常に先とは限らない」


その言葉は、ドイツ側の胸に鋭く刺さった。

しばらくの沈黙の後、ドイツ陸軍の自動車化・機甲化を統括するオズヴァルト・ルッツ中将がようやく口を開いた。


「……条件を伺いましょう」


原中佐はゆっくりとうなずいた。

それは交渉開始の合図だった。

そして同時に、ドイツ側がこの九五式重戦車を、ただの東洋の奇貨ではなく、検討すべき現実の兵器として認めた瞬間でもあった。


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