東郷元帥追悼供養
本来であれば、東郷元帥の葬儀には世界各国から弔問の使節が集うはずだった。
突然の戦死に、葬儀は慌ただしく執り行われ、外国からの客を迎える余裕など無かった、そこへアメリカが宣戦布告したので、日本へ向かっていた弔問の使節は引き返すしか無かった。
だからこそ、戦争が終わり、ようやく執り行われることになった今回の追悼供養には、各国の海軍軍人、外交官、使節がこぞって招かれた。
東郷元帥の追悼供養は大日本帝国を挙げての大式典となる。
それは東郷平八郎という一人の海軍軍人への弔意であると同時に、戦後秩序を量る外交の舞台でもあった。
そして、その場で最も居心地の悪い思いをすることになるのは、言うまでもなくアメリカ海軍だった。
東郷元帥を殺した張本人。
しかも謝罪どころか、その直後に宣戦布告した国である。
賠償金一億ドルを支払ったから許してほしい、そんな理屈が通る場ではなかった。
世界各国の軍人と外交官が厳粛な顔つきで列席するなかで、金の話など持ち出そうものなら軽蔑を買うだけだ。
アメリカ海軍としては欠席したかった。
だが議会が許さなかった。
日米関係の改善を求める声が強く、和解の意思を示せ、恥を忍んででも行けと海軍に圧力をかけてきたのである。
アメリカ政府としては押し通したい理由があった。
東郷元帥を殺したのはアメリカではない。海軍のごく一部の反逆者が引き起こした事件であり、国家の意思ではないと世界に理解してもらえなければ、あらゆる外交関係に支障をきたすからだ。
そのためには、ただ頭を下げるだけでは足りない。
日本に集まった各国の使節の前で見せる「誠意」が必要だった。
誰を行かせるべきか。
海軍は頭を抱え、ようやく適任者を見つけた。
重巡洋艦オーガスタ艦長、ジェームズ・リチャードソン大佐。
開戦直前に「東郷元帥の死を悼む海軍大佐、戦争反対を訴う」と新聞に大きく取り上げられた海軍将校だった。
大佐なら階級もちょうどよい。
乗艦が重巡洋艦なら船の格も悪くない。
この男が一番適任だと判断された。
アメリカの外務省は念の入ったことに、その新聞記事の日本語版を作らせ、日本の新聞に広告料を払って掲載してもらった。
アメリカ海軍にも東郷元帥を尊敬し、不当な死を悲しんだ将校がいたのだ、と必死に宣伝したのである。
ついでに、元帥殺害の主犯と目されたフランク・J・フレッチャー中佐が、地獄で鬼に八つ裂きにされている風刺画まで乗せた。
悪いのは全てコイツだと加害者を一人に絞らせる目的だった。
選ばれてしまったリチャードソン大佐は心底うんざりしていた。
日本へ向かう航海の前夜、彼は艦橋でひとり、暗い海を眺めていた。
石でも投げられるのではないか。
罵声くらいでは済まないのではないか。
そんな不安が渦巻いていた。
だが命令である以上、行くしか無かった。
出発前のオーガスタにお客さんが乗り込んでき。
一人は若い通訳だった。
ハーバード大学で日本語を教えている青年で、エドウィン・O・ライシャワーと名乗った。
宣教師の子として日本に生まれ、日本語にも日本人にも通じている。
国務省に言わせれば、日米友好にはこれ以上ない人選だった。
もう一人は、外交官ジョセフ・グルー。
本来なら、ウィリアム・キャメロン・フォーブスの駐日大使としての任期は、とうに終わっているはずだった。
だが戦争が始まったせいで、後任が着任できず、本人も帰国できない。
結局、フォーブスは任期が切れても駐日大使を続けさせられ、ようやく交代要員としてジョセフ・グルーが送り出されることになったのである。
太平洋横断の航海は、皮肉なほど静かだった。
途中、かつて大艦隊が激突した海域を通ったが、海は何も語らなかった。
砲煙も、悲鳴も、怨霊も、亡霊もなかった。
あるのはただ、広く、青い海だけだった。
横浜港に入港すると、すでに各国の軍艦が姿を投錨していた。
真っ先に目についたのは、イギリス海軍の重巡洋艦サフォーク。
その向こうには、フランス海軍の軽巡洋艦プリモゲ。
さらにイタリア海軍の巡洋艦クアルトも見える。
どの国もすでに到着しており、最後に現れたのはアメリカだった。
追悼供養の当日、式場に足を踏み入れた瞬間、日本人の視線が冷たいのは覚悟していた。
東郷元帥を殺した側の人間がのこのこ出てきたのだ、そう見られるのは当然である。
通訳のライシャワーが小声で囁いてきた。
「日本人に刺されない事を祈りましょう」
日本人の視線が冷たいのは想定内だったが、イギリスの将校も、フランスの外交官も、参列している諸外国も冷たかった。
視線は明らかに冷たかったが、誰も式典の荘厳さを損なうような露骨な非難はしなかった。
しないからこそ、なおさら堪えた……
アメリカの立場は想像以上に悪い。
リチャードソンはそのことを思い知らされた。
一方、フォーブス大使は姿を見せなかった。
任期を過ぎてもなお駐日大使を続けさせられた男は、体を壊して入院していた。
ストレスで胃に穴が空いて、血を吐いたらしい。
大使代理として出席したのは、正式着任前のジョセフ・グルーだった。
式典が終わり、各国の使節がそれぞれの思惑を胸に散っていくなかで、ライシャワーはふいに言った。
「少し町へ出てもよろしいですか」
「観光かね」
「いえ。少し日本人の心に届きそうな演出を考えつきました」
その言い方が妙に真剣だったので、リチャードソンは止めなかった。
ライシャワーが行った先は仏具屋だった。
店主は、異国の青年が流暢な日本語で何事かを頼み始めたときから嫌な顔をしていた。
まして、それがアメリカ海軍大佐の位牌を作ってほしい、という注文だと聞いて露骨に眉をひそめた。
店主は追い返そうとしたが、ライシャワーが札束を出すと折れた。
在庫のなかから、地味だが大ぶりの位牌が選ばれた。
そこへ、急いで日本語のカタカナで彫らせた。
「チェスター・ウィリアム・ニミッツ海軍大佐」
ライシャワーはさらに仏壇まで買い込み、それを背負ってオーガスタへ戻った。
「いったい何を始めるつもりだ」
呆れ半分で問うたリチャードソンに、ライシャワーは自慢げに答えた。
「位牌を交換します」
ライシャワーの説明は、奇妙だが妙に日本人の心を突いていた。
オーガスタに体当たりして戦死した日本軍人、生田と坂井。
その二人の位牌を艦内にしつらえた仏壇に祀る。
代わりに、戦死したミニッツ大佐の位牌を日本側で供養してもらう。
敵味方の死者を、互いの国で弔うのである。
「そんな芝居で、うまくいくと思うか」
リチャードソンが眉をひそめると、ライシャワーは静かに答えた。
「理屈ではありません、理屈では収まらない感情の為です」
その言葉に、リチャードソンは反論できなかった。
翌日にはジョセフ・グルーに駐日大使の職を譲ったフォーブス元駐日大使が帰国するためにオーガスタにやってきた。
自分の足で歩くことも出来ないみたいで、救急車にのせられ、タンカで運ばれてきた。
フォーブスは弱り切った声で訴えた。
「早くアメリカに帰りたい……」
戦争中、ずっと日本に滞在するハメになったフォーブスは胃に穴が空いて重傷らしく、日本の病院で手術を受けていた。
まだ出航まで日にちがあるから、日本の病院に入院していればと言ったが、フォーブスは一日も日本に居たくないらしい。
呆れたリチャードソンはフォーブスを船の軍医に預けた。
フォーブスから話を聞いたライシャワーは通訳どころか外交官の才能を発揮していた。
出血が多かっせいで日本の病院で輸血されたと聞いて、当人に無断で美談をでっち上げていた。
「フォーブス大使は日本の手厚い医療に感謝しております」
「自分の体の中に日本人の血が入った事を誇りにしてアメリカに帰国します」
日本の新聞社は大喜びしているが、リチャードソンも面倒を押しつけられた軍医も「それはない」と思っていた。
フォーブスは日本に興味なんか無く、外交官としてのキャリアの通過点としか思っていない。
むしろ、日本を嫌いになっているとしか思えなかった。
通訳にすぎないライシャワーに勝手に外交官の発言を捏造されたのは困るが。
建前として日本に宣戦布告文書を手渡した外交官が日本の手厚い医療を受けて、輸血までしてもらって感謝して帰るのは都合がいい。
フォーブスには立派な外交官になって貰おうと思い、ライシャワーの発言捏造には目をつぶった。
さらに翌日、横浜港に停泊するオーガスタに、一組の日本人家族がやって来た。
生田中尉の家族は福井という遠い場所に居るそうで、来られないらしい。
来たのは坂井三郎の母と、五人の兄弟、そして伯父。
坂井家は七人兄弟だったが、すでに2人が他界している。
父もかなり前に亡くなっていた。
ライシャワーは家族を艦内に案内した。
オーガスタには艦隊旗艦としての設備があるため、艦長室とは別に艦隊司令官の部屋がある。
今は空き部屋なので仏壇を設置して仏間にしてしまった。
部屋は後部上構の奥まった一角にあり、艦橋のような騒がしさからは切り離されている。
軍艦の居室としては上等な部類で、白い隔壁には木目の化粧板が貼られ、丸窓の下にはソファ、中央には執務机があった。
家族に続いて日本の新聞記者も乗り込んできた。
仏壇の前で共に手を合わせるアメリカ人と日本人の姿を報道して貰うためだ。
家族は坂井三郎の位牌を仏壇に収めた。
遺体は海に散り、見つからなかった。
墓には遺体が無く、残されたものは、名前と記憶だけだった。
仏壇に置かれた位牌に手を合わせた母親は泣いた。
声を押し殺そうとしても押し殺しきれない、底の割れたような泣き声だった。
「三郎は……手紙に……大空のサムライになる、と……書いておりました……」
その言葉は、艦内にいた誰の胸にも重く落ちた。
リチャードソン大佐は言葉をかけることができなかった。
ライシャワーも通訳すべき言葉を失った。
すると、兄弟の一人が、涙に濡れた顔のまま、いきなり叫んだ。
「俺が三郎になる!」
その場にいた者たちは、何を言われたのか一瞬わからなかった。
「俺が三郎の名を継ぐ。俺が三郎になって、飛行機乗りになる」
泣いていた母親が顔を上げると、新聞記者たちの鉛筆が紙の上を走った。
突拍子も無い話だが、誰も笑わなかった。
名を継ぐことで死者を生かし、遺志を継ぐことで家を支える。
そういう時代だからだ。
やがて役所は改名届を受理し、海軍も入隊を許可した。
話は美談となって広まり、新聞は大見出しでそれを報じた。
「大空のサムライ 坂井三郎 霞ヶ浦航空隊に入隊」
ニミッツ大佐の位牌は靖国神社に奉納される事になり、日本の外務省の役人が運んでいった。
それから、帰国したリチャードソン大佐を待っていたのは昇進の辞令だった。
ようやく海軍軍人として出世街道へ戻ることができた。
辞令を受け取った彼は、たしかに喜んだ。
喜んだが、その夜、ふと坂井の母の顔を思い出した。
泣き崩れる母親の前で、自分は何をしていただろう。
和解を演じていただけではなかったか。
死者を弔うふりをして、生者の都合を整えていただけではなかったか。
一ヶ月後、少将に昇進したリチャードソンは重巡を旗艦とする艦隊の指揮官を拝命した。
艦隊の旗艦は自分が乗っていたオーガスタだった。
新しい艦長になる大佐と副官になる中佐に砲術長になる少佐の三人が着任した。
艦長室から提督居室に移ったが、仏壇はそのままにした。
リチャードソン少将は安置された仏壇と位牌に向かって、一人で日本式に手を合わせた。




