技術者達の反乱
昭和十年一月。
新年の冷気がまだ廊下の隅に残る朝、海軍省の一室では、新型飛行機の開発をめぐる中間報告会が開かれていた。
出席者たちの顔色は、一様に冴えなかった。
それも当然だった。『未来からの贈り物』によって、海軍は本来より数年も先の兵器体系を前倒しで手に入れようとしている。だが、肝心の工業力も、技術の積み重ねも、その未来にはまだ到底追いついていない。
未来で「ゼロ戦」と呼ばれるはずの戦闘機を押しつけられた堀越二郎は、ついに首も覚悟で訴えた。
「ゼロ戦の開発は難航しております」
静まり返った会議室に、その一言は妙にはっきりと響いた。
九〇式艦上戦闘機は次世代機へ予算を振り向けるため、六十機で生産を打ち切られた。
本来の歴史なら、この年には九六式艦上戦闘機になるはずの試作機が姿を現すはずだった。だが、この世界では、未来の傑作機に取り憑かれた海軍が、そこへ至るまでの階段を自ら蹴り倒してしまっている。
中島飛行機は富嶽の開発に注力するために、九五式艦上戦闘機の開発を放棄した。
そして海軍は、昭和十四年四月に初飛行するはずだったゼロ戦を、昭和十年四月に飛ばそうとしている。
あと三ヶ月で試作機を完成なんて、どうやっても無理だった。
未来の資料に記されているのは、輝かしい完成形だけだ。
信じがたい航続力。驚異的な格闘性能。軽さと強さを両立した構造。
だが、そこへ至るまでに何を失敗し、何を捨て、何を積み上げたのか、肝心の過程が抜け落ちている。
海軍は結果だけを信じた。
そして今や、試作機すら形になっていないゼロ戦一択の状態へと自分を追い込んでいた。
それは、現時点で実用に足る艦上戦闘機が存在しない事を意味していた。
堀越に伴われてきた住友伸銅所の技術者が、資料を手に進み出た。
「開発を依頼された超々ジュラルミンですが、『未来からの贈り物』には、亜鉛五・六~六・一パーセント、マグネシウム二・一~二・五パーセント、銅一・二~一・六パーセント、シリコン、鉄、マンガン、チタン、クロム、その他の金属が〇・五パーセント未満、熱処理を行って製造されると記されております」
彼はそこで一度言葉を切り、乾いた唇を舐めた。
「ですが、それだけでは足りません。詳細が欠けております。熱処理といっても、温度、時間、冷却条件、その順序ひとつで結果は変わります」
「最適解にたどり着くには、まだ一年以上かかります」
「密度が二・八一〇グラム毎立方センチと書かれておりますが、現時点では数値が一致しません。今のままでは失敗の可能性が高いと判断し、やり直しております」
ゼロ戦は試作機どころか、製造するための材料すら開発が追いついていない。
未来の答えが記された紙束は、本来なら技術者を導くはずの灯火だった。
だが現実には、その紙束こそが彼らの足を引っぱっていた。
何も無ければ、手探りでも一歩ずつ前へ進める。
しかし、中途半端に未来の正解だけを見せられると、人はそこへ最短で飛びつこうとして、かえって足を踏み外す。
一式陸上攻撃機の開発を押しつけられた本庄季郎技師も、ついに堪えきれなくなったように口を開いた。
「未来の記録を、無謬の聖典のように扱うべきではありません」
会議室の空気が、その一言で凍りついた。
言ってはならないことを言った。
誰もがそう思った。
だが、本庄技師は退かなかった。
「要求性能を完全に満たすためには、最低でも離昇一八〇〇馬力を超える発動機が必要不可欠です」
「要求される性能は千馬力級発動機を四基積んだ四発機で達成すべき目標です」
「対抗機となるアメリカのB-17は四発機です、双発機で実現できる要求ではありません」
山本五十六を初めとする将官は嫌な顔をしたが、本庄はさらに畳みかけた。
「重火力の二十粍機関砲で敵を一撃のもとに倒す」
「その発想自体は理解できます。ですが、防御火力の本質は撃墜ではなく、敵の攻撃を失敗させ、自機を守ることにあるはずです」
彼は机に手をつき、力強く断言した。
「防御火力とは『一撃必殺』ではなく『連撃必倒』であるべきです」
ざわめきが走った。
「同じ投射重量なら、大きな弾を少数撃つより、小さい弾を多数浴びせる方が有効です。命中の機会が増え、敵の照準を乱し、攻撃を失敗させる。防御火力とは、そのためにこそあるべきです」
だが、反発は即座に起きた。
理由は単純で『未来からの贈り物』にそんなことは書かれていない。
未来の資料に記された兵装こそ正しい。
未来の戦果を挙げた機体こそ正義である。
そう信じる者たちにとって、本庄の主張は技術論ではなく、聖典への冒涜だった。
本庄は、とうとう言いたくなかった言葉まで口にした。
「無理を重ねたしわ寄せが、ワンショットライターと呼ばれるほど脆弱な防御力になったのではありませんか」
「簡単に火だるまになるのは、騎馬武者に裸で槍を持たせるような無茶をした結果です」
「防御火力が有効ではなかったと『未来からの贈り物』に記されています」
「一式陸攻は、馬と槍だけ豪華な裸の騎馬武者だったのではありませんか」
科学的な理屈を積み上げ、未来資料の読み方そのものに疑義を呈し、設計思想の誤りを説く。
本庄は、あくまで技術者として正面から訴えた。
だが、その言葉は会議を動かさなかった。
未来の成功例に酔った者たちは、すでに結果だけを信じている。
その途中にある無数の破綻を見ようとはしなかった。
航空兵力整備をめぐる中間報告会は実りのないまま終わった。
そして山本五十六は、飛行機屋から文句の山を突きつけられたまま、次の会合へ向かった。
今度は造船技官たちとの会議である。議題は敵航空機の攻撃に対する艦隊防空のあり方だった。
会議室へ入ると席がひとつ空いていた。
会議は藤本喜久雄少将の訃報から始まった。
「一月七日、逝去されました」
ざわめきが起きた『未来からの贈り物』には藤本の死が記されていた。
だが、その日付より二日早く、現実が先に裏切った。
「薬物の過剰摂取により亡くなられた、とのことです」
本来なら自宅で脳溢血により急逝するはずだった男が、別の形で死に至った。
自分の死を知ってしまったがゆえに、それを避けようとして異常行動に走ったせいだった。
死亡の数日前から様子がおかしかったという。
手当たり次第に薬を飲み、挙げ句に養命酒を一升あおったのが致命傷になったらしい。
医学の素人は薬とアルコールが致命的に相性が悪いことすら理解出来なかった。
死を回避しようとして、自分から死へ飛び込んだのだとすれば、それはあまりに皮肉な最期だった。
全員で黙祷を捧げた後、会議は再開された。
大和型戦艦の設計主任に抜擢された福田啓二造船大佐が自信満々に口を開いた。
「極めて有効な防空兵器を提案いたします」
「大英帝国海軍が将来生み出すCAMシップ、その発想を戦艦へ応用します」
出席者たちの視線が、一斉に福田へ集まった。
『未来からの贈り物』によれば、CAMシップとはカタパルト・エアクラフト・マーチャント・シップの略であり、戦闘機をカタパルトで打ち出す商船のことだった。
敵機来襲の際に戦闘機を緊急発進させ、燃料弾薬の続く限り交戦させる。着艦はできないが、近くに空母が居れば回収は可能だから必ず死ぬわけでは無い。
「敵機を打ち落とす最も有効な兵器は、対空火砲ではなく戦闘機です」
福田の声は自信に満ちあふれ、異様な説得力があった。
「大和型戦艦に、着弾観測機とは別にゼロ戦六機を搭載する格納庫を設ける。敵機が来襲した場合、これをカタパルトから連続射出し、防空にあたらせるのです」
「対空監視レーダーと組み合わせ、早期発見すれば十分に成立し得ると考えます」
航空戦艦は『未来からの贈り物』に書かれていた概念だった。
ギャンブルを愛し、勝負の機を見れば賭けに出る山本五十六は、その提案に強く惹かれた。
戦艦には対空砲を並べるより、戦闘機を積むべきだ、そんな空気が会議室を支配し始めた。
だが、そこから先は海軍の悪い癖が出た。
戦闘機が積めるなら、攻撃機も積めるのではないか。
六機では少ない、十六機に増やせ。半数は艦爆にしろ。
後部三番砲塔を撤去して航空機区画にすればよい。
いや、三連装砲塔を前方に三基集め、後部を飛行甲板にしてしまえ。
要求は次々に膨らみ、暴走し、際限なく肥大した。
何でもできる万能兵器を求める海軍の悪い癖が、あからさまに顔を出した。
会議は夢へ、夢を塗り重ねていく。
現実の重量も、容積も、配置も、そんなものは後回しだった。
万能兵器の幻影に酔いしれながら、誰もが自分だけの理想図を語る。
会議は踊るばかりで、何もまとまらなかった。
それでも最後には、用兵側が強引に結論めいたものを作った。
大和型戦艦はゼロ戦十二機と着弾観測機三機を搭載する。
だが、福田大佐は即座に異を唱えた。
「どこに十五機分の格納庫を設ける空間があるのですか」
六機ですら検討に検討を重ね、限界一杯まで詰め込んだ数字だったのに、適当に数字を増やされた福田大佐は怒りをあらわにしていたが、返ってきたのは無茶な発想だった。
「ゼロ戦を、縦横四メートルの細長い格納庫に入るよう折り畳めばよい」
「横三列で十二メートル、縦に四機並べて全長三十七メートル、それなら大和型戦艦の後部に収まる」
どんぶり勘定の皮算用だった。
伊四〇〇型潜水艦と晴嵐の存在を知ってしまった山本五十六は、飛行機とは工夫しだいで小さく畳めるものだと本気で考えていた。晴嵐3機をわずか10分で組み立てた話を信じて、畳まれた状態から簡単に連続射出できるものだと思い込んでいた。
やがて堀越二郎が呼び出され、戦艦搭載用のゼロ戦に折りたたみ機構を設けるよう命じられた。
堀越は怒る気力すら失いかけていた。
無理難題を投げつける方は未来の完成品だけを見ている。
だが、作る側は現在の工業力と材料と工作精度で、それを一つひとつ現実に変えなければならない。
ゼロ戦は、本当に実現できるのか。
堀越は、その根本から疑い始めていた。
まだ何も無い。
それなのに海軍は、その先にあるはずの未来の完成形だけを見て、そこへ一足飛びに辿り着けると思い込んでいる。
このままでは、海軍は未来の傑作機を夢見るあまり、現在の艦上戦闘機を失う。
理想ばかりを追い、現実に飛ばせる飛行機を一機も持たぬまま、開戦の日を迎えるのではないか。
その予感は、冬の廊下を吹き抜ける隙間風のように、堀越の背中を冷たく撫でていった。




