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祖国のために死ぬこと

 アメリカ海軍は軍縮によって軍艦だけでなく将校の数まで削られていた。

 そこへきて、戦争で大量の戦死者が出た。

 艦隊決戦の人的損失は死者・行方不明者が5700人、その中には372人の将校が含まれている。重症者も含めると600人を超える将校が居なくなった。

 結果として、艦長職に就けるだけの経歴を備えた将校が深刻に不足していた。 

 本来なら、駆逐艦艦長あたりを務めた者が順当に昇ってくるはずだった。

 だが、その「順当な候補者」たちの多くが、すでに海の藻屑と化していた。

 第一次世界大戦型の旧式艦は、いつしか「水兵の(sailor)海洋投棄(wasting)(ship)」とまで陰口を叩かれるようになっていた。


 陸上勤務に左遷されていたリチャードソン大佐は、再び重巡洋艦オーガスタの艦長に復帰した。

 戦争に反対した彼の判断が、結果として正しかったと見なされるようになり、海軍内部の風向きが変わったからだ。

 それ以上に、初代艦長である彼以上の適任者がいなかった。


 三か月ぶりに艦へ戻ると、部下たちは、まるでニミッツ大佐など最初から存在しなかったかのように振る舞った。

 それが、海軍という組織だった。

 死者を悼まぬわけではない。だが、生き残った者は職務を回さねばならず、そうしなければ艦は動かない。


 最大の問題は、将校が五人も戦死しているのに、補充されたのは艦長一人だけだった。

 結局、彼は一人で五人分の仕事を背負わされることになった。

 

 今年の六月に士官学校を卒業して配属される新任少尉は432人の予定だが、海軍将校が600人も居なくなっている。4人も来てくれるのか怪しかった。


 サンフランシスコ港に停泊し、修理を受ける重巡洋艦オーガスタの写真は、早くも全米の新聞に載った。

 決戦直前、日本機が低空から突入してくるのを、近くを航行していた船上の従軍カメラマンが必死に追っていた。

 その結果、偶然にも、艦橋へ激突し、炎を噴き上げる瞬間が写真に収められたのである。


 その一枚は、あまりに出来すぎていた。

 新聞各紙はこぞって大きく掲載し、見出しには思い思いの言葉を踊らせた。


 ある新聞は、その攻撃を “Suicide Attack” と書き立てた。

 またある新聞は、面白半分に “Harakiri Bombing” と呼んだ。

 艦橋に突っ込み、炎上する構図の派手さから、“Harakiri Fire” などという見出しまで現れた。


 話が面白おかしく広まるにつれ、事実は勝手にねじ曲げられていった。

 実際には、戦艦二隻を沈めた日本軍の攻撃隊は、体当たりなどしていない。

 しかし、日本側が全滅した搭乗員たちを「戦艦二隻を屠った英霊」として報じたことも手伝って、アメリカでは奇妙な誤解が広まり始めた。


 ペンシルベニアとアリゾナを沈めたのは、三十機もの日本機による一斉体当たり攻撃だった。


 そんな話が、まことしやかに信じられ始めたのである。

 そして、たった二機の突入で艦橋を破壊されながらも沈まなかったオーガスタは、「体当たりを受けながら奇跡的に帰還した艦」として語られるようになった。


 さらに、アメリカの新聞記事が海を渡ると、日本の新聞はその写真を無断転載して紙面に載せた。

 艦橋に激突し、火を噴く瞬間の一枚は、日本国内でも大きく報じられた。


「生田中尉と坂井三等航空兵曹、二人は尊い自己犠牲によって敵主力艦を決戦の場から離脱させ、勝利に大きく貢献した」


 そう報じられ、二人は名誉の戦死者として二階級特進していたが、アメリカ側の報道を見た海軍は、さらに追加の勲章まで授与した。


 二人を出撃させた加賀艦長・大西大佐は、談話の中でこう述べた。

「生田中尉は、上海において部隊を全滅させた責任を、腹を切って取ったのである」


 その言葉がどう伝言されたのかは分からない。

 だが、いつのまにか “Harakiri” という単語だけが独り歩きし始めていた。


 やがてアメリカでは、さらにおかしな議論が勢いを増した。

 航空機が体当たりすれば、通常爆撃の何倍もの戦果を挙げられるのではないか、そんな雑な理屈である。


 二トンを超える飛行機が、時速200~300キロでぶつかれば、戦艦だって大破する。

 この時代の航空爆弾は、せいぜい最大五百キロ級だ。

 ならば、二トン超の機体ごと叩きつければ、爆弾四発分以上の威力になるはずだ。

 そうした、雑な計算が平然と口にされるようになった。


 何より大きかったのは、「航空機ごときで撃沈できるはずがない」と信じられていた戦艦が、実際に二隻も沈んだという事実だった。

 人は、自分の思い込みと現実が食い違ったとき、その差を埋める説明を求める。

 そして、最も分かりやすく、最も扇情的な理由へ飛びつく。


「ペンシルベニアとアリゾナは、三十機の体当たり攻撃で沈んだ」


 そうして、ありもしない神話が形成されていった。


 戦艦が航空機で沈むはずがない。

 ならば、日本軍は特別な狂信的戦法を用いたに違いない。

 そのように考えた方が、敗北の屈辱を受け入れやすかったのである。


 しかも、その種の説明には、人種的偏見まで混じった。

 「猿みたいに貧弱な日本人がアメリカ人に勝つには、自殺的な戦法に頼るしかなかった」

 そうした物言いは、敗戦の衝撃と怒りにまみれた社会では、少しも珍しいものではなかった。


 海軍不要論まで噴き出し始めたアメリカで、海軍の立場は日に日に弱くなっていった。

 この状況をひっくり返すには、日本艦隊を上回る「決定的な手段」が必要だ。

 そして、その手段として、体当たり攻撃が真顔で研究され始めたのである。


 問題は誰がその自殺攻撃を担うのかだった。


 飛行機を操縦するには高度な技能が必要だ。

 どこかで買ってきた奴隷同然の人間では役に立たない。

 しかし、この時代のアメリカ軍航空要員は白人しかいない。

 その多くは家柄も社会的地位もある層の出身で、そんな任務に就かせれば遺族や世論の反発は避けられない。


 自殺攻撃隊の志願者募集を命じられた将校は、ドイツの哲学者トーマス・アプトの詩を引用した。

祖国のため(Dying for)に死(One's)ぬこと(Country)


『死の喜び、それは私たちの魂に、幽閉された女王の叫びのように呼びかけるもの』

『死の喜び、それは最後に私たちの血管から、苦しむ父なる祖国へ血液を注ぐこと』

『祖国の大地がそれを吸い取り、再び生きていけるように』


 そんな文句がもっともらしく並べられた。


「Dying for One’s Country」と大書きされたポスターが、孤児院に貼り出された。

トーマス・アプトの言葉を借りて、アメリカ市民に自己犠牲の義務を説く物語が仕立て上げられていく。

死の喜びを讃える詩や逸話まで、次々に捏造された。

自殺を崇高な献身へとすりかえるためだった。


 海軍は「孤児院への特別支援」と称して接近した。

飛行兵の適性がありそうな子供には、少年航空隊への道が開けると囁き、上等な食事を与えた。

逆に不適格と見なした子供には、露骨に冷たい態度を取った。

 抗議する遺族が存在しない孤児を生贄にするつもりだ。何も知らない子供たちは、一片のチョコレートのために、必死で選ばれようと努力した。



 同じ頃、日本では『未来からの贈り物』に記されていた神風特攻隊の戦果が、冷静に検討されていた。

 結論は明白だった。

 犠牲の大きさに比べて、見合う戦果はあまりにも小さい。


 竹槍で戦争には勝てない。

 追い詰められた末に、日本はこんな兵法の外道へ手を伸ばしたのか。

 そう考えるたびに、彼らは、未来の日本がどれほど救いのない末期状態に追い込まれていたのかを、かえって痛いほど思い知らされるのだった。

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